2026年9月14日月曜日

条件

8歳の孫がジージに弟子入りしたいという。
これは嬉しい。三兄弟のなかでは一番素質があるかもしれない。
ガッツはある。なんせ、3歳で家出して京都まで来た人なのだ。
次男坊ゆえなのか、気働きも抜群。

では、弟子入りの条件はどうしよう。

前回の回り稽古が終わったあと、等持院稽古場で担当指導者5人の座談会をやったのだが、その時に稽古場に入る者の「心構え」の話が出た。二子玉川に稽古場ができた当初、裕之先生がオリエンテーションの時に話されていたことである。

次の者、稽古場に入るべからず、という否定形ではじまる。
1. 自らの体を全力で使うことを惜しむ者
2. 自らの感覚を疑う者
3. 自らの身体をおそれる者

正確な文言ではないかもしれないが、概ね、以上に挙げたような内容だった。裕之先生がどういう意図でそう話されたのか、僕らは、それらを、どう受け止めていたのか。時代的背景も含め、今一度、吟味する意味がありそうだ。

そう、弟子入りに条件の話でした。
8歳の孫にはすでに上記3条件を満たしていそうだ。
というか、ここにたどり着くまで一代目は苦労する。
ダン先生がいっときよく「整体三代」と言っていた意味もここにあるのだろう。

欲張りジージは考える。
これにさらに条件をつけるとすると、何があるのだろう?

1 )   10代20代のうちに海外で暮らす。最低一年。
 マイノリティ経験のない人に指導者は向かない。ま、整体の水で育っていれば、自分がマイノリティであることは、どこかの段階で気づくことになるのだが。
2)家事ができること。
 料理、洗濯、身の回りのことが自分でできなきゃダメでしょう。力仕事もできたほうが良い。DIY的プリコラージュ能力は必須。

 などと書いていくと、要するに自分に足りないものを列挙していることがわかる。

2026年9月8日火曜日

書字計算法

 寝苦しい夜が続いていたので、地球は「熱的死」に向かっているにちがいないと考えた。昔々、この熱死をテーマにしたSFを読んだ記憶があるのだが定かではない。エントロピーが飽和して動かなくなった世界。図書館で、この言葉をキーワードに検索したら『停滞空間』というタイトルの短編集が引っかかってきたので、借りて読むことにした。どっかの図書館の書庫で眠っていたらしい。アイザック・アシモフなんて、懐かしい名前ではないか。自分の読書ノートを探っても、ここ40年間、アシモフの名前は出てこない。さかんにSFを読んでいたのは20代まで遡るらしい。

 この短編集に収められているのは、1950年代の作品。まだ、コンピュータは黎明期でしかない。なのに、AIを思わせるコンピュータが人間のすべての問いに答える「世界のあらゆる悩み」、人が自分で計算することができる能力を有することが奇跡とされる「ナンバー計画」等々、今の時代を予言する小説が連なっている。

 「ナンバー計画」は書字計算法という、僕らのいう筆算の話。その中に、17x23という2桁同士の掛算が出てくる。思わず、紙の上で筆算してみる。問題なくできて一安心。次に出てきたのが5738x7239という掛算。4桁の掛算なんて、随分やってないぞと思いながら、これにも挑戦。指で繰り上がりの数を数えたり、ちょっと苦労しながらやり遂げる。

 お目当ての、僕が熱的死と考えていた小説は含まれていなかったが、頭の体操はできた。次は6桁くらいの掛算に挑戦してみようか。ぼくらは、計算機が叩き出す数字を正しいと信じているが、本当に正しいのか、一度確かめた方がよい。



2026年9月5日土曜日

週2

集団の稽古を週2にしたら、ずいぶん稽古した感がある。
もし、週2の稽古を10週間続けたら、なんか身につくんじゃないかと思えるほど。
片桐ユズルさんが、強調してた「週2マジック」の意味がわかる気がする。

僕の稽古場では基礎しかやらない。
昔々やっていた稽古のリバイバルも多い。
でも、現在地の知見を持って過去にやった稽古をやると、温故知新というべきか、稽古に新しい光を当てられる。故に、闇雲にやっていた稽古に筋道を与えることができるから、参加しているひとには、きっと分かりやすい。僕らが30年かけてやってきたことを3年で伝えられるかもしれない。もっとも、体は保守的で、頭はそれに輪をかけて頑固だから、身につけるまでには、やはり相応の時間がかかる。

それにしても、今ごろになって、なんで海外から人が来るのか?
今週も舞踏女子2名、オーストラリア、アメリカからやってきた。はじまりは、去年のヨーロッパ遠征。ウィーンの会に出てたオーストリア人男子が去年の暮れにフィンランド人舞踏男子を連れてきたのが連鎖して、今年になって毎月のように誰かが訪ねてくる。今月半ばからは田中さんつながりのブラジル人研究者が3ヶ月の予定で京都に来ることになっている。

さて、週2の稽古はどう展開していくのだろう。

2026年9月3日木曜日

更ける

順調に老いていると書いたが、釈然としない。
ふけると言ったほうがしっくりする。
fuketuと入力すると、「老ける」と文字変換されるが、「更ける」も出てくる。
こういう時は古語辞典である。

【老い】
1) 老人となる。
2) 植物などが衰える。枯れかかる。

【更け】
1) 自然に時や季節が深くなる。
2) 年をとる。

(岩波古語辞典)

なるほど。
前言撤回。
「順調に更けている」にする。

2026年8月31日月曜日

整体が消えた 3

 インゴルドやバラッドを読んでいく途中で気づいたのは、それらの本は、僕にとって整体あるいは野口晴哉を理解するための補助線ではないということだった。むしろ、野口晴哉・野口裕之の言説を通してインゴルドやバラッドが描こうとしている世界観を理解しようとしている。

 野口晴哉、さらにいえば野口裕之の教育論はもっと言及されるべき内容を持っている。1980年代中盤、数年に渡り夏季開催された裕之先生の育児講座の内容は、僕らの世代の整体観を形づくる上で大きな役割を果たしたし、同時期に整体協会の本部道場で開催されていた体癖講座もまた、野口晴哉の人間観を解説する素晴らしい講義だった。これらの音源はどこに保存されているのだろう?

 体癖論ひとつとっても、普遍的人間などいない、ひとつの目盛で人の能力は測れないと言ってるわけで、単純化された物差しを使おうとする現代社会に対しての強烈なカウンターになりうる思想だ。裕之先生が展開してきたものは、もっとラディカルかもしれない。つまり、それくらいの可能性を秘めている。であるのに、この潜在力は、他のジャンルと接続することなく、ここまで来てしまった。なぜか?

 野口晴哉を狭義の「整体」に押し込めていたのは僕らだった。そういうことだ。

稽古日程9月〜

9月から集団の稽古を増やします。
火曜日 11時〜13時 生観法基礎 月3回程度の開催になると思います。
随伴行気、観点といった基礎的知識も学べる会にしたいと思っています。
9月1日(火)が初回です。

ブラジルから女性ひとり稽古にやってくる予定で、その方が参加の場合、バイリンガル運用になります。

稽古日程 ↓

2026年8月30日日曜日

8月の読書

日本で一番美しい県は岩手県である* 三浦英之 柏書房 2025
教育とは何か ティム・インゴルド 亜紀書房 2025
私の幕末維新史* 渡辺京二 新潮選書 2025
青年は荒野をめざす* 五木寛之 文春文庫 2008
日本語のために 池澤夏樹編 河出書房新社 2016

青年は荒野をめざす

  60年前に書かれた青春小説を70歳になった僕が読んで楽しめるか?という興味で読みはじめた。絶対読んだことがあると思っていたのに、どうやらリアルタイムでは読んでないらしい。フォーククルセダーズの歌でこのタイトルを覚えていただけなのか。平凡パンチに連載されたものが1967年に出版されている。一般人の海外渡航が解禁されて間がないころの日本の話。二十歳のトランペットを吹く青年がロシア経由でヨーロッパに渡る。当時の青年のファンタジー満載(この小説がファンタジーを作り出した?)の冒険成長譚。思春期の男の子たちは熱中したかもしれないな。旅の最終目的地がポルトガルだなんて、沢木耕太郎の深夜特急と同じじゃないか。楽しめたか? ツッコミどころ満載だけど、ファンタジー小説として、しっかり楽しみました。上手いなあと思ったのは、解説として収められている、植草甚一の文章だったりするのだけれど。



2026年8月29日土曜日

糸瓜

ヘチマの花が咲いた!
百均で買ってくる台所用のスポンジは、マイクロプラスチックとなって下水に流れていく。ならば、それをヘチマで代替しようとこの春から挑戦してきた。種を買ってきて発芽させる。芽が出たと思ったら、虫にやられる。苗になった段階で地植えに変えると、また虫にやられる。こんなことを繰り返しながら、なんとか、鉢植えから一本、地植えから一本、それぞれ蔓を上に伸ばしはじめた。ヘチマの葉はゴーヤに比べると大ぶりで美しい。さて、実をつけるところまでたどり着けるか。

ちなみに、糸瓜は晩夏の季語。先週の筆動法の時間に書いてみた。





2026年8月28日金曜日

順調

目覚めはゆっくりだ。
生理的欲求で目を覚ますのだが、その欲求の現れ方がずいぶんゆるやかになってきた。トイレに駆け込むわけでもなく、慌てて冷蔵庫のドアを開けるでもない。家人が巻いてくれている煙草に火を点け、ゆっくり煙を吸い込んでいく。これが目覚めの儀式。

順調に老いている、と我ながら思う。
行動半径は日に日に縮まってきている。暑さのせいもあるけれど、人の多い街中に出るのは億劫だし、徒歩20分のコープに行くのさえ面倒くさい。石川も遠いが、月一回のことなので頑張って行く。東京千葉はさらに遠い。先日の整体観法講座も欠席。

耳はますます遠くなる。
集団のイベントへの参加にも腰が引ける。かろうじて、三日間の稽古会には出ているが、果たしていつまで続けられるか。耳が遠くなるということは、耳からのインプットはもう十分ですよと体が言ってるわけで、むしろ、集団からは身を引いて、ひとり思索にふける、来る人だけを相手に稽古する段階に入っているように思う。

と言いながら隠居への道は遠い。

2026年8月25日火曜日

日本語のために

ちょうど十年前に河出書房新社から刊行された池澤夏樹編日本文学全集の最終巻。
これは面白い。古本屋で半額で買えるから、今のうちに手に入れておいた方がよい。
先人たちが日本語をどのように成り立たせようとしてきたかという奮闘の記録が500頁に詰め込まれている。どの頁を開いても面白い。






フォルダ

人の人生に自分から踏み込むことはしないが、人の人生がやってくることは、ままある。体の中には過去というフォルダがあって、さまざまな経験の断片が時系列おかまいなしに放り込まれているようで、その中で断片たちは勝手に繋がり、勝手に成長を始めるらしい。

2026年8月24日月曜日

帰還

ここ数年姿を見せなかったヤモリを台所のすりガラスの向こう側に発見。
台所の窓はヤモリの狩場になっていたのに、狩られていた蛾の姿も最近見ない。



2026年8月22日土曜日

マルチリンガル・コミュニケーション

晴風学舎のマルチリンガル・プラットフォームについて考えている。
今は自分が見ているウェブページを、そのまま他言語に翻訳してくれる。
最近、PDFさえホームページ上で変換されることを体験してびっくりした。

マルチリンガルでウェブページを運用する場合、日本語、英語のバイリンガル運用をまず考える。英語以外の言語は付け足しというか、日本語と英語を並列させ、西欧言語であれば、英語の定番から翻訳をすることになる。はたして英語を定番言語として扱うべきなのか、それとも、英語も含め多言語をフラットに扱うべきなのか?

日本語と英語のギャップについては、以前このブログでも書いた。

つまり、英語の定番文章を作ることも、なかなか難しい。
であるのなら、誤訳誤読を前提として、プラットフォームを作って良いのではないかという結論にたどり着く。日本語と他言語に翻訳された文章とのギャップを埋めていくプロセスそのものが、稽古になりうるのではないかということだ。

SNSには翻訳機能を持つものが多い。つまり、日本語だけの人と、ポルトガル語だけの人がいたとして、この2人はそれぞれの母国語だけを使ってSNS上で会話可能になっている。それがはたして会話なのか、見かけ上の会話なのか、こればっかりは実験してみないとわからない。

ここまで書いてきたことはAIの利用を前提としているわけだけれど、AIについては思うところも多々ある。この世界にどのように踏み入っていけばよいのでしょう。

2026年8月13日木曜日

声の記憶

時間と共に風貌の記憶は薄れていく。それに比べると、声の記憶は風化しない。
この歳になると、鬼籍に入ってしまった知り合いの数が増え、電話帳のリストのうち、2割を占めるようになった。亡くなったからといって、電話帳から消すのは忍びなく、(故人)と付け加えて、そのまま入れている。

故人を振り返っていくと、その人を声で記憶していることに驚く。
半世紀も前に亡くなった祖父母の声をちゃんと覚えているし、三十年近く前に亡くなった母親の声の記憶も鮮明だ。その人との近さが反映されているようにも思える。それに比べると、視覚的記憶の方があやしく感じるし、覚えていたとしても、案外、写真の記憶だったりする。

耳は遠くなったが、昔の声はよく聞こえる。

お盆ですね。

2026年8月12日水曜日

旅はつづく

 この夏の課題図書はインゴルドの「教育とは何か」(亜紀書房 2025)。若い友人たちからインゴルドの名前は聞いていたが、著書にあたるのははじめて。文化人類学者インゴルドが旧態依然とした教育システムをデューイの教育論に立ち返って語るという建て付けの本である。原題は、Old Ways, New People、副題がAnthropology and/as Educationとある。

 振り返ると、僕がここにいるのは、1973年秋、デューイ、イリイチ、フレイレの本に出会ったからだと言えなくもない。これらの思想に出会って感動したとか、そういう話ではなくて、この人たちの著書を英語で読まざるをえない環境の中で、強烈な異化感、消化不良感が、以来ずっと続いているといった方が正確だろう。逆説的だけれど、これだけとっても、FWC(Friends World College)で学べてよかったと思えるのだ。

 その異化感と向き合う過程の中で、補助線として現れたのが野口晴哉の成長論、人間論。その補助線がいつのまにか主線に入れ替わってしまったというのが、ここ半世紀の要約である。3人の中でデューイを一番後回しにしてきたから、インゴルドを先導役に、デューイの世界に踏み入っていくのも良いのではないかしらね。

 まだ読みはじめたばかりだけれど、バラッド同様、新しい造語を作りだし、英語の構造そのものに挑んでる感じがあって好感が持てる。



2026年8月7日金曜日

洛句

洛句協会に寄稿した原稿が出ました。
最近はPDFがメールで届くというのががデフォルト。
この原稿と、風韻の原稿と、回り稽古の担当回が一斉に押し寄せてきたのがひと月前。
三つが互いに影響しあうことになった。
それにしても、前がどっちで、どっちが後ろなのか。
混乱の度合いは増すばかりです。

引用した晴哉先生の文章は「大絃小絃」本文では新カナ表記になっているけれど、もともとは、表紙カバーにあるように旧かな。晴哉先生が旧かな世代であったことは、覚えておいた方がよいです。





2026年8月6日木曜日

Road to Brasil 2013 (再掲)

Doho Internationalの田中さんと渡辺さんの三人で、オンラインミーティングを開くようになって半年になる。日本、ブラジル、ハワイを結んでのミーティング。時差があるので、時間の設定が難しかったりするのだけれど、話していると楽しくて、あっという間に2時間経ってしまう。一昨日のミーティングには、野口順哉さんにも参加してもらって、四人で話した。風韻文庫のマルチリンガル版構想なども出てきて大いに盛り上がる。これまでやりたかったけど実現できたなかった諸々が晴風学舎というプラットホームが立ち上がることで動きはじめた感がある。ブラジルの田中さん、「Jardim dos Ventos 風の庭」創立30周年で、秋には本も出るとか。楽しみ。

13年前の、Road to Brasilシリーズ、復活させました。https://dohokids.blogspot.com/search/label/road%20to%20brasil

昨年のヨーロッパ2025と対比させて読むと面白い。

2026年8月5日水曜日

おかのり

 おかのりの苗を分けてもらったので庭に植えてみた。どんどん蔓を伸ばして葉を付けていくのだが、使い方がよくわからなかったので放置していたのだが、ゴーヤと一緒にどんどん上に伸びていって屋根に届きそうなので、いい加減収穫せねばと葉を摘みはじめた。まずは茹でてみる。味見してみると、ちょっとほうれん草に似た味わいで粘りがある。これならおひたしにして鰹節散らせて食べればいけそうだ。たしかに、おかのりとはよくいったもので、海藻の食感。これで毎度の食卓に一品増やせるではないか。8月は、ゴーヤとおかのり、それに佐伯さんから買ってくるナスで乗り越えられそうだ。



2026年8月3日月曜日

自己紹介

ここ一週間くらい、妙にこのブログを見にきてる人が多い気配があったのだけれど、今日、新しい風韻が届いて、その謎が解けました。今月中旬くらいと予告されていた風韻がもう発行発送されてたのですね。ならば、ちょっと、自己紹介しておかねば。

はじめまして角南です。
京都で世界一小さい(おそらく)稽古場を開いています。
38年前、整体協会に本部稽古場が開設されたとき、事務局で働いていたのですが、暇そうにしていたせいなのか、稽古場運営の事務方を任されることになり、以後20年、途中からは、稽古担当も兼ねながら事務局に籍を置いていました。2009年、二足の草鞋はもう限界と無理やり事務方を卒業し、給与のない生活に突入。2015年に拠点を東京から京都に移し、はや11年になります。青年老やすく学なり難しで、70代中盤に突入。そうそう、近年、耳遠くなってコミュ障気味です。以後、お見知りおきを。

今回の風韻に寄稿した原稿の元々のタイトルは「稽古場の冒険」。適当に改変してくださいといって編集部に渡したのですが、予想の上を行ってくれました。原稿の最終行に「おのおの方、準備はできましたか」という脅し文句が入っていたのですが、これもオミット。僕としては、芭蕉の引用も含め、「旅」を裏テーマにしていたのですが、ちゃんと伝わってそうですね。月刊全生からの写真がデカデカと使われている。38年前の秋ですね。竹を構えているのは佐々木正則さん。四半世紀前かもっと前、裕之先生はしきりに「21世紀の整体にしなきゃいけない」とおっしゃっていた。新しい世代の文章を読んでいると、それが「脱整体」というかたちで実現しつつある。期待しかない。