2026年6月18日木曜日

整体が消えた 2

 三日間の稽古会が終わったのに、まだ月半ばであるというのが不思議でしかたない。30年間、京都の三日間が終わって、その月が終わるという日程になじんでいたから無理もない。稽古会のスケジュールも、以前よりゆったりしている。なによりも、会場まで歩いて行けるというのが、ありがたい。徒歩17分。自転車で10分。

 裕之先生の稽古からも、見事に整体が消えた。新しい顔ぶれも増え、これまでとは違った切り口になるだろうなとは思っていたが、僕の予想のはるか上を行っている。これまで40年間積み上げてきたものを、一旦横に置いて、ゼロから晴風に組み替えようとしているかのようだ。建物の壁を消して、動きだけで生成されていくかんじ。すごいな。
 
 月末に回り稽古がやってくるし、同時に、連句協会のための原稿締め切りも近づいている。連句を稽古化して、ついでに原稿のネタにもしたい。こんな都合のよい一石二鳥を目論んでいる。こんな風に考えられるようになったのも、整体が消えたせいかもしれない。

2026年6月13日土曜日

ワールドカップ開幕

ワールドカップが始まった。
とはいえ、今回は無料放送される日本代表の試合は観るかもしれないが、DAZNに入る予定はない。なんせ、あれこれやることが目白押しで、早朝、午前中の時間帯にサッカー観てる場合ではない。今回の楽しみ方は、予想を立てて、その予想と結果を照らし合わせながらダイジェストを観るくらいか。ひとりTOTO。

初日の2試合を事前に占ってみた。僕の見立ては、メキシコ2-0南アフリカ、韓国1-1チェコというもの。グループリーグは、勝つか負けるか引き分けかの3択。メキシコの試合は、勝敗、点数ともズバリ的中。韓国の試合は、後半追加点を上げて2-1で韓国勝利。続けて2日目。カナダ1-1ボスニア・ヘルツェゴビナ、米国3-1パラグアイと予想したのだが、それぞれ、2-1、4-1。米国の勝利は的中。ここまでの的中率50%。まずまずの成績ではないか。

問題は日本に初戦となるオランダ戦。妙心寺での稽古会ともろに被っているではないか。しかも午前5時キックオフ。早起きして、7時まで試合を見て、11時に家を出る。そのまま、夜の11時まで稽古が続くから、とんでもなく長い一日となる。いや、悩ましい。

【追記6/18】
グループリーグ一巡目24試合の予想的中率は24分の11、46%。いくら予備知識が少ないとはいえ、せめて的中率5割は超えるだろうと高を括っていたのだが甘かった。

【追記6/24】
グループリーグ2巡目に入って、強豪国が順調に勝ち始めたせいで、的中率は24分の16、67%に上昇。3巡目の予想は難しくなる。ハイドレーションブレークって酷いね。

2026年6月12日金曜日

回り稽古(継続募集中)

今月21日からはじまる回り稽古、参加者募集継続中です。
テーマも決まったようです。



2026年6月9日火曜日

百花撩乱

玄関に飾ってある中川一政翁の絵葉書「正念場」を「百花撩乱」に入れ替えた。
稽古の帰りぎわ、この「正念場」を見つけ、「うむ、正念場だ」と呟き、自分に気合を入れていた人も何人かいたから、きっと時宜に適った三文字だったのだろう。

昨日、水無瀬の稽古場から戻ってきて、この絵葉書を眺めたとき、そろそろ変える時がきたと思った。では、どれに変えるか。もうこれしかない。

それにしても、一政翁の書はいいなあ。



2026年6月8日月曜日

水無瀬稽古場

水無瀬稽古場にお邪魔してきた。
4月に開設したばかりの、青畳の香りする稽古場。
畳、建具が入る前の段階で一度訪ねてはいるのだが、いや立派な稽古場になっている。

生け花を素材にした稽古。
稽古のヒントをたくさんいただく。

水無瀬神宮で茅の輪くぐりもしてきました。








2026年6月6日土曜日

富山

 北陸新幹線が敦賀に伸びるまで、白山稽古会の会場のある松任までは特急サンダーバード一本でたどり着けた。今では、敦賀、小松で2回乗り換え、やっと松任。時間も細切れにされ、ゆっくり寝てられない。

 一度、在来線で行ってみたいと思っていた時に、北陸二日間のフリーきっぷを見つけた。新幹線開通後、分割民営化された三つの旧北陸線を使った鉄道会社が共同で発行する電子チケット。高架を走る新幹線に比べ、地面の上を走る鉄道は楽だ。一時間余分にかかるが、体への負担は少ない。

 稽古会初日は予定より早く終わったので、東に向かうことにした。金沢は百万石祭りで混みそうなので、一気に富山まで足を伸ばすことにした。富山って、ほぼ降りたことがない。金沢から一時間で富山。駅前の空が広い。路面電車が走ってるのもよい。環水公園まで歩き、世界一美しい?スタバを展望台から見下ろし、また駅まで戻ってきた。

 このフリーきっぷ、結構使い出がある。富山では白エビ天丼も食べたことだし、帰りは福井で途中下車して、ひさしぶりに蕎麦でも食ってから帰ろうと思っている。

 先月は松山の街を歩いたし、その前の月は佐原。知らない街を歩くのは、今でも好きである。





のぐちひろこ個展(再掲)

われらがマメ画伯の個展が京都にやってくる。
これは楽しみ。

6/3〜14 (6/6,7はお休み). at @bench (左京区浄土寺)

なんだか、お知らせブログになってきた。
それだけ、周囲が動いてるということなのですね。


2026年6月4日木曜日

せうそこ#4

9年前の「せうそこ」を読み直しながら、道坂優さんを偲んでいる。




2026年6月1日月曜日

稽古日程更新

晴風学舎となって丸2ヶ月経過。
濃厚な日々が続いています。

毎週、同じ時間に稽古するのはよいですね。稽古にリズムが生まれてきます。
入会の受付も一段落。
妙心寺如是院での三日間の稽古会も無事終了。
6月には回り稽古も始まります。

4月以降の変更点
*稽古会費を一部改定します。
*動法基礎を再開します。
*個別稽古と集団稽古各一回を組み合わせた月登録制を設けます。

稽古日程はこちらでご覧ください。

2026年5月31日日曜日

5月の読書

向谷地さん、幻覚妄想って、どうやって訊いたらいいんですか?* 向谷地生良 医学書院 2025
フェイスウォッシュ・ネクロマンシー* 栗原知子 筑摩書房 2026
私の明治時代史* 渡辺京二 新潮選書 2026
会話の0.2秒を言語学する* 水野太貴 新潮社 2025
詩あきんど其角* 別所真紀子 幻戯書房 2016

2026年5月30日土曜日

竹喬美術館

松山から福山へ高速バスで移動。
瀬戸内の島々を空中から眺め、日本は土建国家だなあと思う。
30年後、この橋、この道路は維持されているのだろうか。

福山は都会。ここからJRで笠岡へ。
笠岡に降り立つのは65年ぶりくらいになるのか。
父の同僚が住む笠岡沖の島に海水浴に連れられていった記憶がある。
そういえば、その同僚の名前が、白石さんだっとことをなぜか思い出した。

竹喬美術館は、予想以上に立派な美術館だった。
衣笠絵描き村に居を構えた画家の一人で、その我執がまるで感じられない画風が好きである。






2026年5月29日金曜日

道後温泉

お遍路をはじめた頃、松山にたどり着いたら、市内は一緒に歩くからねと、松山で育った妻に言われてから4年。ようやくそれが実現した。とはいえ、夫婦遍路というのは妙なもので、お大師さまと同行二人で歩くのとずいぶん勝手が違う。なんせ、会話しながら歩くわけで、愛媛の遍路道を歩いているのか、京都の道を歩いているのか判然としなくなる。

今回歩いたのは46番浄瑠璃寺から51番石手寺までの15キロ。その前後の距離を加えると1日の歩行距離は20キロになった。荷物は宿に預けて軽量。登り道の少ない遍路初心者コース。おまけに、石手寺のあとは道後温泉まで歩いて入浴というハイキング遍路。本来なら、このポストも遍路としたいところなのだが、二日続けて道後温泉に浸かったので、このタイトルにした。実際に入ったのは観光客で溢れる本館の隣の椿の湯。地元住民御用達といった風情の温泉。

城山に登り、松山風鯛めしもいただき、友人と旧交をあたためる。たまには、こんな遍路もあってよいだろう。





2026年5月23日土曜日

夏炉冬扇

妙心寺の塔頭を会場とした稽古会三日間を終え一息ついている。
思っていたほどの混乱もなく、むしろ順調といってよいくらいの三日間だった。

さて、どんな環境で連句の会は催されていたのか、別所真紀子の「詩あきんど其角」を読みはじめた。芭蕉門下に入り修行して立机(俳諧師となる)した其角の記録を元に小説仕立てにした一冊で江戸初期の俳諧界がよく描かれている。

俳諧界を支えているのは、裕福な商人層で、それに酔狂な武家も加わる。皆で集まり歌仙を巻き、それを選集にして版木に下ろして印刷配布する。いわば出版人でもあった。俳諧師が職業として成り立つためには、門人がいてパトロンがいてという風な、大きな経済圏が形成されていたわけだ。

俳諧師として立つためには、東西の古典の素養がなければ話にならないわけで、江戸の文化人たちの知的レベルの高さに舌を巻く。それに比べると、古典から切り離された時代に育ってしまったことを今更悔やんでも仕方がないが、十七季と電子辞書が手元にないと何もできないわが身の薄っぺらさに涙するしかない。師匠が古典に親しめ親しめと口を酸っぱくするのもわかる。稽古を深めるには、教養も深めるしかなく、近道はないということなのだ。

つまり、手遅れなのだ。そう言いながら、抜け抜けと稽古場などを開いていているのは、まだ化けの皮が剥がれてないだけの話で、人の上に立って何かを教えようとは露ほども思っていない。同行の仲間に見限られないよう日々精進するしかあるまい。夏炉冬扇とは、役に立たないものとして、芭蕉が自らの俳諧を称したものだが、無論、それは自信の表明でもあったわけで、凡人はこわくてとても使えない。





2026年5月19日火曜日

回り稽古

第一回晴風回り稽古の概要が発表されました。
詳細はこのページのQRコードからご確認ください。

かつて「衣笠絵描き村」と呼ばれていたこの地が、いまや晴風稽古村となってきたことは先月書いたが、早速、この特性を活用した「回り稽古」が発案された。毎日曜日全5回なんて濃密な稽古会に参加しようという猛者はいるのか?
























詳細、参加申し込みは、こちらから




2026年5月17日日曜日

靴の行方は

靴を間違えられやすい人というのはいるのだろうか?
もし、そんな人が居るとすれば、それは私です。

白山稽古会の初日、稽古を終えて、ふるさと館を出ようとしたら、靴がない。正確にいうと、靴が一足残っているのだが、私が履いてきた靴ではない。似たような黒のスニーカーなのだが、puma という買ったことのないブランド。ちなみに、私のはミズノで、ここ数年、同じタイプのスニーカーを履いている。お遍路にも使い、履き潰しては代を重ねている。

窓口の方に事情を話し、その残されたpumaのスニーカーを履いて出る。サイズは25センチで、ちょっと大きいが違和感を感じるほどではない。最近は、足袋+スニーカーという組み合わせもありだから、25センチでもOK。間違って履いてった人も、ちょっと中が広がった24半のスニーカーに窮屈さを感じなかったのではないか。

朝、家を出るとき、一旦は草履を履いたのだが、10メートルほど歩いてからなぜかひきかえし、わざわざ、スニーカーに履き替えた、そのスニーカーなのだ。

翌日もふるさと館での稽古会だったのだが、問い合わせの電話はだれからもなかったという。近隣の方ではなく、どこかからの観光客だったのだろうか? とすれば、私のミズノは、今ごろ、どっか知らない街を歩いているのかもしれない。この、底がフラットで、足袋との相性も悪くなさそうな、このpumaを履いて、私は京都の町を歩くことになりそうだ。ちょっと複雑な気分。

【追記 5/20】月末に松山市内のお遍路を計画中。消えたものと同じタイプのスニーカーをAmazonに注文。

2026年5月16日土曜日

石川県立図書館

やっと来れたぞ石川県立図書館。
噂通りのすぐれもの。訪れる価値あり。
一時間ほど館内を歩いただけなのだけれど、楽。
スロープの使われ方が絶妙。
本に圧倒されることもなく、動線もよく考えられている。
カフェ併設されているし、一日居られるぞ。



2026年5月15日金曜日

連句と筆動法の試み

機は熟したというべきか、筆動法と連句を合体させた会を一度やってみることにします。5月24日(日)11時から3時間、場所は等持院稽古場。筆動法初心者も連句初心者も参加歓迎。なんせ、主宰者が初心者ですから安心して(かえって不安要因か)ご参加ください。定員は5名とします。要予約。事前問い合わせも歓迎です。

最初は長句(五七五)に短句(七七)を付けていく練習くらいからはじめましょうか。それとも、発句を立てて、三つもの(発句・脇・第三)を編むか、はたまた、表六句まで辿りつかせるか。清書は筆動法に則って、などと考えはじめているのですが、こればかりは、蓋を開けてみないことには分かりません。

「筆動法でたどる奥のほそ道」なんて稽古を大井町稽古場でやっていたのは20年も前になるのですね(遠い目)。

2026年5月14日木曜日

連句会

日曜日、月例の連句会に参加してきた。
ふた月続けて参加できることは稀で、夫婦揃って参加するのは、さらに稀だ。

総勢10人の参加者を籤引きで2組に分ける。3時間の会で、丸ごと歌仙を巻くのは難しいので、2回に分けてやることもあるのだが、私のような不定期参加の人も少なくないので、区切りをつけやすい半歌仙や二十韻という様式でやることも多い。この日は、林閒石(かんせき)という人が唱えた「非懐紙」という付けることを主眼にした様式でやってみましょうと先生。月、花の定座は設けず、それらさへなくてもよいという、まことにゆるい様式。

うん、これは、昔、連句の真似事を大井町稽古場ではじめたころ、長句(五七五)と短句(七七)を交互に付けていったようなものだなと合点して始める。とはいえ、生半可に歌仙のルールを知ってしまっているので、ついついルールに気を取られ、純粋に付けることができない。助走に時間はかかったものの、先生の捌きのおかげで、結局、十六句目で挙句とする。

会議室を借りての連句会。もちろん、テーブルと椅子。各自が十七季という連句用の辞書やら電子辞書を手元に置いて句を作っていく。ちょっと前までなら、畳の部屋にデコラのテーブルを並べてやっていただろう。

芭蕉の時代は、どんな環境でやっていたのだろう。
手元に筆と硯を置き、短冊に句をしたためて、捌きの人に手渡していたのか。おそらく机は置いてない。大きな興行の時には、書記役を置いたというのは、どこかで読んだ気もするが、少人数の仲間内での会ではどうだったのだろう。歌仙は残っていても、それがどのような風景の中で生まれてきたのか今ひとつよくわからない。途中で、お茶はのんでいたのか、食事はどうしていたのか。ついつい、こういう枝葉末節な部分が気になってしまう。

いちど、筆動法の時間を使って、連句会もどきをやってみようか。
鉛筆を筆に持ち替えるだけで、生まれてくる句は違ったものになるだろう。

2026年5月5日火曜日

晴風学舎の主文を機械翻訳させてみる 2


数年前だと、Google翻訳をつかうと、「こいつダメだー」という言葉しか出てこなかったが、近年、随分とましになった。でも、もうひと頑張り。ブラウザの翻訳機能として使われているものは、圧倒的にこのGoogle翻訳が多いのではないか。このブログの一番下にも翻訳窓を置いてあるのだけれど、これで読んだつもりになってもらっては困るというの正直なところ。

以下、Googleは【G】、DeepLは【D】、ChatGPTは【C】とする。

まず、「探究」という言葉がどのように翻訳されているか。
これは、組織のありようを表現している文脈の中で使われている。
【G】の"focus on" というのは、まあ、わかりやすい。
【D】の”centered on”というのも、気持ちはわかる。
【C】の"dedicated to"になると、なかなかという感じ。

「場」という言葉には機械翻訳も苦労したようで、
【G】は"space" 、【D】は”source of”【C】は"site"という言葉をそれぞれ選んでいる。こういうキーワードほど多義的ということでもある。

いちばん、難しかったのは「稽古」という言葉。
稽古文化学なんて言葉は、今回つくられた新造語だと思うのだが、そもそも「稽古」という言葉は難しく、というか、含意の多い単語で、”training"という単語ひとつでで代替できるものでもない。”training"であれば、"trainer"と"trainee"という役割分担が前提とされていたり、どちらかというと対面的な関係。一方、「稽古」というと、皆が同じ方向を見ているような印象。

「理」も難しそうですね。なんせ「ことわり」ですから、それに"function"という言葉を当ててしまうと機械論に逆戻りした風で身も蓋も無い。

こうやって、日本語と英語を行き来していると、翻訳しづらい部分を通して晴風学舎の特長が立ち上がってくる。「稽古」「体の理」といった言葉にどれだけ英語で肉薄できるかが、鍵になってくる。ちょっと油断すると、構築物のような英語体系に絡め取られそうになるのだけれど、ここをどう耐え、もっといえば、英語の構造そのものを変えていくくらいの気構えがないと、安易な妥協に終わってしまう。きっと、英語の古典に通じていれば、もっと重なり合う領域は増えてくるのであろうが、いかにも力不足だ。

この週末は、テキストを使った稽古もやることにしよう。

晴風学舎の主文を機械翻訳させてみる 1

この週末、英語で稽古会をやんなきゃいけない。
秋からは稽古のために長期滞在する人もやってくる。
ちょっと自分の英語をなんとかしなきゃならない状況だ。

整体操法という単語を機械翻訳にかけたら、physical  manipulationという訳語が出てきてびっくりしたことがある。たしかに、操法の操にはあやつるという意味があるからして、manipulationという単語が選ばれても不思議ではないのだが、感応法としての操法を目指している者からすると違和感しかなかった。非操作的操法という言葉自体、字義矛盾を抱えていたということになる。

晴風学舎のWebページにいくと、最初に、晴風学舎宣言とも呼べる格調高い文章が現れる。では、これはどのように英語化されうるのか。当然のことだけど、なかなかむずかしい。まず、この文章を機械翻訳(いずれも無料版)にかけて、どのような英語が現れるかみてみよう。

【原文】
一般社団法人晴風学舎は、「身の学」を基軸とし、人間の生を身体を通して探究することを目的とした体育団体です。感覚と運動の関係を重視し、身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直すことで、新たな「生の知」の創出を目指します。身体文化学・身体教育学・稽古文化学などの学際的観点から、日常的な動作・芸術的所作・呼吸・言葉など、身体の働きの裡にある理を捉えるための相互教育および稽古法の創造と共有の場を開拓することを通じて、広く人間の創造的生を支えるための文化的基盤の形成を図ります。

Google翻訳】
Seifu Gakusha, a general incorporated association, is a physical education organization that focuses on "the study of the body" and aims to explore human life through the body. Emphasizing the relationship between sensation and movement, we aim to create a new "knowledge of life" by re-examining the body not merely as a physiological entity, but as a fundamental space for generating thought and culture. From interdisciplinary perspectives such as body culture studies, body education studies, and training culture studies, we aim to form a cultural foundation that broadly supports human creative life by developing a space for mutual education and the creation and sharing of training methods to grasp the principles underlying bodily functions such as everyday movements, artistic gestures, breathing, and language.

DeepL翻訳】
The Seifu Gakusha General Incorporated Association is a physical education organization centered on the concept of “the study of the self,” with the aim of exploring human existence through the body. By emphasizing the relationship between sensation and movement, and by re-conceptualizing the body not merely as a physiological entity but as a fundamental source of thought and culture, we aim to create a new “knowledge of life.”Drawing on interdisciplinary perspectives such as the study of bodily culture, physical education, and the study of training culture, we seek to establish a cultural foundation that broadly supports human creative life. We do this by pioneering spaces for mutual education and the creation and sharing of training methods designed to grasp the underlying principles of bodily functions—including everyday movements, artistic gestures, breathing, and language.

ChatGPT
The General Incorporated Association Seifu Gakusha is a physical education organization dedicated to exploring human life through the body, grounded in the principle of “learning through the body.” Emphasizing the relationship between sensation and movement, it seeks to reconceptualize the body not merely as a physiological entity, but as a fundamental site from which thought and culture emerge, thereby aiming to generate new forms of “knowledge of living.” From interdisciplinary perspectives—including body culture studies, physical education, and the study of training culture—it endeavors to cultivate and share methods of mutual learning and practice. These efforts focus on grasping the underlying principles within bodily functions, such as everyday movements, artistic gestures, breathing, and language. Through this, the organization aims to establish a cultural foundation that broadly supports the creative life of human beings.