2026年10月25日日曜日

等持院稽古日程 11月〜12月

晴風学舎となって半年経つのですね。
この小さな稽古場に坐っているだけで、いろんなものが渦巻いていることがわかります。異文化衝突が起こっている。旧稽古場系と旧本部系。おまけにこの二つに海外系も加わり、意外なことに、その海外系がつなぎ役になっていたりする。面白いですね。ここからどっちへ動いているのだろうと、期待半分不安半分。ま、期待の方が勝るけれど。

稽古と直接つながるわけではないけれど、新しいこともやってみよう。例えば、車座で連句。もちろん、筆でやる。十年前にやっていた「せうそこ」の晴風編もやってみたい。話を聞いてみたい人は何人かいらっしゃる。ただ、耳が遠くなってしまった私に、聞き役が務まるかどうか。

『風韻』に文章を載せてもらったこともあるけれど、「こんな稽古をやっていた」といったタイトルで、リバイバル動法稽古会を誰かと合同でやってみるのも面白いだろうな。活元運動をやっちゃいけない晴風学舎にやってきて戸惑ってる方もいるようなので、そんな心配いりませんと声もかけなきゃならない。来年に向けてという話。老兵引退できずです。

さて、11月12月。今年もあと二月ということになります。
等持院稽古場11月は、これまで通り。火曜木曜の集団稽古が中心。しばらくはバイリンガル運用になります。12月、この集団稽古の時間が午後になります。11月はこれまで通り11時〜13時。12月は14時〜16時になります。12月も最初の二週間、また海外からひとり稽古に来るというので、12月もバイリンガル運用になりそう。これまでだと、海外からやってくる人は短期のケースが多かったけれど、腰を据えてやろうというケースが増えてきました。これも、晴風効果?


【稽古追加】11月1日(日) 動法基礎 11時〜13時



2026年10月24日土曜日

図書館派だが

図書館派である。
本を増やしたくないからである。
だが、本は増えるのである。
なぜか?
結局、買ってしまうからである。
なぜ買うのか?
2週間の貸し出し期間に読みきれないからである。
手元に置いておくべき本があるからである。
すると、困ったことが起きる。
古本は別にして、まっさらな本が来る。
当たり前である。
これが困る。
なぜか?
手垢が付いてない本ははじめから読んでいくしかないのである。
図書館で借りて途中まで読んでいたとしてもである。
つまり、読書体験とは、ページをめくる作業なのである。
もうひとつある。
手元にある安心感から、最後まで辿りつかないことがままある。
つい、返却期限のある図書館本を優先させるからである。
本棚は読みかけでの本であふれることになる。

2026年10月23日金曜日

呑み込む

六双の屏風に収められた漢詩を見て驚いた。
漢詩であるからして漢字が書かれているにちがいない。
でも、漢字には見えない。
漢字がかなに呑み込まれている。そう思った。

漢字から万葉仮名がうまれ、かな文字が考案され、女手として使われ、
男たちは漢字表記に留まった。
それがいつのまにか、男手が男手のまま女手化していた。
この見立てって、書道史上正しいのか?
良寛は漢詩をどのように詠んでいたのか?
専門家に一度訊いてみたい。
日本語おそるべし。

【追記】購入してきたカタログに収められている写真を眺めると、上に記した「かなにハックされた漢字」というニュアンスが希薄であることに気づく。実物とコピーの違いは大きい。


2026年10月22日木曜日

理会

 折口信夫の「日本藝能史六講」を読んでいるのだけれど、折口の言葉の使い方がすごく興味深い。たとえば、今では「理解」と書くところを「理会」という字を当てている。「ことわりをほどく」のか「ことわりとあう」のか。同じ「かい」でも「解」と「会」では、だいぶ印象が違ってくる。

 池澤夏樹が「日本語のために」のなかで、こんなことを書いていた。「right」の訳語としては、「権利」よりも「権理」の方がふさわしかったのでないかと。「利」の字を当ててしまったがために、「権利」は声高に主張するものになってしまったのではないかと。

 漢字ひと文字が背負っている歴史が、造語の中に滲み出てくる。連句を作っていても、そこを「柔らかい」と漢字を使うのか、それとも「やはらかい」とかな表記にすべきか、いつも迷う。言葉はむずかしい。



2026年10月17日土曜日

Art of Unlearning

 千葉に来ている。娘の机に置いてあった、五味太郎の「勉強しなければだいじょうぶ」という本をパラパラとめくっていたら、「中国の友人に、勉強という言葉は、無理して頑張るという意味で使うと教えてもらった」(p.19)という一文に行き当たった。これは別に、中国だけの話ではなくて、日本だって同じようなものだ。

 勉強が好きな人は多い。小学校中学校で優等生だったか僕なんかも、「勉強好き」だったと思う。でも、これって学校という明治以来の制度によく適応できていましたというだけの話でしかない。むしろ、その勉強好きを壊すことを20代から70代のにいたる今日までやってきた気がする。

 整体をお勉強にしている人は多い。勉強ってなんなのかを一言でいえば「体がない」。人間のことを知ろうとしているのに、そこに体がなければ、いくら勉強しても人間にはたどり着けない。こんなこと当たり前のことなのに、それに気づくまで10年20年かかったりする。それくらい、勉強=学校化の呪縛力は強い。

 もし、僕が今から本を一冊書くとすれば、タイトルは「Art of Unlearning」にする。



2026年10月16日金曜日

富士山

富士山拝むのひさしぶり。
いや、東海道新幹線乗るのもひさしぶりだ。


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2026年10月14日水曜日

To Members Residing Overseas

Doho Internationalのページに、海外在住会員の手引きー"To Members Residing Overseas"の非公式訳(英語)を掲載しました。公式日本語版については、晴風学舎にお問い合わせください。

https://dohokids.blogspot.com/p/overseas-members.html

綾子舞

数日前から綾子舞のお囃子が家の中で鳴り響くようになった。

ブラジルからやってきているJulianaのアテンドとして綾子舞の稽古に付き添った妻がその場でその会への参加を決めたという。YouTubeで毎年柏崎で開催されている公開の会の映像を見つけ、そこから音声を抜き出して渡したら、iPod でひたすら聴いている。その何週か前に僕自身がJulianaに付き添い、はじめて綾子舞の稽古風景にふれ、その素朴な美しさに出会った感動を妻に話したこともきっかけになったのかもしれない。

1990年代、稽古場が立ち上がって、まだ間もない頃だったと思うのだが、北海道教育大の進藤貴美子さんたちがやられていた民俗舞踊研究会(この名称だったかどうかは不明)の人たちが稽古場に集まってきていた時期がある。大半は大学で教える体育教師たち。裕之先生が、日本文化としての動法を唱えはじめていた時期とも重なる。その付き合いは10年くらいは続いたのではないか。その過程で、進藤さんの生徒だった栗田完さんが、本格的に稽古会に加わるようになり、動法教授資格者となっていった。私にとっては、西馬音内盆踊り、早池峰神楽といった、東北に伝わる伝統芸能への得難い案内役だった。

京都の綾子舞の会を主宰されている方は、上述の進藤さんの系列に属する方で(おそらく)、稽古場の指導者仲間でもある。彼女が綾子舞の会をやられていることは以前から承知していたが、その綾子舞を目撃するまで十年もかかってしまった。これはJulianaのおかげ。進藤さん、栗田さんと、つながりつながって、そのつながりが、海外からの客人を媒介として、僕のすぐ隣にまでやってきた。長生きはするものだ。

2026年10月11日日曜日

糸瓜が実をつけた

なぜか雄花しか咲かず、今年は実をならせるところまでたどり着けそうもないと、半ば諦めていた糸瓜に小さな実がついていた。さて、ここから大きくなるのか?



2026年10月2日金曜日

秋なのね

まだ夏の気分でいたらしい。
5時過ぎに買い物に出て、空を見上げたら秋の雲。
陽の落ちる時間も早くなっている。
秋分が過ぎていることをすっかり忘れていた。



2026年10月1日木曜日

歯が欠けた

お米を食べていたら、小石が混じっている。
え、今どき、米に石なんぞ混じることはないだろう。混じってたとしても、米研ぎの段階で気づくはずだ。いったいなんだろうと口から取り出してみたら、なんと歯の欠片。
え〜と思って、すでに欠けて、歯茎から上がなくなっている奥歯に触れてみるが、その歯ではない。指で一本一本たどってみるが分からない。今度は、舌で歯の裏側をたどっていくと、門歯から数えて4番目の歯の裏っかわに舌先がすっぽり入る箇処がある。これだ。どうやら、表側だけを残して、裏側が丸く外れてしまったらしい。長年の風雪に耐えられず、裏側だけが崩落した状態。容積的には、その歯の半分くらいがなくなったことになるが、両側の歯の間にあって、しばらくの間は、鎹としての役目は果たしてくれそうだ。

30年近く前、親不知を抜いて以来、歯医者にはおそろしくて近づいていない。
3人くらいの大人に体を押さえつけられて、口をこじ開けられ、大きなペンチ状のもの(抜歯鉗子というらしい)を口に突っ込まれ、力づくで歯を抜かれた。麻酔もキツくて、抜歯から半年くらいは廃人ように(大袈裟ですが)過ごしたことがある。もうトラウマ。以来、虫歯が痛もうが、水がしみようが、ひたすら歯ブラシで歯茎をゴシゴシ刺激して経過させてきた。野蛮ではあるが、あの歯医者の野蛮さとは比べようがない。

成人の歯の本数は親不知を入れて32本とか。奥歯はもうないが、まだ8割残ってる。よしっ。

2026年9月30日水曜日

稽古日程10月〜

9月からはじめた週2での集団稽古、1ヶ月無事終了。
ブラジルからやってきたJulianaさんが京都にいる11月までは続けようと思います。
生観法基礎、動法基礎、それぞれ全10回くらいになるはずなので、3ヶ月終わる頃には、基礎稽古のカリキュラムができあがりそう。とはいえ、参加者の顔ぶれによって、また、初手になにを置くかで中味が変わってくるのが稽古の醍醐味。あっちに流れ、こっちに流れしながら、最終的に全体が捉えられるような構成にできないか、試行錯誤しながら進行中です。

雨の日が多かった9月ですが、10月の天候はどうなるのでしょう。

稽古日程 ↓

9月の読書

停滞空間* アイザック・アシモフ 早川書房 1979
日本藝能史六講* 折口信夫 講談社学術文庫 1991
メソポタミアのボート三人男* 高野秀行 集英社 2026
我々の死者と未来の他者* 大澤真幸 集英社インターナショナル 2024

鶏まみれ* 繁延あづさ 亜紀書房 2026
 射程の長い本だ。


2026年9月29日火曜日

AIとの付き合い方

AIとはどう付き合っていけばよいのだろう。
今の時代、ネットに接続される=AI利用になってしまう。
ネットの向こう側には、大きなデータセンターがあって、いずれ有害廃棄物となる半導体が大量に納められ、それに膨大な電力が投入され、その冷却のために大量の水が使われる。きっと、その向こう側には火力発電所や原発が湯気を吐きながら電力を生み出している。

仕事をしている輩ほどAI利用には前向きだ。
道具を使うことによって、人は道具に似てくる。
AIを使えば使うほど、人間がAI化していくのは、避けようがない。
徒手空拳のいきかたが、どんどんAIに絡めとられていく未来しか見えてこない。
滑らか、かつ空疎。そんな奴、もう周りにいる気がする。

AI-Buddhaは、すでに活動している。
アンドロイド・ブッダもいるらしい。
そのうち、Haruchika-botが作られるだろう。
晴哉先生の講義録、文章をまるごとAIに読み込ませて、ヴァーチャル晴哉を作り出し、そのHaruchika botが質問に答えてくれる。

なんだか、ぞわーっとしてきた。

2026年9月27日日曜日

ズレ

はやく操法できる立場になりたいという若者。
でも、操法って、おとなの仕事なんだけどな〜、と返答に窮す。
やりたいやりたいと言ってる人たちはいるけれど、
たいがいいまだ子ども、あるいは、ある種の変態にしか見えない。
そもそも、そんなにひとの人生と関わりたいのか?

言葉はむずかしい。
今のやりとりのように見えて、その会話が成り立つのは十年後ということだってある。今、この言葉を発しても、それが相手に届くのは十年後、二十年後かもしれない。ひょっとすると永遠に届かないかもしれないと思いながら、今、会話している。

ジェネレーションギャップというのは、それぞれが持っている時間の物差しのちがいから生まれるらしい。さて、十年は長いか短いか。

2026年9月26日土曜日

君を見上げて

年に一度、あるいは二度、連れ合いは不調を訴え、眠りモードに入る。
今週なかば、用事で行った大阪から帰ってきて、そのまま、眠りモードに入ってしまった。人混みを歩いたのも引き金になったのかもしれない。たまにトイレに立って(這って)ゲーゲーやってるが、まるまる60時間、布団の中にいた。

四日目になって、ようやく起き出してきた。まだふらふらする様子だが、少しづつ冬眠から覚めてきた感じ。立ち上がった姿をみると、ちょっと違和感がある。顔が上の方についている。もともと、短躯の僕より背は高いから、少し見上げるのはいつものことだが、いつもの角度だと、鼻口は見えるが、目を合わせられない。あらら、背が伸びてる。50近くなっても、背は伸びるらしい。

冬眠中の様子だと予定していた広島行きは無理だろうと宿はキャンセル、一人分の新幹線切符も払い戻してしまっていたのに、「やっぱり、広島に行こう」とのたまう。なに、このちゃぶ台返し。明日、切符が買えればという条件付きだが、広島に向かうことにした。

そういえば、「君を見上げて」というタイトルの小説、山田太一が書いてたな。

2026年9月20日日曜日

別もの

同じ稽古をやっているつもりなのに、英語を交えると、何かが変わってくる。
いや、まったく違うことやってるんじゃないかと、ふと感じる。
今日、筆動法の稽古をやっていて、殊にこれを感じた。
ためがない。重みがない。しずみがない。
ダメというわけでは全然なくて、稽古としては問題なく成立している。
縦書きと横書きの違い?
どう理解すべきか。

2026年9月14日月曜日

条件

8歳の孫がジージに弟子入りしたいという。
これは嬉しい。三兄弟のなかでは一番素質があるかもしれない。
ガッツはある。なんせ、3歳で家出して京都まで来た人なのだ。
次男坊ゆえなのか、気働きも抜群。

では、弟子入りの条件はどうしよう。

前回の回り稽古が終わったあと、等持院稽古場で担当指導者5人の座談会をやったのだが、その時に稽古場に入る者の「心構え」の話が出た。二子玉川に稽古場ができた当初、裕之先生がオリエンテーションの時に話されていたことである。

次の者、稽古場に入るべからず、という否定形ではじまる。
1. 自らの体を全力で使うことを惜しむ者
2. 自らの感覚を疑う者
3. 自らの身体をおそれる者

正確な文言ではないかもしれないが、概ね、以上に挙げたような内容だった。裕之先生がどういう意図でそう話されたのか、僕らは、それらを、どう受け止めていたのか。時代的背景も含め、今一度、吟味する意味がありそうだ。

そう、弟子入りに条件の話でした。
8歳の孫にはすでに上記3条件を満たしていそうだ。
というか、ここにたどり着くまで一代目は苦労する。
ダン先生がいっときよく「整体三代」と言っていた意味もここにあるのだろう。

欲張りジージは考える。
これにさらに条件をつけるとすると、何があるのだろう?

1 )   10代20代のうちに海外で暮らす。最低一年。
 マイノリティ経験のない人に指導者は向かない。ま、整体の水で育っていれば、自分がマイノリティであることは、どこかの段階で気づくことになるのだが。言語を通して、自分を相対化する経験も大事。
2)家事ができること。
 料理、洗濯、身の回りのことが自分でできなきゃダメでしょう。力仕事もできたほうが良い。DIY的プリコラージュ能力は必須。

 要するに自分に足りないものを列挙しているだけではないか。

2026年9月8日火曜日

書字計算法

 寝苦しい夜が続いていたので、地球は「熱的死」に向かっているにちがいないと考えた。昔々、この熱死をテーマにしたSFを読んだ記憶があるのだが定かではない。エントロピーが飽和して動かなくなった世界。図書館で、この言葉をキーワードに検索したら『停滞空間』というタイトルの短編集が引っかかってきたので、借りて読むことにした。どっかの図書館の書庫で眠っていたらしい。アイザック・アシモフなんて、懐かしい名前ではないか。自分の読書ノートを探っても、ここ40年間、アシモフの名前は出てこない。さかんにSFを読んでいたのは20代まで遡るらしい。

 この短編集に収められているのは、1950年代の作品。まだ、コンピュータは黎明期でしかない。なのに、AIを思わせるコンピュータが人間のすべての問いに答える「世界のあらゆる悩み」、人が自分で計算することができる能力を有することが奇跡とされる「ナンバー計画」等々、今の時代を予言する小説が連なっている。

 「ナンバー計画」は書字計算法という、僕らのいう筆算の話。その中に、17x23という2桁同士の掛算が出てくる。思わず、紙の上で筆算してみる。問題なくできて一安心。次に出てきたのが5738x7239という掛算。4桁の掛算なんて、随分やってないぞと思いながら、これにも挑戦。指で繰り上がりの数を数えたり、ちょっと苦労しながらやり遂げる。

 お目当ての、僕が熱的死と考えていた小説は含まれていなかったが、頭の体操はできた。次は6桁くらいの掛算に挑戦してみようか。ぼくらは、計算機が叩き出す数字を正しいと信じているが、本当に正しいのか、一度確かめた方がよい。



2026年9月5日土曜日

週2

集団の稽古を週2にしたら、ずいぶん稽古した感がある。
もし、週2の稽古を10週間続けたら、なんか身につくんじゃないかと思えるほど。
片桐ユズルさんが、強調してた「週2マジック」の意味がわかる気がする。

僕の稽古場では基礎しかやらない。
昔々やっていた稽古のリバイバルも多い。
でも、現在地の知見を持って過去にやった稽古をやると、温故知新というべきか、稽古に新しい光を当てられる。故に、闇雲にやっていた稽古に筋道を与えることができるから、参加しているひとには、きっと分かりやすい。僕らが30年かけてやってきたことを3年で伝えられるかもしれない。もっとも、体は保守的で、頭はそれに輪をかけて頑固だから、身につけるまでには、やはり相応の時間がかかる。

それにしても、今ごろになって、なんで海外から人が来るのか?
今週も舞踏女子2名、オーストラリア、アメリカからやってきた。はじまりは、去年のヨーロッパ遠征。ウィーンの会に出てたオーストリア人男子が去年の暮れにフィンランド人舞踏男子を連れてきたのが連鎖して、今年になって毎月のように誰かが訪ねてくる。今月半ばからは田中さんつながりのブラジル人研究者が3ヶ月の予定で京都に来ることになっている。

さて、週2の稽古はどう展開していくのだろう。