2026年10月2日金曜日

秋なのね

まだ夏の気分でいたらしい。
5時過ぎに買い物に出て、空を見上げたら秋の雲。
陽の落ちる時間も早くなっている。
秋分が過ぎていることをすっかり忘れていた。



2026年10月1日木曜日

歯が欠けた

お米を食べていたら、小石が混じっている。
え、今どき、米に石なんぞ混じることはないだろう。混じってたとしても、米研ぎの段階で気づくはずだ。いったいなんだろうと口から取り出してみたら、なんと歯の欠片。
え〜と思って、すでに欠けて、歯茎から上がなくなっている奥歯に触れてみるが、その歯ではない。指で一本一本たどってみるが分からない。今度は、舌で歯の裏側をたどっていくと、門歯から数えて4番目の歯の裏っかわに舌先がすっぽり入る箇処がある。これだ。どうやら、表側だけを残して、裏側が丸く外れてしまったらしい。長年の風雪に耐えられず、裏側だけが崩落した状態。容積的には、その歯の半分くらいがなくなったことになるが、両側の歯の間にあって、しばらくの間は、鎹としての役目は果たしてくれそうだ。

30年近く前、親不知を抜いて以来、歯医者にはおそろしくて近づいていない。
3人くらいの大人に体を押さえつけられて、口をこじ開けられ、大きなペンチ状のもの(抜歯鉗子というらしい)を口に突っ込まれ、力づくで歯を抜かれた。麻酔もキツくて、抜歯から半年くらいは廃人ように(大袈裟ですが)過ごしたことがある。もうトラウマ。以来、虫歯が痛もうが、水がしみようが、ひたすら歯ブラシで歯茎をゴシゴシ刺激して経過させてきた。野蛮ではあるが、あの歯医者の野蛮さとは比べようがない。

成人の歯の本数は親不知を入れて32本とか。奥歯はもうないが、まだ8割残ってる。よしっ。

2026年9月30日水曜日

稽古日程10月〜

9月からはじめた週2での集団稽古、1ヶ月無事終了。
Julianaさんが京都にいる11月までは続けようと思います。
生観法基礎、動法基礎、それぞれ全10回くらいになるはずなので、3ヶ月終わる頃には、基礎稽古のカリキュラムができあがりそう。とはいえ、参加者の顔ぶれによって、また、初手になにを置くかで中味が変わってくるのが稽古の醍醐味。あっちに流れ、こっちに流れしながら、最終的に全体が捉えられるような構成にできないか、試行錯誤しながら進行中です。

雨の日が多かった9月ですが、10月の天候はどうなるのでしょう。

稽古日程 ↓

9月の読書

停滞空間* アイザック・アシモフ 早川書房 1979
日本藝能史六講* 折口信夫 講談社学術文庫 1991
メソポタミアのボート三人男* 高野秀行 集英社 2026
我々の死者と未来の他者* 大澤真幸 集英社インターナショナル 2024

鶏まみれ* 繁延あづさ 亜紀書房 2026
 射程の長い本だ。


2026年9月29日火曜日

AIとの付き合い方

AIとはどう付き合っていけばよいのだろう。
今の時代、ネットに接続される=AI利用になってしまう。
ネットの向こう側には、大きなデータセンターがあって、いずれ有害廃棄物となる半導体が大量に納められ、それに膨大な電力が投入され、その冷却のために大量の水が使われる。きっと、その向こう側には火力発電所や原発が湯気を吐きながら電力を生み出している。

仕事をしている輩ほどAI利用には前向きだ。
道具を使うことによって、人は道具に似てくる。
AIを使えば使うほど、人間がAI化していくのは、避けようがない。
徒手空拳のいきかたが、どんどんAIに絡めとられていく未来しか見えてこない。
滑らか、かつ空疎。そんな奴、もう周りにいる気がする。

AI-Buddhaは、すでに活動している。
アンドロイド・ブッダもいるらしい。
そのうち、Haruchika-botが作られるだろう。
晴哉先生の講義録、文章をまるごとAIに読み込ませて、ヴァーチャル晴哉を作り出し、そのHaruchika botが質問に答えてくれる。

なんだか、ぞわーっとしてきた。

2026年9月27日日曜日

ズレ

はやく操法できる立場になりたいという若者。
でも、操法って、おとなの仕事なんだけどな〜、と返答に窮す。
やりたいやりたいと言ってる人たちはいるけれど、
たいがいいまだ子ども、あるいは、ある種の変態にしか見えない。
そもそも、そんなにひとの人生と関わりたいのか?

言葉はむずかしい。
今のやりとりのように見えて、その会話が成り立つのは十年後ということだってある。今、この言葉を発しても、それが相手に届くのは十年後、二十年後かもしれない。ひょっとすると永遠に届かないかもしれないと思いながら、今、会話している。

ジェネレーションギャップというのは、それぞれが持っている時間の物差しのちがいから生まれるらしい。さて、十年は長いか短いか。

2026年9月26日土曜日

君を見上げて

年に一度、あるいは二度、連れ合いは不調を訴え、眠りモードに入る。
今週なかば、用事で行った大阪から帰ってきて、そのまま、眠りモードに入ってしまった。人混みを歩いたのも引き金になったのかもしれない。たまにトイレに立って(這って)ゲーゲーやってるが、まるまる60時間、布団の中にいた。

四日目になって、ようやく起き出してきた。まだふらふらする様子だが、少しづつ冬眠から覚めてきた感じ。立ち上がった姿をみると、ちょっと違和感がある。顔が上の方についている。もともと、短躯の僕より背は高いから、少し見上げるのはいつものことだが、いつもの角度だと、鼻口は見えるが、目を合わせられない。あらら、背が伸びてる。50近くなっても、背は伸びるらしい。

冬眠中の様子だと予定していた広島行きは無理だろうと宿はキャンセル、一人分の新幹線切符も払い戻してしまっていたのに、「やっぱり、広島に行こう」とのたまう。なに、このちゃぶ台返し。明日、切符が買えればという条件付きだが、広島に向かうことにした。

そういえば、「君を見上げて」というタイトルの小説、山田太一が書いてたな。

2026年9月20日日曜日

別もの

同じ稽古をやっているつもりなのに、英語を交えると、何かが変わってくる。
いや、まったく違うことやってるんじゃないかと、ふと感じる。
今日、筆動法の稽古をやっていて、殊にこれを感じた。
ためがない。重みがない。しずみがない。
ダメというわけでは全然なくて、稽古としては問題なく成立している。
縦書きと横書きの違い?
どう理解すべきか。

2026年9月14日月曜日

条件

8歳の孫がジージに弟子入りしたいという。
これは嬉しい。三兄弟のなかでは一番素質があるかもしれない。
ガッツはある。なんせ、3歳で家出して京都まで来た人なのだ。
次男坊ゆえなのか、気働きも抜群。

では、弟子入りの条件はどうしよう。

前回の回り稽古が終わったあと、等持院稽古場で担当指導者5人の座談会をやったのだが、その時に稽古場に入る者の「心構え」の話が出た。二子玉川に稽古場ができた当初、裕之先生がオリエンテーションの時に話されていたことである。

次の者、稽古場に入るべからず、という否定形ではじまる。
1. 自らの体を全力で使うことを惜しむ者
2. 自らの感覚を疑う者
3. 自らの身体をおそれる者

正確な文言ではないかもしれないが、概ね、以上に挙げたような内容だった。裕之先生がどういう意図でそう話されたのか、僕らは、それらを、どう受け止めていたのか。時代的背景も含め、今一度、吟味する意味がありそうだ。

そう、弟子入りに条件の話でした。
8歳の孫にはすでに上記3条件を満たしていそうだ。
というか、ここにたどり着くまで一代目は苦労する。
ダン先生がいっときよく「整体三代」と言っていた意味もここにあるのだろう。

欲張りジージは考える。
これにさらに条件をつけるとすると、何があるのだろう?

1 )   10代20代のうちに海外で暮らす。最低一年。
 マイノリティ経験のない人に指導者は向かない。ま、整体の水で育っていれば、自分がマイノリティであることは、どこかの段階で気づくことになるのだが。言語を通して、自分を相対化する経験も大事。
2)家事ができること。
 料理、洗濯、身の回りのことが自分でできなきゃダメでしょう。力仕事もできたほうが良い。DIY的プリコラージュ能力は必須。

 要するに自分に足りないものを列挙しているだけではないか。

2026年9月8日火曜日

書字計算法

 寝苦しい夜が続いていたので、地球は「熱的死」に向かっているにちがいないと考えた。昔々、この熱死をテーマにしたSFを読んだ記憶があるのだが定かではない。エントロピーが飽和して動かなくなった世界。図書館で、この言葉をキーワードに検索したら『停滞空間』というタイトルの短編集が引っかかってきたので、借りて読むことにした。どっかの図書館の書庫で眠っていたらしい。アイザック・アシモフなんて、懐かしい名前ではないか。自分の読書ノートを探っても、ここ40年間、アシモフの名前は出てこない。さかんにSFを読んでいたのは20代まで遡るらしい。

 この短編集に収められているのは、1950年代の作品。まだ、コンピュータは黎明期でしかない。なのに、AIを思わせるコンピュータが人間のすべての問いに答える「世界のあらゆる悩み」、人が自分で計算することができる能力を有することが奇跡とされる「ナンバー計画」等々、今の時代を予言する小説が連なっている。

 「ナンバー計画」は書字計算法という、僕らのいう筆算の話。その中に、17x23という2桁同士の掛算が出てくる。思わず、紙の上で筆算してみる。問題なくできて一安心。次に出てきたのが5738x7239という掛算。4桁の掛算なんて、随分やってないぞと思いながら、これにも挑戦。指で繰り上がりの数を数えたり、ちょっと苦労しながらやり遂げる。

 お目当ての、僕が熱的死と考えていた小説は含まれていなかったが、頭の体操はできた。次は6桁くらいの掛算に挑戦してみようか。ぼくらは、計算機が叩き出す数字を正しいと信じているが、本当に正しいのか、一度確かめた方がよい。



2026年9月5日土曜日

週2

集団の稽古を週2にしたら、ずいぶん稽古した感がある。
もし、週2の稽古を10週間続けたら、なんか身につくんじゃないかと思えるほど。
片桐ユズルさんが、強調してた「週2マジック」の意味がわかる気がする。

僕の稽古場では基礎しかやらない。
昔々やっていた稽古のリバイバルも多い。
でも、現在地の知見を持って過去にやった稽古をやると、温故知新というべきか、稽古に新しい光を当てられる。故に、闇雲にやっていた稽古に筋道を与えることができるから、参加しているひとには、きっと分かりやすい。僕らが30年かけてやってきたことを3年で伝えられるかもしれない。もっとも、体は保守的で、頭はそれに輪をかけて頑固だから、身につけるまでには、やはり相応の時間がかかる。

それにしても、今ごろになって、なんで海外から人が来るのか?
今週も舞踏女子2名、オーストラリア、アメリカからやってきた。はじまりは、去年のヨーロッパ遠征。ウィーンの会に出てたオーストリア人男子が去年の暮れにフィンランド人舞踏男子を連れてきたのが連鎖して、今年になって毎月のように誰かが訪ねてくる。今月半ばからは田中さんつながりのブラジル人研究者が3ヶ月の予定で京都に来ることになっている。

さて、週2の稽古はどう展開していくのだろう。

2026年9月3日木曜日

更ける

順調に老いていると書いたが、釈然としない。
ふけると言ったほうがしっくりする。
fuketuと入力すると、「老ける」と文字変換されるが、「更ける」も出てくる。
こういう時は古語辞典である。

【老い】
1) 老人となる。
2) 植物などが衰える。枯れかかる。

【更け】
1) 自然に時や季節が深くなる。
2) 年をとる。

(岩波古語辞典)

なるほど。
前言撤回。
「順調に更けている」にする。

2026年8月31日月曜日

整体が消えた 3

 インゴルドやバラッドを読んでいく途中で気づいたのは、それらの本は、僕にとって整体あるいは野口晴哉を理解するための補助線ではないということだった。むしろ、野口晴哉・野口裕之の言説を通してインゴルドやバラッドが描こうとしている世界観を理解しようとしている。

 野口晴哉、さらにいえば野口裕之の教育論はもっと言及されるべき内容を持っている。1980年代中盤、数年に渡り夏季開催された裕之先生の育児講座の内容は、僕らの世代の整体観を形づくる上で大きな役割を果たしたし、同時期に整体協会の本部道場で開催されていた体癖講座もまた、野口晴哉の人間観を解説する素晴らしい講義だった。これらの音源はどこに保存されているのだろう?

 体癖論ひとつとっても、普遍的人間などいない、ひとつの目盛で人の能力は測れないと言ってるわけで、単純化された物差しを使おうとする現代社会に対しての強烈なカウンターになりうる思想だ。裕之先生が展開してきたものは、もっとラディカルかもしれない。つまり、それくらいの可能性を秘めている。であるのに、この潜在力は、他のジャンルと接続することなく、ここまで来てしまった。なぜか?

 野口晴哉を狭義の「整体」に押し込めていたのは僕らだった。そういうことだ。

稽古日程9月〜

9月から集団の稽古を増やします。
火曜日 11時〜13時 生観法基礎 月3回程度の開催になると思います。
随伴行気、観点といった基礎的知識も学べる会にしたいと思っています。
9月1日(火)が初回です。

ブラジルから女性ひとり稽古にやってくる予定で、その方が参加の場合、バイリンガル運用になります。

稽古日程 ↓

2026年8月30日日曜日

8月の読書

日本で一番美しい県は岩手県である* 三浦英之 柏書房 2025
教育とは何か ティム・インゴルド 亜紀書房 2025
私の幕末維新史* 渡辺京二 新潮選書 2025
青年は荒野をめざす* 五木寛之 文春文庫 2008
日本語のために 池澤夏樹編 河出書房新社 2016

青年は荒野をめざす

  60年前に書かれた青春小説を70歳になった僕が読んで楽しめるか?という興味で読みはじめた。絶対読んだことがあると思っていたのに、どうやらリアルタイムでは読んでないらしい。フォーククルセダーズの歌でこのタイトルを覚えていただけなのか。平凡パンチに連載されたものが1967年に出版されている。一般人の海外渡航が解禁されて間がないころの日本の話。二十歳のトランペットを吹く青年がロシア経由でヨーロッパに渡る。当時の青年のファンタジー満載(この小説がファンタジーを作り出した?)の冒険成長譚。思春期の男の子たちは熱中したかもしれないな。旅の最終目的地がポルトガルだなんて、沢木耕太郎の深夜特急と同じじゃないか。楽しめたか? ツッコミどころ満載だけど、ファンタジー小説として、しっかり楽しみました。上手いなあと思ったのは、解説として収められている、植草甚一の文章だったりするのだけれど。



2026年8月29日土曜日

糸瓜

ヘチマの花が咲いた!
百均で買ってくる台所用のスポンジは、マイクロプラスチックとなって下水に流れていく。ならば、それをヘチマで代替しようとこの春から挑戦してきた。種を買ってきて発芽させる。芽が出たと思ったら、虫にやられる。苗になった段階で地植えに変えると、また虫にやられる。こんなことを繰り返しながら、なんとか、鉢植えから一本、地植えから一本、それぞれ蔓を上に伸ばしはじめた。ヘチマの葉はゴーヤに比べると大ぶりで美しい。さて、実をつけるところまでたどり着けるか。

ちなみに、糸瓜は晩夏の季語。先週の筆動法の時間に書いてみた。





2026年8月28日金曜日

順調

目覚めはゆっくりだ。
生理的欲求で目を覚ますのだが、その欲求の現れ方がずいぶんゆるやかになってきた。トイレに駆け込むわけでもなく、慌てて冷蔵庫のドアを開けるでもない。家人が巻いてくれている煙草に火を点け、ゆっくり煙を吸い込んでいく。これが目覚めの儀式。

順調に老いている、と我ながら思う。
行動半径は日に日に縮まってきている。暑さのせいもあるけれど、人の多い街中に出るのは億劫だし、徒歩20分のコープに行くのさえ面倒くさい。石川も遠いが、月一回のことなので頑張って行く。東京千葉はさらに遠い。先日の整体観法講座も欠席。

耳はますます遠くなる。
集団のイベントへの参加にも腰が引ける。かろうじて、三日間の稽古会には出ているが、果たしていつまで続けられるか。耳が遠くなるということは、耳からのインプットはもう十分ですよと体が言ってるわけで、むしろ、集団からは身を引いて、ひとり思索にふける、来る人だけを相手に稽古する段階に入っているように思う。

と言いながら隠居への道は遠い。

2026年8月25日火曜日

日本語のために

ちょうど十年前に河出書房新社から刊行された池澤夏樹編日本文学全集の最終巻。
これは面白い。古本屋で半額で買えるから、今のうちに手に入れておいた方がよい。
先人たちが日本語をどのように成り立たせようとしてきたかという奮闘の記録が500頁に詰め込まれている。どの頁を開いても面白い。






フォルダ

人の人生に自分から踏み込むことはしないが、人の人生がやってくることは、ままある。体の中には過去というフォルダがあって、さまざまな経験の断片が時系列おかまいなしに放り込まれているようで、その中で断片たちは勝手に繋がり、勝手に成長を始めるらしい。