2023年8月30日水曜日

8月の読書

戦争調査会* 井上寿一 講談社新書 2017
朝鮮大学校物語* ヤン ヨンヒ KADOKAWA 2018
敗者としての東京* 吉見俊哉 筑摩選書 2023
何でも見てやろう* 小田実 講談社文庫 1979
和室礼賛* 「ふるまい」の空間学 晶文社 2022
常世の舟を漕ぎて* 緒方正人/辻信一 世織書房 1996
小さき者たちの* 松村圭一郎 ミシマ社 2023

2023年8月14日月曜日

稽古時間変更

19日(土)の筆動法のコマ、時間を下記の通り変更します。
11時〜14時  →   15時〜18時

2023年8月3日木曜日

半世紀 7 何でも見てやろう

小田実 の「何でも見てやろう」 は、生まれてはじめて自分のお小遣いで買ったという意味で思い出ぶかい一冊だ。同級生の家族が営む、町で唯一の本屋、石黒書店に、この本を取り寄せてもらうよう、勇気を振り絞って一人で出かけて行ったのだった。

出版社は河出書房新社。ビニールのカバーがかけられた一冊だった。初版が1961年とあるが、いくら読書少年だったとはいえ、小学生のぼくが読んだとは思えず、おそらく、実際に手にしたのは中学生になってからのことだろう。それでも、ずいぶん背伸びした中学生だった。

五木寛之 の「青年は荒野をめざす 」が刊行されたのが1967年。ここくらいからは、ほぼリアルタイムで読んでいるはず。僕よりふた回り若いバックパッカーには、沢木耕太郎 の「深夜特急 」あたりがバイブルになるかもしれないが、これが出たのは1986年。

僕にとってのバイブルは、やはり小田実の「何でも見てやろう」ということになる。たどったルートも、結果としてだが、小田に倣うことになった。

【追記】1967年に本書のカラー版というのが出版されている。僕が実際に手にしたのは、このカラー版の方であった可能性が高い。1967年であれば、中3の時ということになる。改めて読み直してみると、これは傑作です。



2023年8月2日水曜日

半世紀 6 「小さき者たちの」

 暑い。35度越えの猛暑日が10日以上続き、熱帯夜も同じように続いている。こんな日がいつかやってくるだろうことは、どこかで予感していた。そんな日が、とうとうやってきた、のかもしれない。

 半世紀前、エネルギー消費の問題は、先進国vs途上国という文脈で人口論とからめて議論されていた。これから途上国の人口が増え続け、その人たちが先進国並みにエネルギーを使い始めれば地球は保たない。先進国目線の都合の良い議論であった。僕が「一生車を持つことはないな」と思ったのは、インドの田舎で暮らしていた1974年のことで、実際、ここまで車を所有することなく、自前の家も建てることなく過ごしてきた。それが、ただの自己満足にすぎず、物欲が他の方向に向いていただけで、消費生活にどっぷり浸かって、これまで生活してきた。これは認めるしかない。

 「小さき者たちの」(松村圭一郎 ミシマ社 2023)という本を図書館で借りて読んでいる。1975年生まれのアフリカをフィールドとしてきた人類学者が、自分の生まれた九州・熊本の水俣病にまつわるテキストを読み込み、庶民と国家との関係を細やかに浮き上がらせている。この本の「ひきうける」という章の冒頭で引用されている、水俣病に関わった医師原田正純の言葉。「たとえば、町を歩いていて、たまたま交通事故を目撃するじゃないですか。事故の当事者とは関係なくても、現場に居合わせた責任みたいなものを背負ってしまう。偶然でもね。[中略] 地元の大学にいて神経学を勉強していて、しかも、それを見ちゃった。あの状態を見て、何も感じないほうがおかしい。ふつうの人は何かを感じる。もう逃れられないんじゃないですか。それこそ、見てしまった責任ですね。」(朝日新聞西部本社編『対話集 原田正純の遺言』岩波書店)

 見て見ぬフリをして生きていくのは、日本人の特技である。そんな日本人の一人として、僕も生きてきた。上掲書に、1973年3月、水俣病第一次訴訟に原告勝訴の判決とある。そう、僕が工業高専を卒業した年、海外に逃避した年が1973年なのだ。中堅技術者養成校として高専は1960年代はじめに設立されている。ふりかえれば、日本で公害問題が顕在化してきた歴史とともにあったともいえる。技術者として就職することは、加害者側に付くことになる。このような単純な図式から、僕はモラトリアムの道を選んだ。まあ、恵まれた環境にいたわけだ。





2023年7月30日日曜日

7月の読書

コソボ 苦闘する親米国家* 木村元彦 集英社インターナショナル 2023
腰抜け愛国談義* 半藤一利・宮崎駿 文春ジブリ文庫 2013
その農地私が買います* 高橋久美子 ミシマ社 2021
ここだけのごあいさつ* 三島邦弘 ちいさいミシマ社 2023
日本語擬態語辞典* 五味太郎 講談社アルファ文庫 2004
西の魔女が死んだ* 梨木香歩 新潮文庫 2001
政治と宗教* 島薗進編 岩波新書 2023
空洞のなかみ* 松重豊 毎日新聞出版 2020
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言語の本質 今井むつみ・秋田喜美 中公新書 2023
 言語だけでなく「学び」について示唆に富む一冊。中身は本の帯に書かれている通り。おすすめ。僕自身がAIに対して抱く「気味の悪さ」は、この本ではじめて出会った#記号接地問題 に由来しているのですね。AIに感覚センサーを接続しても、それらが「あるもの」しか感知できない以上、結局、的はずれなものしか生み出さないことは容易に想像できる。もっとも、とんでもないデストピアが出現しても迷惑千万な話なのだが。AIがいくら世の中に浸透しようと、僕の仕事は無くならない。それとも最初に弾圧を受けてしまう存在なのか。
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2023年7月25日火曜日

朝風呂のすすめ

京都連日の35度越え+熱帯夜。ちょっとこたえる。
シャワーばかり浴びていても埒があかないので、朝風呂にする。
熱中症の裏に冷えの問題があるというのは、整体の常識。

風呂にお湯を張り、まず脚湯するように、上は着たまま膝下までお湯にひたす。
ちょっと汗ばんできたら、上を脱ぎ、全身湯船につかる。
この段階で、少し追い焚きをしておくとよい。
暑い暑いといいながら、体はあちこちまだら上に冷えていることが自覚されるだろう。
その冷えを迎え入れていく。
長湯はしない。全身が温まったら、ガバリと湯船から出る。
体はよく拭いておく。
たった、これだけのことなのだが、一日の過ごし方は随分と変わる。

窓から入ってくるうるさいくらいの蝉時雨の声を聞きながら、
湯船につかっているといのは、ちょっと後ろめたい感じがしないわけではない。
それもまたよし。

2023年7月24日月曜日

同調

 五十代の十年、お茶の稽古に通った。月2が基本だったが、月1のこともあれば、数ヶ月、間がが空いたこともある。最初は二人で習いにいっていたが、途中からは、先生との一対一の稽古になった。結局、基本だけで終わり、お茶の広大な世界のほんの一部に触れただけで終わってしまったが、得難い経験をさせていただいた。先生役を買って出て頂いた、橋松枝さんには感謝しかない。この間、一度だけ、「茶室が茶を点てる」、という経験をした。もちろん、亭主の席に座し、お茶を点てているのは私なのだが、自分が点てている感じは全くなくて、お茶室が点てているとしか表現のしようがない、そのような経験だった。こんなふうに操法ができればと、切に思った。

 関東に暮らしていたころは、風狂知音の音楽も横濱エアジンに聴きに行っていた。僕が整体指導者への道に足を踏み出すきっかけを作ってくれた存在でもある。このことは、3年前、石川合同稽古会に覚張さんを呼んだ時、こんな風に書いた。↓ 

覚張幸子さんについて
 十年以上前のこと、いやもう少し前のことかもしれない。風狂知音のライブを横浜関内のエアジンに聴きにいった。ぼくがまだ事務局の仕事と大井町稽古場での稽古担当という二足のわらじを履いて大車輪で活動していた頃のことである。風狂知音は、覚張幸子(vocal)、田村博(piano)、津村和彦(guitar)の三人のジャズユニット。この人たちの作り出す音楽を通して、音楽とは聴くものではなく「体験」するものであるということを学んだのだけれど、その日のライブは格別で、もう、自分の体がバラバラにばらけてしまうという驚愕の経験をした。風狂知音の音楽には、稽古のエッセンスが覚張さんを通して注入されているので、翌日、裕之先生に、「こんな経験をしたのだけれど、これは整体で可能なのか?」と問いにいったことを覚えている。無論、返事は「そうだよ」というもの。それからしばらくして、僕は二足のわらじを脱ぐという一大決心をするのだけれど、このときの、風狂知音の音楽との出会いがひとつの契機であったことは、ぼくのなかでしっかりと記憶されている。数年前、津村さんが逝き、二人組みになってしまったけれど、風狂知音の活動は続いている。(2020/3/1)

     指導者の道に入ったはよいのだが、なかなか、お茶室で、あるいは、風狂知音のライブで経験したような出来事が操法の場で出現することは稀だった。いや、これまでなかったと言ってよい。ところが、それが突然やってきた。師匠に教わった手順通りやっただけなのだが、相手の背骨に触れるだけで、自分の背骨がのたうちはじめたのだ。言ってみれば、脊椎同士の活元運動。あとは、もう、その流れが導くままについていくだけ。同調とはこういうことなのだ、局処と全体との関係性とはこうなのだ、ということを身をもって体験する出来事だった。ブレークスルー!。これまで、「同調する」ことを稽古の中であれこれやってきたけれど、甘かった。本当に他者と同調できるためには、とんでもない体力が求められるのだ。逆にいうと、自分の体力に応じた同調しか出現しないということでもある。かなり怖い世界でもある。