2023年4月30日日曜日

4月の読書

ええかげん論* 土井善晴・中島岳志 ミシマ社 2022
この国のかたちを見つめ直す* 加藤陽子 朝日出版 2021
証し* 最相葉月 角川書店 2022
セクシュアリティをことばにする* 上野千鶴子対談集 青土社 2015
ニッポンが変わる、女が変える* 上野千鶴子 中央公論社 2013

2023年4月21日金曜日

証し

最相葉月さんの「証し」(KADOKAWA  2022)を10日かけて1000頁を読了。サブタイトルは日本のキリスト者。何ヶ月か前、本屋で手に取り、「いずれ読むべき本」リストに加えられた。最相さんの本は結構読んでいる。対象との距離の取り方が上手で、ちょっと理系っぽい文体も好きだ。

身近にキリスト者がいないわけではない。全般的に言えば「良い人たち」。でも、「北海道生まれの人たちは皆んないい人」と同じくらい、ステレオタイプな印象を持っているに過ぎない。 数千人に取材し、それを千頁の本にまとめた貴重な証言集。戦争があって震災があって...。日本という国に住む住人として、同じ時代をキリスト者というマイノリティとして生きてきた人たちの記録でもある。 量が語るものというのはある。

自分自身のキリスト教との関わりを思い出してみると、意外に近くにあった割に、教義については驚くほど無知なままでここまで生きてきた。それが逆に不思議でならない。 

僕の最初の英語の先生である阿部青鞋先生は俳人であり、そして牧師でもあった。1960年位のこと。でも、その俳句とキリスト教との関係を論じたものを目にしたことがない。 僕が20代から30代で繋がっていた大学はクエーカーが始めたもので、その大学の京都センターを率いていたJack Hasegawa氏はハーバードの神学校の出で、同志社に来てたんじゃなかったっけ。でも、彼とキリスト教の話をした記憶がない。 当時、その大学の関係者は、独裁政権下にあった韓国の人権運動支援に関わっていて、そのつながりで、僕自身、ソウルのFriends Meetingに出席したこともあるし함석헌 (ハム・ソクホン)先生にお会いしたこともある。1980年代の前半。 

こうして振り返ってみると、ここに挙げただけでなく、まだ他にもあるのだが、かすりながらも見事に出会ってない。これはキリスト教に限ったことではなくて、宗教と出会ってないのかもしれない。自分が仏教徒かどうかも怪しくなって、最近はお葬式に数珠を携えることさえをしなくなった。なのに四国を歩き、お寺では般若心経をよみ、真言を唱えているのだ。



2023年4月10日月曜日

出石に蕎麦を食べにいく

 城崎温泉にいく機会があったので、帰途、出石まで足を延ばすことにした。目的は蕎麦。

 これには前段があって、今月頭、石川で、筆動法の稽古会をやったおり、稽古の翌日、客人のリクエストに応えるべく、鶴来ツアーを企画した。麹屋、白山神社、そして蕎麦屋。白山稽古会の男性が車を出してくれて、女子3名が参加したのだが、帰りの電車の時間も決まっているし、蕎麦屋は行列しないと入れない店とのことだったので、全部は無理じゃないかと思っていた。その間、私は仕事。

 最近、美味しい蕎麦にありついてない。時々通っていた、近所の若い亭主がやっているお店は、何年か前、ミシュランなんちゃらになってから、行列のできるお店になってしまった。コロナ禍中は閉めていることも多かったが、観光客が戻ってきた今、再び長蛇の列である。地元民は行けない店になってしまった。

 普段の行いのよい人たちのグループだったのだろう、鶴来組はミッションを完遂して戻ってきた。麹も注文でき、美味しいお蕎麦も食べ、神社にもお参りできとのこと。稽古会も盛況で、満足できる二泊三日の石川行きだったのだが、僕の中では、蕎麦にありつけなかった一点のみが心残りであった。

 さて、出石である。城崎温泉から豊岡に出て、そこからバス。ゆるやかな道を内陸に向けて走っていくのだが、但馬は山の佇まいがよい。日本の豊かさって、結局、水の豊かさなのだと再認識する。出石は城下町。藩主の転によって、信州風の蕎麦が出石に持ち込まれたとのこと。それにしても蕎麦屋だらけ。そのなかの一軒に入り、皿そば8枚いただいてきた。これで、ちょっと気が済んだ。





2023年3月30日木曜日

3月の読書

 インスタのおかげで、以前より、この欄が充実してきた。本の読みかたも以前より丁寧になった。それだけ書影の力は大きいのだね。

 シンクロと自由* 村瀬孝生 医学書院 2022 
 同僚のY女史は、「わたしゃ103歳まで生きる」と決めていて、一緒に歳取ろうと広島弁で迫ってくるのだが、僕は逃げ腰である。とはいえ、70代に入り、これから先、自分がどのように老いていくかには興味がある。一人の人間に与えられたその時々の能力の総和は一生不変で、なにかを獲得するということは、なにかを捨てているというトレードオフの関係にあるのではないかという仮説を立てている。耳が遠くなってきた私にはなにが育ってきているのだろうか。
 ボケの出てきた人に「認知症」というラベルを貼るのは現在の社会制度である。それを病気として扱うことで本人と無関係に周りは安心する。このシンクロと自由 では、そのような老人たちは、時間からも役割からも解放されつつある存在であり、老人たちに丁寧に付き合っている中で介護者側の通念が揺らいでいく様が、スリリングに描かれている。基準となっている社会制度、社会通念は、思っているほど堅牢なものではなく、背景が少しずれるだけで、物事の見え方は変わっていくのだ。
 この医学書院のケアをひらくシリーズ 、どれもこれも秀逸で、おそらく半分以上読んでいるのではないかしら。

語学の天才まで1億光年* 高野秀行 集英社インターナショナル 2022 
 新しい著書が出ると、ほぼ必ず読むという著者が、おそらく10人くらいいる。高野秀行もその一人。大自然を相手にした正統派冒険家の本も好きだが、そこからちょっとズレてしまい、人の間にどんどん入っていく高野秀行の方により惹かれてしまう。この本を読みはじめ、え、こんなに文章下手だったっけ、と戸惑う。なんか肩に力入りすぎ。言語を軸に話が展開していく今回の本は、これまでの現地シリーズと随分趣きが違う。現地の話はもちろんたくさん出てくるが、「言語と青春」という自伝的要素が強い。早稲田の仏文でコンゴ人作家の小説を卒論にして最高得点を獲得するという輝かしい経歴を持っているなんて想像しなかった。整体協会の理事を務められていた加藤尚宏先生の授業に出ていた可能性もある。

れるられる* 最相葉月 岩波書店 2015
 出版直後に読んでいたはずなのに、図書館で再び借りて読み始めたら、中身をまったく覚えていない。この本の中で参照されていた、映画「大いなる沈黙へ」がAmazonプライムで見られることを知り、早速観てみた。修行者の表情を正面から至近距離で10秒間ただ撮るというショットが随所に挿入されている。このシーンが印象に残る。

土と文明史* デイビッド・モントゴメリー 築地書店 2010
 「土・牛・微生物」「土と内臓」と読み進め、同じ著者の三部作を逆方向に読んできたことになる。 

韓国カルチャー* 伊東順子 集英社新書 2022
 僕の韓国理解は30年前で止まっている。というか、そもそも理解などしていなかったのだというこを、去年、斎藤真理子 さんの韓国文学の中心にあるもの と出会うことで痛感したのだけれど、では、この30年の空白をどのように埋めていけばよいのだろう。手掛かりになりそうな一冊と出会った。韓国映画にも言及されていて、さっそく、朝鮮戦争をテーマにした「国際市場で会いましょう」を、これまたAmazonで観てみた。韓国で1400万人が劇場に足を運んだという2014年の作品。後半の離散家族探しの場面では、もう滂沱の涙。公開当時の劇場の様子はどうだったんだろう。

22世紀を見る君たちへ*平田オリザ 講談社新書 2020
 月末に豊岡に行くことになった。5年前に僕の稽古場で短期間稽古に来ていたアルゼンチンの知人がKIAC(城崎国際アートセンター)のアーティストinレジデンスプログラムで来日するとのこと。城崎まで出かけて行って稽古するのかー。豊岡遠い。予習のつもりで、そのKIAC立ち上げのキーパーソンである平田オリザ の近著を読んでみることにした。なんと、大学入試制度について書かれた本だった。入試制度に関しても、自分の頭の中がアップデートされていない。少子化で定員上は大学も全入の時代に入り、大学の側も優秀な学生を集めるのに工夫が求められている。入試改革を梃子に、その下の世代の教育も変えていこうという目論見なのだが、有象無象なだれ込んできてスムースに改革は進んでいかない。地方自治体が小中一貫教育をやる時代なんだ。教育制度の改革とふるさと創生が手をつなぎ、移住の促進によって少子化を食い止める。なるほどね。豊岡市はそのような道を模索している。KIACの立ち位置が少し理解できた気がする。

2023年3月23日木曜日

遍路2023 その3

28番札所大日寺を打って、今回の遍路行は終了。そこからさらに4キロ歩いてJR土佐山田駅にたどり着く。遠隔みどりの窓口で切符を買い、岡山行きの特急南風に乗り込む。座っているだけなのに体が「運ばれ」ていくという不思議。

列車は大歩危を過ぎ、善通寺を経て、瀬戸内海を越えていく。休日前のせいなのか、岡山駅は混み合っている。新幹線で新大阪、そして京都。わずか4時間で高知から京都に帰ってくるという不思議。

今回歩いたのは、23番札所薬王寺から28番大日寺。お寺間の距離にして150キロ。実際に歩いた距離は180キロ。それを8日かけて歩いてきた。ここから、高知市内に入り、1番から最も遠い足摺岬を目指すことになる。ますます、帰って来れなくなってくる。

帰って来て三日目。朝5時になると、まず脚が目覚めてくる。そして「さあ、今日も歩こう」と呼びかけてくる。おいおい、今日はオフなんですけど。続きは来月。

2023年3月22日水曜日

遍路2023 その2

隧道の壁を伝いて遍路ゆく

徳島から室戸岬を経て高知に至る国道55号線をひたすら歩く。徳島側はトンネルも多く、車がビュンビュン走っている横を歩くことになる。海沿いとはいえ、アップダウンの繰り返し。幸い天気には恵まれた。何日か歩いたあと、宿の洗面所に鏡に映る自分の顔に驚いた。日焼けしてる。

舗装道路は人間の脚には優しくない。いや、これは罰ゲームなのかというくらい過酷である。歩道もあるが、これももちろん舗装されていて、おまけに車道よりも小さなアップダウンがあって、それがつらい。いっそ、フラットな車道の端っこを歩いた方が楽だったりする。アスファルト道というのは、コミュニケーションを拒絶しているとしか思えない。かろうじてコミュニケーション可能なのが、側溝を覆うために置かれたブロックの上を歩くこと。その下にある空気を感じ取りながら歩くと脚もひと息つく。道路脇に落ち葉が溜まっていたり苔に覆われていると嬉しくなる。

阿波は発心の道場で、土佐は修行の道場と言うらしい。いつごろ誰が言いはじめたのか知らないけれど、コピーとしては優れている。たしかに徳島を歩いているときには、なんでこんなこと始めちゃったんだろうという迷いがあった。でも室戸岬を目指して歩き始めると、もう前に進んでいくしかない。関西からの玄関口である徳島駅から、どんどん遠ざかり、高知まで歩かないと京都に帰ってこれないのだ。



遍路2023 その1

遍路から帰ってきて体重計に乗ったら、微塵も減ってない。
荷物は7キロ。今回持って行ったものは一通り使ったから、どう軽量化していけばよいのやら。

遍路は前に進まなくてはならない
しかし、先をを急いではいけない
というのが去年阿波路を歩いて得た教訓だが、今年の遍路行は、「土佐路を軽快に駆け抜ける」 というイメージで始めることにした。が、初日にして「軽快」が消え、二日目には「駆け抜ける」を「歩き通す」に差し替えた。

休憩時間、迷う時間を含めると時速3キロである。一日25キロがせいぜいであり、今時点の適量。健脚の人は、普通に30キロ35キロ先の宿を予約して歩いているが、今の僕には度を越えている。それでも、一日25キロ歩いて宿にたどり着くと、手すりに掴まらないと階段を登るのが困難なくらいボロボロになっている。でも、風呂に入り、普段の三倍量の夕食をいただいて布団に入ると、朝には復活している。大袈裟に言ってしまえば、毎日、死と再生を繰り返すことになる。

23番薬王寺から24番最御崎寺まで75キロ