2024年1月31日水曜日

片桐ユズルの字体

 片桐ユズルが1967年から1992年までの25年に渡って発行していた「かわら版」のデジタル化が3年がかりで完了した。資料化をはじめたはよいが、本体が見つからず、5年分を残したままになっていた。ところが、年が明け、歴史的資料としての「かわら版」に興味があるという研究者と出会い、あらためてユズルさんの書庫から引き揚げてきた資料を再チェックしているうちに、1974年から1979年の欠番部分を見つけてしまった。3月3日に片桐ユズルを偲ぶ会をやる予定にしているのだが、このタイミングで出てきたかと驚いている。

 「かわら版」の特徴といえば、ほぼ全部、片桐ユズルの手書きによって作られている点が挙げられる。1980年代に入ると、ワープロ文字も増えてくるのがが、それまでは基本手書き。活字の部分というと、新聞の切り抜きで、手書きと活字のコントラストが、とても面白い。ユズルさんの字はちょっと丸みをおびたやさしい字体で、ペンの太さもロゴ、見出し、本文と、それぞれ違ったペンを使い、とても読みやすい。あれこれ工夫していたことがよくわかる。

 ともあれ、デジタル化した資料は、チラシ等も含め計1883頁。われながらよくやったものだ。




 

2024年1月28日日曜日

読書ノート 201401

私のものではない国で* 温又柔  中央公論社 2023

ヘルシンキ 生活の練習* 朴沙羅 筑摩書房 2021
 今年最初の一冊。図書館で予約してから手元に届くまでなんと16ヶ月。3年越しの予約。これはこれまでの最長待ち時間。図書館で本を予約するときには、所蔵冊数と予約数を見れば、大体、いつくらいに届くか見当がつけられる。半年待ちで本が届いて、一気読みして三日後に返却というパターンも多い。つまり本によって回転速度が違う。この「ヘルシンキ生活の練習」は、そういう意味で回転が超ゆっくりだった。手にとってみて合点がいった。これは手元に置いてゆっくり読みたい本だ。返却期限がきても、あと何日か延ばしたくなる気持ちもわかる。保育園に入る権利が保護者である親の労働状況に紐づけられている日本と、子どもの教育を受ける権利に紐づいているフィンランド。つまり保育園の位置付けがはなから違っている。このような社会に小さな子ども2人と一緒に分け入っていく極私的フィールドワーク。

イラク水滸伝* 高野秀行 文藝春秋 2023
 高野秀行 はどんどん「探検家」から「学者する探検家」にシフトしてきてる。もちろん褒め言葉。イラク水滸伝 は、イラク南部に広がる(年々縮小)湿地帯に入り込み、舟を作り葦の生える水路を移動し、人類最古ともいわれるシュメール文明と現代との連続性に思いを馳せる。反国家というか脱国家の民が生きてきた湿地帯のありようは、インドシナ山岳地帯のゾミア を彷彿とさせる。そういえば、この地域もまた高野の縄張りではないか。

狩りと漂泊 裸の大地* 角幡唯介 集英社 2022
 冒険家は極寒のなか、犬と共に橇を引きながらひたすら哲学する。なぜ43歳(当時)のオレはここにいるのか。哲学するとは、ひたすら言い訳を考えることなのだ。日本で待つ妻子を心に想いながら。その女々しさ(今どき、この言葉を使うと性差別的だと糾弾されるのだろうか?)が読者の母性(僕にも母性はある)に響く。

2024年1月22日月曜日

好調不調低調

年の瀬によりによって仙椎をしたたかぶつけた。
以来、自分が好調なのか不調なのか低調なのか、そのあたりの分別がつかなくなっている。

年末、娘が男の子三人連れて来京。
まあ、賑やかな正月になったのだが、ある日、孫3人のやりたいことが分裂し、僕は、結局、小1の長男と一緒にアイススケートに行くことになってしまった。

30年ぶりのスケートである。娘が小さい頃、こどもの国のスケートリンクに行って以来。リンクの外から見ているという選択肢もあったのだが、好奇心が勝り、大枚4000円を払い、小1男子と一緒にリンクに立ってしまった。三周くらい、手すりの掃除をした後、こわごわ手すりを離して歩き始める。膝を抜いて、後ろ足で蹴ると、前に進む。孫の相手をする余裕はない。前に進んでいくと、なぜか、どんどん手すりから遠ざかっていく。2周3周滑っていくうちに、真ん中近くまで進出してしまった。

リンク掃除の中断があり、その後、もうひと滑りしようと小1男子と一緒にリンクに入る。凸凹が削り取られた氷はツルツル。相変わらず、前足は止め、後ろ足で蹴るスタイル。転ぶこともなく順調に滑っている。また知らぬ間にリンク中央に出てしまっている。そこに、初心者と思しき二人組が接近して来たので、その人たちを避けようとして、見事に転んだ。氷って、こんなに硬かったけ、と空を眺めながら思った。仙椎をしたたか氷に打ちつけた。それでも、面としてぶつけたから、衝撃は最小限のはずだった。

うん、この打撲だと、一週間は風呂無理だなと、尻をさすりながら家路につく。実際、大晦日正月をはさむ一週間風呂無し。こんな正月は初めてだ。元旦に能登で大きな地震が起き、京都もしっかり揺れた。被災地にいる人たちのことを思えば、風呂に入れないくらいなんだ。年明けて、孫たちは千葉に帰り、今年の初風呂は5日。体が温まるのはよいのだが、翌日になると仙椎周りが疼きはじめ、まだ風呂は早いと警告してくる。実際、入浴せずとも、それは苦にならない。

稽古会もはじまり、普通に仕事して、普通に白山稽古会もこなしてきた。打撲の影響は思いのほか長引いていて、この調子だと半年一年付き合うことになりそうだ。去年の秋の大風邪、年末の打撲といろいろ起こる。そうしているうちに暦は進み、禁糖の季節到来である。

好調?不調?低調?
そんなことはどうでもよろしい。

2024年1月8日月曜日

1974年1月

1974年の新年を僕はニューメキシコ州サンタフェで迎えた。
と、ここまで書いて、同じ文章を十年前に書いていたことを思い出した。
まったく懲りないというか、進歩がないというか、我ながら情けない。
それでも、十年前より今年の方が、「あれから半世紀!」という意味では懐古のしがいがありそうだ。なので、懲りずに十年前の企画を続けることにする。そもそも、10年前の2014年の8月という暴風雨が襲う直前のタイミングで、このような文章を書こうと思い立ったのか、今となっては謎である。今年一年かけて半世紀前の一年間を振り返ってみようと思う。すでに書いたものは、そちらにリンクを貼り、書き足りてないものは、新たに付け加えることにする。

1974年-序 why 1974?

1974年1月 Santa Fe


 十年前の文章を読み返してみて、「なんでサンタフェの地に降り立ったのか」という説明がない。なので補足します。

 工業高専を卒業したのが1973年の春。その半年後、僕はFriends World Collegeというクェーカー(Friends Society)が立ち上げた小さな大学のニューヨークキャンパスにいた。3ヶ月のオリエンテーション、3ヶ月のフィールドワーク、そして、キャンパスに戻って2ヶ月のまとめ、レポート提出。一年間をこのように区切ったカリキュラムが組まれていた。最初の3ヶ月は悲惨そのもので、ただただ英語と格闘していた。課題図書として、フレイレの「Pedagogy of the Oppressed」、イリイチの「Deschooling Society」、デューイの「Experience and Education」をポンと渡された。日本語で考えることができなくなっていく。なのに英語は出てくる気配はない。言語の空白地帯を彷徨っていた。

 第二期のフィールドワークは、学生各自の関心に応じて、学生たちはアメリカ国中に散らばっていく。今でいうインターンのようなものか。僕をボランティアとして受け入れてくれたのがサンタフェにあるSanta Fe Community Schoolというフリースクールだった。キャンパスでの寮生活もカオスであったが、サンタフェで待っていたのは更なるカオスだった。ちなみに、当時の僕の英語力は極少である、というか、今でも英語力は十分低い。

2024年1月4日木曜日

地元

今年のテーマのひとつは「地元」になりそうだ。
ご近所の古くから住んでいる人たちには「お客さん」として見られている。
それでも、京都暮らし9年目にして、神社のお祭りで配られるお餅を取り置いてくれるようになったり、少しづつ受け入れられている感はある。

わが家を起点に半径500メートル、1キロの同心円を描いてみた。
自分たちがどの範囲で動いているのかわかるだろう。

1キロ圏内に、龍安寺、仁和寺、妙心寺、北野天満宮といった名刹古刹。
金閣寺にしても1キロ強だ。観光客が生活圏に入り込んでくるはずだ。
買物に行くコープさん、イズミヤも1キロ圏内。

500メートル圏に立命館大学がすっぽり収まる。
このエリア、近年ずいぶん充実してきた。
単に馴染みのお店が増えたということなのだが、徒歩圏内に知り合いのお店があるというのは心強い。

もうひとつ外側に半径2キロの円を描けば、豆腐屋さん、やさいの佐伯さん、豆屋さん、中央図書館も収まるし、生活の9割は成り立ってしまうのではないだろうか。

今年は、解像度をもう少し上げてみよう。


2023年12月30日土曜日

12月の読書

感情の向こうがわ* 光岡英稔・名越康文 国書刊行会 2022
ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた* 斎藤幸平 KADOKAWA  2022
翻訳、一期一会* 鴻巣友季子 左右社 2022
さみしさは彼方* 奥田直美・奥田順平 岩波書店 2023
清少納言を求めて、フィンランドから京都へ* ミア・カンキマキ 草思社 2021

本の栞にぶら下がる* 斎藤真理子 岩波書店 2023
 岩波書店の「図書」に連載されていた文章をまとめたものらしい。斎藤さんは僕よりひとまわり年下のようだけれど、同じ時代の空気を吸ってきた方のようだ。斎藤さんの本に度々引用されていた#鶴見俊輔 の文章が読みたくなって、石川行きのサンダーバードの供に本棚から#思い出袋 を抜き出して鞄に入れた。これもまた「図書」に連載されたもの。直接の面識はないけれど、鶴見さんもまた大文字で語らない人だった。

歌仙はすごい* 辻原登・永田和宏・長谷川櫂 中公新書 2019
 歌仙はすごい というタイトルは如何なものかと思うけれど、中身は面白い。小説家、歌人、俳人というジャンル違いの三人が一堂に会して歌仙を巻く。場所を変え、季節を変え、全部で8巻の歌仙がおさめられている。永田和宏というのは、どのような歌を詠んできた人なのだろう。俄然、興味が湧いてきた。歌仙のルールも説明されていて、連句の良い入門書にもなっている。

2023年12月28日木曜日

発熱とメタモルフォーゼ

 今年一番の出来事ってなんだろうと一年を振り返る。四国遍路2年目で、春、日和佐から室戸岬経由で高知市直前までの150キロを歩いたこと。でも、それにも増して、一番の出来事は秋、39度越えの発熱と、それに従うひと月余りの低温期を無事経過したことだろう。それくらい大きな出来事だった。

 そもそも、僕が整体の道に入ったのは、晴哉先生の「風邪の効用」と僕がカルチャーショック熱と呼んでいた、異文化との出会いにおける体調不良期に共通項を発見したことに遡る。つまり、整体の「風邪を経過する」という考え方こそが、学ぶというプロセスを解き明かす鍵になると直感したからだった。

 塾をやっている友人の話。塾を何度かお休みした小学生の生徒さんがいて、お休みから戻ってきたら、それまで出来なかった複雑な引き算が急にすらすらできるようになったという。保護者にお休みの理由を訊いたら、大風邪を引いて39度を超える熱が何日か続いたという。発熱したら急に頭が良くなったってどういうことですかね、と彼は訝っていたが、不思議なことではない。

 鶴見俊輔の「思い出袋」におさめられている逸話(188頁)。15歳で無理矢理アメリカの全寮制の高校に放り込まれ、数ヶ月間、英語が全くわからないまま授業に出席していた。ある晩発熱し、三日三晩高熱にうなされ、それが癒えて学校に戻ったら、先生同級生の英語が理解できるようになっていた。さもありなんである。

 おそらく、このような出来事は誰しも経験しているはずだ。子育てしていればわかるが、子どもはしょっちゅう発熱する生き物だ。その度に子どもは脱皮し、成長している。この成長過程に気づかない大人がいるとすれば、相当に問題だ。稽古場というのは、この「大人問題」と取り組む場でもあった。

 来年は、このあたりの育児論、教育論、整体論を話できる会を等持院稽古場で始めようかと思っている。