2024年1月8日月曜日

1974年1月

1974年の新年を僕はニューメキシコ州サンタフェで迎えた。
と、ここまで書いて、同じ文章を十年前に書いていたことを思い出した。
まったく懲りないというか、進歩がないというか、我ながら情けない。
それでも、十年前より今年の方が、「あれから半世紀!」という意味では懐古のしがいがありそうだ。なので、懲りずに十年前の企画を続けることにする。そもそも、10年前の2014年の8月という暴風雨が襲う直前のタイミングで、このような文章を書こうと思い立ったのか、今となっては謎である。今年一年かけて半世紀前の一年間を振り返ってみようと思う。すでに書いたものは、そちらにリンクを貼り、書き足りてないものは、新たに付け加えることにする。

1974年-序 why 1974?

1974年1月 Santa Fe


 十年前の文章を読み返してみて、「なんでサンタフェの地に降り立ったのか」という説明がない。なので補足します。

 工業高専を卒業したのが1973年の春。その半年後、僕はFriends World Collegeというクェーカー(Friends Society)が立ち上げた小さな大学のニューヨークキャンパスにいた。3ヶ月のオリエンテーション、3ヶ月のフィールドワーク、そして、キャンパスに戻って2ヶ月のまとめ、レポート提出。一年間をこのように区切ったカリキュラムが組まれていた。最初の3ヶ月は悲惨そのもので、ただただ英語と格闘していた。課題図書として、フレイレの「Pedagogy of the Oppressed」、イリイチの「Deschooling Society」、デューイの「Experience and Education」をポンと渡された。日本語で考えることができなくなっていく。なのに英語は出てくる気配はない。言語の空白地帯を彷徨っていた。

 第二期のフィールドワークは、学生各自の関心に応じて、学生たちはアメリカ国中に散らばっていく。今でいうインターンのようなものか。僕をボランティアとして受け入れてくれたのがサンタフェにあるSanta Fe Community Schoolというフリースクールだった。キャンパスでの寮生活もカオスであったが、サンタフェで待っていたのは更なるカオスだった。ちなみに、当時の僕の英語力は極少である、というか、今でも英語力は十分低い。