2025年7月30日水曜日

7月の読書

ノイエ・ハイマート* 池澤夏樹 新潮社 2024
家事か地獄か* 板垣えみ子 マガジンハウス 2023
森の探偵 宮崎学・小原真史 亜紀書房 2021
イマドキの野生動物* 宮崎学 農文協 2012
感情の向こうがわ 光岡光稔・名越康文 国書刊行会 2022
地図は語る* J・チェシャー O・ウベルティ 日経ナショナルジオグラフィック 2023

2025年7月22日火曜日

風景としての整体

風景としての整体というものはある。

では、どこまでが整体で、どこから整体でなくなってしまうのか?
やっている中身はともかく、畳の上で行うことで成り立つ整体というものはある。
では、フローリングの床でやった今回の稽古会ー当地ではワークショップと呼んでいるーはどうだったのか?

身体観が変わらないと整体は理解できない。
まったく、その通りで、身体観を変えていくことで、僕らは整体の道を進んできた、はずだ。では、身体観を変えるための整体という表現は可能なのか?

ドイツで長年続いている稽古会に参加している日本人の方が、ウィーンのワークショップにやってきて、動法を初めて経験する当地の人が「カタ」に入るのを目撃してカルチャーショックを受けたと、事後、メールで感想を送ってくれた。新しい身体観に触れたことは確かだろう。でも、それは、整体と出会ったのか?

Feldenkraisをやっている人が、あるいは、seikihoなるものをやっている人が稽古に来て新しい身体観に触れる。その後、その人がやることは、Feldenkrais 2.0に、seikiho2.0に変わるかもしれない。でも整体にはならないだろう。このようなかたちで新しい(新しいのか?)身体観が広まっていくのを、僕らは素直に言祝ぐべきなのか?

結論の出ない宿題をもらって帰ってきた。

時差ボケもようやく抜けてきたのでー夏バテ気味ではあるけれどーヨーロッパ2025シリーズは、これで一区切りとします。

2025年7月14日月曜日

ブラジル組

ウイーンでの稽古会にブラジル組が参加してくれた。
サンパウロで活動する田中さんの仲間たちである。

ひとりは4年前、コロナ禍のとばっちりで、ゲーテ協会の招きで日本に来るはずだったのに、”online residency program”なるものに甘んじなければならなかったL。ベルリンを拠点とするダンサー/コレオグラファー。ZOOMでしか会ってなかった本人が生身の触れ合える人間として、目の前に現れた。→ skima

もうひとりはJ、奥さんと二人でオランダのDelftという街からやってきた。12年前、ブラジルに田中さんを訪ねた時、世話を焼いてくれたJは、その後、ボストンで5年暮らし、今は、オランダで暮らしているという。多感な青年が、逞しいややオジサンの要素まで付け加えて姿を見せた。→ road to brasil 2013

そのJ、稽古会の前日、録音機材と撮影用の三脚まで持って僕らの宿に現れた。延々2時間、幼少期から、青春時代、整体との出会い、さらにその先のことまでインタビューされた。かつて、こんなに自分のことを喋ったことはない。稽古場には30人の指導者がいて、ひとりひとり語ることは違うだろう。僕に整体を語る資格はないけれど、ひとりの整体の徒として経験したことなら話せるかもしれない。そんな風にインタビューは始まった。2時間喋ったらもう疲労困憊。ただ、本番へのよい助走にはなったように思う。“My story with Seitai “というタイトルの本が一冊書けそうなくらい濃密な時間だった。

Jとは、東京で会い(大井町稽古場)、サンパウロで会い、そして、ウイーン。3大陸で同一人物と会う機会って、そうはないよね。ものごとの伝わっていく様は不思議という他ない。

2025年7月12日土曜日

正念場

 整体の稽古会のため、毎月、石川に通っている。かれこれ一五年になる。金沢からローカル線で三つ目の松任という駅で降りる。松任は加賀の千代女の生まれ育った土地で、駅の近くに千代女の里俳句館もある。その目と鼻の先に中川一政記念美術館という小さな美術館がある。真鶴にあるものに比べると随分と規模の小さなものなのだが、空いた時間が生まれると立ち寄って、一政翁の作品に触れることにしている。

 この美術館で求めた一政翁の絵葉書をフレームに入れて机の上に置いて日々眺めている。「正念場」と書かれた墨書で九七歳の作とある。一政翁の作品は晩年のものほど素晴らしいのだが、それにしても九七歳の正念場って、いったいどのような正念場なのであろうか。


 ウォークマンが世に出たのが一九七九年のことだから、半世紀近くが経とうとしている。ウォークマンがiPodにとって代わられ、それがさらにスマホに置き換わって、イアホンで音楽を聴くのがすっかり定着してしまった風であるが、その習慣を身につけることなく七〇の歳を超えた。


 ところがである。この歳にしてイアホンをつけることになってしまった。原因は難聴にある。まさか老化が耳に現れるとは十年前には想像もしなかった。至近距離で会話している分に支障はない。ところが大勢の中にいるともうお手上げで、言葉が自分の上を飛び交っているのに、一人だけ無音のドームの中に閉じ込められているようで、まことにつらい。ふたば会に出席することも重荷である。それよりも、雨音が聞こえないのが寂しい。


 このような状況をどう受け止めるべきなのだろう。ここ数年は聴こえづらさという現象を受け入れ適応しようとしてきた。つまり孤独の道を選んで過ごしてきた。たしかに、年取ると共に行動半径は狭まり人付き合いも減ってはくるのだが、はたして、これを唯唯諾諾と受け入れるべきなのだろうか。聴覚補助機能を持つイアホンを使いはじめて気づいたのは、自分は聴くという行いを諦めていたという事実であった。外部補助に頼ることなく生きるという生活信条が逆に廃動萎縮ー使わなければ衰えるーを招いていた。


 それにしても、世界は音で溢れている。騒音だらけといってもよい。イアホンを付けていると、周りの音が均等に増幅され、音の嵐の中に放り出される。ここから必要な音だけを取り出して聞き取っていくなんて、なんと難易度の高い技を駆使して人は生きているのだろう。不思議なものでイアホンを用いて「聞こえる」とわかると、イアホンを外しても、少なくともしばらくの間は音の解像度が上がった状態で「聞こえる」のだ。さて休眠していた聴く力は蘇るのだろうか。それとも静かで平和な世界に引き返すのか。正念場である。


【初出 『会報 洛句』2025/7】 


7/12、時差ボケが抜けぬまま松任へ。美術館を覗いたら、「正念場」の現物が掛かっていた。初見ではないはずなのだが、思っていたよりも小ぶりの作品だった。また絵葉書を買ってしまった。




2025年7月11日金曜日

整体3.0

今回のヨーロッパ遠征のテーマは整体3.0。
なんで3.0なのかに、あまり意味はない。敢えていえば、new schoolの整体。

とはいえ、稽古としてやったのは、ただひとつ「隙間をとらえる」という「整体以前」と呼ぶべき稽古のみ。紙風船を使い団扇を使い、手を変え品を変え、ひたすら、体を捌き、間に集注するという稽古のみ。

活元運動を知っている人もいるようだったので、その準備運動を動法的にやろうかとも思っていたのだが、ある稽古の途中、脱力的な動きが出てきたと思ったら、それが、よく見かける、観念運動的活元運動まがいのものに変わってきたので、こりゃダメだと、活元運動には触れずじまい。習慣化された自発運動ーhabitualized spontaneous movementsなんて語彙矛盾に決まってる。

愉気の型で人に触れることを教えようとしたら、それまで受動的な感覚で人に触れる稽古をしていたはずなのに、掌が相手の体に届いた途端にやる気満々の能動の集注に変わってしまったので、これも中断。触れられている人が触れている人を身体集注に導く稽古に切り替えた。日本の稽古会でもよく見かける風景なのだけれど、整体3.0は難しい。

整体はmethod方法ではない。整体を生きるためのartなのだと強調してきたけれど、はたしてどのように受け止められたのか。そうそう、稽古場を説明するのが面倒で、整体協会にはold schoolとnew schoolがあって…と話することにした。使い勝手はすこぶるよい。その二つはどこが違うんだという質問が次に飛んでくることからは逃れられないけれど。

楽友協会

ウィーンの楽友協会Musikvereinで音楽が聴けたのは僥倖だった。
その音の豊穣さにカルチャーショック。想像していたよりも小さなホールで、客席数は800ほど。若手演奏家によるヴィヴァルディの「四季」をメインに据えた演奏会だったのだけれど、音の響きにちょっとたまげた。なるほど、こんな音を求めて、多くの日本人がヨーロッパを目指したのかと、ドイツ稽古会のメンバーである演奏家ひとりひとりの顔が瞼に浮かんだ。ここで、フルオーケストラの演奏を聴いたらどんな感じなんだろう。おそろしや。

まったく余談なのだが、父はミーハー・クラシックファンだった。要するに、有名どころーあの時代だと、カラヤンとかーのレコードを買ってきては、居間に鎮座するステレオで聴いていた。母が亡くなって何年もしないうちだと思うのだが、ある時、帰省したら馬鹿でかいプラズマテレビが置いてあってたまげたことがある。自宅では14インチのテレビを観ていたのに、実家に帰ると大型テレビ、といっても32インチか40インチくらいのもので、今となっては珍しくもないサイズなのだが、1990年代では、まだ珍しかったし高価だった。で、正月になるとNHKのBSで放送していたウイーンフィルのニューイヤーコンサートを嬉しそうに観て、「いつか行きたいな〜」などと宣っていた。そのニューイヤーコンサートが開かれる会場で音楽を聴いてきた。きっと、天国で喜んで、あるいは羨んでいることだろう。僕も、これからは、ミーハークラシックファンJr.を名乗ることにしよう。




2025年7月10日木曜日

栄養学

どこの国に行っても、その国の食事に適応し、日本食を恋しく感じるなんてことはないというのが僕の自慢だった。なので、海外旅行に日本食を携えていく人の話が理解できなかった。ところがである。今回、旅の十日目くらいに、お世話になっている知人宅で、ご飯に味噌汁、それと納豆が食卓に並んだときは、もう感動してしまった。

ドイツの人はよく食べる。現地化した日本人もよく食べる。チーズ・バターといった中身の詰まったものをよく食べる。ケーキもでかい。実際に日本のものに比べてどれも美味しいから、最初のうちは勧められるままに食べていたのだが、3日もすると、ベルツ博士の話に出てくる車夫状態になってしまった。胃がもたれて苦しい。

近代栄養学の始まりは19世紀のヨーロッパ。なんといっても、nutrition science、つまり科学である。日本の栄養学も、間違いなくヨーロッパ発祥の近代栄養学の輸入から始まっている。ドイツの人たちは、本家だけあって、栄養学に洗脳されている度合いが高いのではなかろうか。

整体の食に対する姿勢は、「食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べる」と至ってシンプルである。その食べたいという欲求は本物なのかを問うところが真骨頂で、放縦さからは遠い。入力と出力の間の感受性という人間的な要素が入ることで、機械的身体観とは一線を画す。なにより「少なく食べてたくさん働く」ことを整体と呼んでいる。

帰ってきた日の夜の食事は素麺。地植えしておいた大葉が巨大化していたので、庭から摘んできて薬味とした。