sunajiiの公私混同
瓦のつぶやき
2025年8月30日土曜日
京都十年 その8
二年連続の50-50だそうである。
大谷くんの話ではない。
京都で最高気温35度越えの猛暑日が50日、最低気温25度越えの熱帯夜が50日。
全国で最初に記録したらしい。
こんな記録が出る地域って、日本広しといえども、そう多くはない。
つまり、全国一、暑さが過酷な都市と呼べるのではないか。
十年前より、確実に暑くなっている。
午後の時間帯に出かけるのは大袈裟でなく危険。
それでも、赤トンボは飛び、夜には虫の声も聞こえるようになった。
2025年8月29日金曜日
8月の読書
優しい地獄* イリナ・グリゴレ 亜紀書房 2022
みえないもの* イリナ・グリゴレ 柏書房 2025
ギリシャ語の時間* ハン・ガン 晶文社 2017
酒を主食とする人々* 高野秀行 本の雑誌社 2025
OFF GRID LIFE* フォスター・ハンティングトン トゥーヴァージンズ 2022
限界国家* 楡周平 双葉社 2023
ジブリをめぐる冒険* 鈴木敏夫・池澤夏樹 スイッチ・パブリッシング 2024
家父長制の起源* アンジェラ・サイニー 集英社 2024
今年になってから読んだ本の中で、群を抜いて面白かった。非婚が女たちによる家父長制への抵抗運動であると理解すると、確かにいろんなことが腑に落ちてくる。学術的な本かと思いきや、考古学、歴史学、社会学、宗教学等々を縦横無尽に飛び回る冒険の書でもあった。バックラッシュが跋扈する現代日本を読み解く上でも役に立つ一冊。
2025年8月14日木曜日
京都十年 その7
お盆だ。
十年の間に、多くの身近な人が逝ってしまった。
稽古仲間だけでも、室野井、小杉、吉木、剱持、栗田……。
小杉さん以外、みんなオレより若いじゃないか。
憎まれっ子世に憚るとはよく言ったものだ。
とうとう吉田の大将も逝ってしまった。
京都に戻るきっかけを作ってくれた片桐ユズルさんも逝き、稽古に通って来てくれていた片桐庸子さんも昨年亡くなった。なんだかんだいって、この二人の最晩年に付き合えたのはよかった。
そう、生きてるうちは生きなきゃならん。
しっかりと。
2025年8月13日水曜日
京都十年 その6
ここ十年で一番の変化は衣に関してだろう。
稽古着、和服を着る時間が増えた。
大井町稽古場時代、通勤時は洋服であったし、稽古着の点数も少なかった。
連れ合いが和裁を習い始めてから5年になるが、時間とともに、稽古着のヴァリエーションがどんどん増えていった。今では長着、稽古袴はいうに及ばず、襦袢、ステテコに至るまで、手縫いのものを身につけている。さて、今日はどれを着ようか、などという贅沢な悩みを持つようになったのは人生初である。麻の稽古着なしに、もう夏は過ごせない。
連れ合いが和裁にたどり着くまでの経緯は話せば長くなるが、頼りがいのある先達を得ることで、文字通り日々精進している。ひとつのことに打ち込んでいるー不器用とも呼ぶがー存在が身近にあることは有り難い。
最近ようやく人様の袴を引き受ける心境にたどり着いたらしい。
2025年8月12日火曜日
京都十年 その5
ここ十年で一番大きな出来事は、なんといっても2020年に始まったコロナ禍であろう。この年の春、世の中に不穏な空気が充満し、これは、<
蟄居
>するしかないのかと思いはじめた、そのタイミングで娘のところに不幸があった。しかも、娘は妊娠中。そうなると、ジージが頑張るしかない。ここから、緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出はお控えくださいとのアナウンスの中、僕の千葉通いが始まる。新幹線のひとつの車両に乗客は僕ひとりというシュールな体験をしたのもこの時だ。9月に生まれた3人目の孫が満3歳になるまでの3年間、千葉通いはほぼ毎月続いた。人生で一番動いた3年間だった。
コロナ禍によって明らかになったのは、どれだけ社会が「医療化」されているかということだ。ワクチン、マスク、消毒は言うに及ばず、人と人との距離、クシャミのしかた、トイレの流し方に至るまで、根拠があるようなないような言説が拡散され、社会生活を送る上での規範とされた。年寄りたちの過度に医療化された姿は醜悪でさえあった。インテリたちの振る舞いも同様で、気骨がありそうな知識人たちの腰抜けぶりがあぶり出された。反ワクとヘイトが奇妙なかたちで結びついた政党が姿を現してきたのもこの時期だ。
日本で暮らしていると、一生に一度くらい大きな地震と遭遇する可能性は高い。東日本大震災は経験したとはいえ、被災したわけではない。戦争の匂いがかすかに残っている時代に生まれ、経済高度成長期の中で成長し、バブルが弾けたあたりから、半出家者のような生活を送ってきた。父や祖父の世代がくぐり抜けたてきた戦争のあった時代を幸いなことに知らないままここまでたどり着いたけれど、さて、どうなる。
2025年8月11日月曜日
京都十年 その4
白山稽古会との関わり方もずいぶん変わった。
なんせ、この会が始まった当初は、東京から上越新幹線で越後湯沢、そこからほくほく線で直江津。そこからさらに北陸本線で金沢というルートで、片道7時間くらいかけて通っていたのだ。その後、飛行機を使うことも増えたが、長距離遠征であったことは変わらない。
北陸新幹線が金沢まで繋がったのが2015年3月。京都に越してくる半年前のことで、新幹線の恩恵を受けることなく、京都から、今度はサンダーバードで通うことになる。東京から通うことに比べ、特急2時間で北陸にたどり着けるというのは極楽であった。のどかな琵琶湖の湖面を眺め、福井に入ってからは、白山山系の山並みを望む。新幹線に比べるとはるかに旅情を感じさせるものだった。ただ、雪や大雨には弱く、途中まで行って引き返すことになったり、逆に大雪で缶詰になり、京都に戻れなくなったことも、一度や二度ではない。北陸新幹線の敦賀延伸によって直通のサンダーバードは姿を消し、乗り換え2回しないと会場のある松任にたどり着けなくなってしまった。電車の中で眠る快楽も失われた。
白山稽古会、長くやっているせいで、まとまりがある。HUBとなって世話してくれている方のおかげである。振り返ると、この会は2009年に始まっているから、もう16年続いていることになる。
京都十年 その3
世界一小さい四畳半の稽古場というのが、ここの売り文句。
それでも、十年の間に、多くの人がやってきた。
定着率の低さは自慢にもならない。
新しい出会いを得て結婚宣言した時の、稽古参加者の激減ぶりは予想以上だった。
そうか、自覚はなかったけれど、みなさん僕のことを男として見ててくれていたのだ。それとも、整体指導者は清く正しい存在であるべきという規範があったのか。たしかに、整体指導者って、俗と聖のギリギリの間に棲息する生きものなのだ。俗な話を聞くことをを自らの動力にして、しゃーしゃーと生きる妖怪なのかもしれない。
海外からも大勢やってきた。
ことに、ブラジルの田中さん繋がりの人にとって、日本にやってくることは聖地巡礼であり、その中のひとつに、この小さな稽古場を含めてもらったのはありがたかった。ドイツから定期的に訪ねてきてくれる人もいた。自分自身が海外に出かけることは、考える余裕さえなかったが、不思議なご縁で、この6月、ヨーロッパ行きが実現した。
それぞれの稽古場には、会員同士のコミュニティが形成されることが常なのだが、結局、等持院稽古場には、そのようなものは生まれなかった。生まれかけては消えていった。コロナの影響も大きい。僕が亭主で、稽古する人は客としてやってくるというスタイルが定着してしまった。
十年で、一巡りした感じはある。
十年って、こんなに速く過ぎていくものなのか。
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