宇奈根通信で始まったこの個人通信は、翌年、結婚を機に横浜に引っ越したのちは、あざみ野通信と名前を変え、結局、紙メディアとしては1994年まで続く。結婚、育児、稽古場の始まり、人生で一番慌しかった時期かもしれない。
その後、インターネットの普及とともに、メールマガジンだったり、ホームページだったり、かたちを変えながらつづき、ここ20年ほどは、ブログという様式で落ち着いている。FacebookとかInstagramとか、いわゆるSNSを試したことはあるけれど、肌に合わず、結局放りっぱなしである。
ブログの良いところは、読者不明というところ。つまり、僕自身あんまり反応を求めていない。どちらかというと、ネットで公開された自家用データベースというような位置付け。ただ、十年分をネット上で公開する意味があるのかどうか、ちょっとわからなくなって、いまのところ3年分にとどめている。
そうそう、フィールドとしての整体協会でした。僕が所属していたのは事務局。職員数も15人はいた。本部道場の一階の狭い空間に机を並べて仕事していた。構成員の半分はどっかの会社を定年退職してからやってきた人、残りの半分は生え抜きというか、若い頃から整体協会に関わってきた人たち。片や世間の荒波をくぐってきた年寄り、もう片方は、世間知らずの若輩者たち。これに当時、5、6人はいた二十歳前後の研究生が日常的に顔を合わせる人たちということになる。これに野口家の面々が加わるわけで、なんか、これだけで十分濃厚。
講習会ともなれば、全国から指導者たちが集まってくるわけで、その当時はまだ元治療家という人たちも大勢いて、それぞれが一城一国の主みたいな強烈な個性の持ち主で、まあ、こんな野獣のような人たちを相手に、まだ30代後半だったダン先生よく講義してたなと思うくらい。バブル絶頂の時代で、整体協会もバブルの中にいた。人間観察してるだけで楽しかった。
もう少しつづけます。