白山稽古会の帰途、京都駅から円町に向かう電車の中から見えた愛宕山の夕焼けが綺麗だったので、円町駅のホームに降りてから写真を撮ろうとしたのだが、ビルに邪魔されてしまった。
2026年8月1日土曜日
8月の稽古
季節は晩夏。
夕方の光は夏の終わりを思わせるものの、気温は下がらないですね。
8月の下旬、ブラジルから女性一名、稽古のために京都にやってきます。
舞踊、舞台を専攻されている50代女性で、3ヶ月滞在の予定とのこと。
個別稽古ばかりだと、こちらがへばりそうなので、稽古パートナーとして、稽古にお付き合いいただける方を募集します。ブラジルの田中さんのところで稽古されてきた方なので、案外、動法はしっかりしてるかも。彼女の踊りの研究と僕らがやってきた稽古がどう繋がっていくのか、一緒に探求してみようとおもいます。
等持院稽古場の稽古日程はこちらでご覧ください。
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2026年7月31日金曜日
穿つ
夫婦で会話してると、言葉の意外な誤用を発見することがある。
「そんなうがった見方しちゃいけん」(美作弁)というと、そんな言い回しは知らん(伊予弁?)という。こちらとしては、そういう深読みしすぎた理解の仕方は間違ってると言いたいのだが、調べてみると、この使い方は間違っているらしい。本来、穿った見方というのは、「物事の本質や真相を鋭く見抜くこと」を意味するとのこと。たしかに「穿つ」とは穴を開けるの意であるからして、この方が筋が通る。じゃあなんで、「うがった見方」が、捻じ曲がった見方という意味を獲得していったのか? 文化庁の広報誌にこんな記事があった。→「うがった見方」は,良くないのか。
2026年7月30日木曜日
2026年7月27日月曜日
フィールドノート 5
フィールドノートを書くって、どういう意味があるのだろう。当事者であることと、観察者であることを同時並行で行う。巻き込まれながらも。巻き込まれきらない立ち位置を取るってことなのか。巻き込む力が並外れて強力な人の近くにいたから、フィールドノートを書くという行為は、僕にとっての生存術でもあったといってよいのかも。
フィールドとしての整体協会は、実に多くの経験と考察を提供してくれた。へんな組織であったけれど、日本社会の雛型の要素を色濃く残していて、大げさにいうと、天皇制とはなんだろうということまで考えさせてくれた。
今回の一連の文章は、なんで僕はこのブログをやってるんだろうという、自分自身への問いから始まったもので、ここまで、だらだらと書いてきたおかげで、少し意味がわかってきました。「生き延びるためのフィールドノート」というと大げさに聞こえるかもしれないけれど、自分を駆動し続けてきたエネルギーの源をたどっていくと、こんな結論にたどり着いた。
ひとまず、これで、おしまいにします。
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