2023年3月22日水曜日

遍路2023 その1

遍路から帰ってきて体重計に乗ったら、微塵も減ってない。
荷物は7キロ。今回持って行ったものは一通り使ったから、どう軽量化していけばよいのやら。

遍路は前に進まなくてはならない
しかし、先をを急いではいけない
というのが去年阿波路を歩いて得た教訓だが、今年の遍路行は、「土佐路を軽快に駆け抜ける」 というイメージで始めることにした。が、初日にして「軽快」が消え、二日目には「駆け抜ける」を「歩き通す」に差し替えた。

休憩時間、迷う時間を含めると時速3キロである。一日25キロがせいぜいであり、今時点の適量。健脚の人は、普通に30キロ35キロ先の宿を予約して歩いているが、今の僕には度を越えている。それでも、一日25キロ歩いて宿にたどり着くと、手すりに掴まらないと階段を登るのが困難なくらいボロボロになっている。でも、風呂に入り、普段の三倍量の夕食をいただいて布団に入ると、朝には復活している。大袈裟に言ってしまえば、毎日、死と再生を繰り返すことになる。

23番薬王寺から24番最御崎寺まで75キロ


2023年3月13日月曜日

半世紀 5

 秋ぐらいに某団体の集会に呼ばれて稽古会をする可能性がある。まだ確定ではないのだけれど、いちおう、どんな内容をやろうとしてるのか教えてくださいとのことなので、文章をでっちあげてみた。ここまで書いてきたことのまとめみたいなものか。

<ひとにふれる せかいにふれる>
 世界を知るにはふれることからはじめなければならない。自と他の境界線上に感覚という経験が生まれる。その感覚経験が身体によって消化・同化されて、はじめて身に付くことになる。これを「身体化」と呼ぶ
 ところが、人は文字通り人それぞれであり、同じ時間、同じ場所にいたところで、ひとりひとり「感受性の方向」が違う故に、体験の質はそれぞれ異なったものになる。消化された食べものが人の体をつくっていくように、同化された経験が、その人の体をつくっていく。つまり身体化のプロセスにおいて、そこには必ず他者の存在があり、また、体験を受け止める一人ひとり異なった感受性がある。よって、身体ははじめから個性的である。
 人が他者にふれると、そこで感覚経験が生まれる。では、人はどのように他者にふれればよいのだろう。相手を操作しようとふれる者がいる。相手と同調しようとふれる者がいる。では、同調的にふれようと意図して、実際に相手にふれたとき、そこに同調は生まれるであろうか?
 困ったことに、自動的に同調は生まれない。なぜなら、まず、ひとりひとり異なった身体を有しているからである。次に、ふれるための手は、操作することが習慣化されているからである。同調なき接触は、たとえ本意ではなかったとしても操作的にならざるをえない。人間関係の困難は、この齟齬から発生するといってもよい。
 人と人が(モノであっても同様)、どのように同調的な関係を切り結べるのか、人は体験というものをどのように同化・身体化していくのか。整体の知見をベースに、このような研究を身体教育研究所では行っています。また、すべて稽古という、実際に体で経験する会として提示しています。

(しばし休憩)

2023年3月11日土曜日

半世紀 4 京都

1975年から1986年までの十年間、京都で暮らした。20代から30代前半に当たる。一昨年だったか、一年かけて、当時付き合いの多かった片桐ユズル編集発行の「かわら版」20年分をデジタル化する作業をやった。整体にすすむきっかけを与えてくれたのは片桐ユズルだったし、彼自身手広く、いわゆるボディワークを輸入していた。それはともかく、かわら版のデジタル化作業をやりながら、70年代後半からの京都暮らしは、僕にとっての揺籃期ーつまり、異文化に攪拌されて輪郭を失っていた私が、新しい輪郭を作っていた時期に当たっていたということだ。おい、10年もかかったのか。これとて、事後的に作り上げた、仮説のひとつなのだけれど。

「風邪の効用」は教育の書として読まれるべきだということを言い続けている。晴哉先生の「経過」という思想は、「学び」について考える上で、決定的なものであった。風邪をひき、それをうまく経過させれば体は、それ以前より丈夫になる。これって、「culture shock fever」のことじゃないか。我が意を得たりとはこのような心境のことをいう。それでも身に染み込んでいる私自身の傷病感、健康観のようなものが邪魔して先に進ませてくれない。身体の時間と精神の時間は、流れている質が異なっているのだ。ここから身体教育研究所の時代に入っていく。1988年のことだ。娘が生まれた年でもある。

(つづく)

2023年3月10日金曜日

風邪(追記)

先月半ばに風邪を引いたことは書いた。
発熱は数日で終わったが、結果からいうと、やたら低温期の長い風邪で、月末まで十日ほど、低温期が続いた。2月は禁糖と風邪で過ぎていったことになる。

今月はじめ石川に行き、白山稽古会の人たちの話を聞いて笑ってしまった。皆さん先月の稽古会のあと軒並み大風邪を引いている。僕が風邪引いたのは、白山稽古会から帰ってきて数日後のことだから、ほぼ同じ時期になる。等持院に来ている人たちの間でも風邪は流行っていたようで、来る人来る人、先月は風邪をひきまして、という話題になる。しかも、やはり同じ時期。インフルエンザだったのかコロナだったのか分からないけれど、これほど周囲が同時多発的に風邪をひいたという経験はあまりない。

まずまず上手に経過できたようで、3月に入ってから、お遍路に出る力が湧いてきた。

2023年3月9日木曜日

半世紀 3 身体

十年サイクルで教育のことを書きたくなるらしい。10年前、「なぜ身体教育なのか?」と題した文章を書いている。いま書いたとしてもいく同工異曲、大同小異のものしかでてこないと思うが、どのような小異になるのだろう。

1970年代後半から80年代にかけ、僕が「culture shock fever」と呼んでいた、「異文化への適応過程における体調不良とその経過」というテーマは、そのまま、「体験学習という理念は、どのように実現されうるのか」というテーマに横滑りしていくし、「人はどのように学ぶのか?」という大テーマに敷衍していくこともできる。この時点ーおそらく1970年代後半あたりーに大きな岐路があったらしい。もっとアカデミックな「教育学」に向かっていれば、ちがった人生が展開していたのかもしれない。ほんと、パラレル・ワールド

ところが、学びにおけるキーワードとして「身体」が浮上してくる。ここから先は、もう整体の独壇場といってもよい。言い換えると、整体の学びを深めていく以外、自分自身のテーマの追求はあり得なくなってしまう。これは大変だ。整体協会には整体協会の掟がある。

(つづく)

2023年3月8日水曜日

半世紀 2 ライフワーク

いまを起点にして半世紀前を振り返るというのは危険を伴う。
そこから現在に至る道筋を自分に都合のよい物語として描いてしまうことになってしまうだろう。なんせ、その時には、自分の未来がどのように動いていくのかまったく未知数だったわけだから。事後的に振り返れば、ああ、あの時代、自分がどのような段階にいて、なにをやろうとしていたのだと記述することは可能だろう。でも、それでよいのかという疑念は拭えない。

ライフワークというのは、その人がどのような異化感を人生のどの段階で何に対して持ったかによって決定されるのではないかというのが、僕の仮説。もちろん異なった経緯でライフワークと出会うことだってあるに違いない。僕の仮説が僕一人にしか適用されなくってもぜんぜん構わない。実際、ライフワークがライフワークとして意識される、あるいは浮上してくるのは、そうとう後の段階であったりする。

ひとはなぜ海外に行って、3ヶ月暮らすと体調を崩すのだろう?というのが一途最初に浮かんだ疑問だ。僕自身そうだったし、周りを見回すと同様の経験をしている人は多かった。もちろん個人差は大きくて、いきなり体調を崩す奴もいれば、一年経った頃、ガツンと来る奴もいる。それを経験した後で、異文化への馴染み度が一気に変化する。不思議だった。このような事例に気づいたのは、おそらく整体の考え方が僕に入りはじめた時期と重なる。1970年代の後半、地球をひと回りして帰ってきて数年後のことになる。

(つづく)

2023年3月7日火曜日

半世紀 1 1973年

はじまりは1973年。
それから半世紀が経ったことになる。
岡山の田舎で過ごした20年ののち、僕は太平洋を渡った。それが1973年の8月。
旅は20ヶ月後の1975年4月まで続き、そこから、整体に出会うまでさらに3年。
コロナ期の前には、第二次ワールドツアーなども計画していたのだが、どうもそのような気配はない。静かに四国遍路を続けることにする。

1973年と2023年
半世紀の間に世界は変わってしまった。
1973年、世界の人口は39.2億。それがいまや79.7億人だという。
もっとも、日本の人口は少し増えたとはいえ、1.087億に対して、1.246億。
すでに人口減少期に入っているからー去年1年で80万人減!ー1973年レベルには、すぐ戻ってしまうだろう。
人口の変化は多くはないが、人口構成割合は大きく変わった。
15歳までのこどもの人口比率は1973年で24.3%、それが今や11.9%.
一方、65歳以上の老人比率は、7.9%から28.9%に上昇、つまり少子高齢化社会。

1973年に1ドル360円という固定相場時代は終わったが、僕の記憶には1ドル300円というレートがしっかり刷り込まれている。国際電話の料金は3分3000円。携帯電話はまだない。インターネットも無論ない。世界は今よりもずっと広く、ずっと遠かった。

(つづく)