2021年2月9日火曜日

かわら版

記憶というのは、「過去」という大きな袋に次から次へ出来事を放り込んで保存している感じで、時間が経つにつれ、袋の中の出来事が混ざり合って時系列がどんどん曖昧になっていく。その時系列を確認するためには、当時の資料に当たるしかない。一次資料はやはり大事なのだ。 

片桐ユズルが発行していた「かわら版」というミニコミがある。1967年にはじまり1990年代まで続いたもので、70年代中盤からの10年間くらい僕も読者の一人だった。昨年末出版された「忘れてもいいように」は片桐ユズルの語りを元に構成されているのだけれど、「かわら版」は言ってみれば紙に保存されている記憶と呼んでいい。

そのかわら版、残されてはいるけれど、デジタル化されているわけではないから、現物を手にするしか、それに触れる機会はない。 「かわら版」デジタル化しちゃいましょうよ、と提案したのは、僕自身、段ボール三つ分くらいのノートをデジタル化したり経験があるから。ノートをバラしてスキャンする。カッターナイフと定規、それにパソコンとスキャナがあればできる。作業としてはそれほど難しいものではない。とにかく一度現物見せてとお願いしたところ、分厚いファイル3冊が届いた。 

現物を見て頭をかかえた。最初期のものー発行から半世紀経っているーは予想以上に劣化が進んでいる。そもそもが藁半紙(いまの人に分かってもらえるかな〜。一番廉かった紙質のもの)に印刷されたもの。おまけに、パンチで穴を開けたものを閉じているので、端っこが欠けている部分もある。このままスキャナにかけたらバラバラになってしまいそうだ。デジカメで撮影する必要が出てくるかもしれない。パンチ穴が本文にかぶり、データとして欠落している部分もある。できればパンチ穴のない現物がほしい。これは思った以上に手間のかかる作業になりそう。一年がかりのプロジェクトになる予感。みなさんの知恵もお借りしたい。