2023年3月8日水曜日

半世紀 2 ライフワーク

いまを起点にして半世紀前を振り返るというのは危険を伴う。
そこから現在に至る道筋を自分に都合のよい物語として描いてしまうことになってしまうだろう。なんせ、その時には、自分の未来がどのように動いていくのかまったく未知数だったわけだから。事後的に振り返れば、ああ、あの時代、自分がどのような段階にいて、なにをやろうとしていたのだと記述することは可能だろう。でも、それでよいのかという疑念は拭えない。

ライフワークというのは、その人がどのような異化感を人生のどの段階で何に対して持ったかによって決定されるのではないかというのが、僕の仮説。もちろん異なった経緯でライフワークと出会うことだってあるに違いない。僕の仮説が僕一人にしか適用されなくってもぜんぜん構わない。実際、ライフワークがライフワークとして意識される、あるいは浮上してくるのは、そうとう後の段階であったりする。

ひとはなぜ海外に行って、3ヶ月暮らすと体調を崩すのだろう?というのが一途最初に浮かんだ疑問だ。僕自身そうだったし、周りを見回すと同様の経験をしている人は多かった。もちろん個人差は大きくて、いきなり体調を崩す奴もいれば、一年経った頃、ガツンと来る奴もいる。それを経験した後で、異文化への馴染み度が一気に変化する。不思議だった。このような事例に気づいたのは、おそらく整体の考え方が僕に入りはじめた時期と重なる。1970年代の後半、地球をひと回りして帰ってきて数年後のことになる。

(つづく)