2019年1月22日火曜日

団扇投げ

これから動法教授の資格を取ろうという人が現れて曰く、
「竹、団扇、筆の稽古をちゃんとやっておきなさい」との指示があったという
稽古場がはじまって初期の頃の稽古である
等持院でも筆の稽古はときたまやるが、竹、団扇の稽古はとんとごぶさたしている
第一、四畳半の稽古場では団扇を投げるという空想が浮かばない
とはいえ、せっかく稽古に来たのだからと、団扇投げとはどんなものか見せることにした
壁際に毛氈を丸めて置いて、一間半の距離から毛氈めがけて団扇を投げる
ちょっと気の毒な風景であるが、背に腹はかえられない
それでも、構えから投げるまでの一連の動きに、足さばきを加えていくと、
汗をうっすらとかいてくる

最初は見よう見まねでやっていた稽古に
カタを形成していく知見をふたつみっつ加えるだけで、
団扇投げがどのような稽古であったのか、その意味が理解できてくる
今年は、かつてやった、いわば古典となった稽古を取り上げてみようと思う
竹、団扇、一息脱力、等々

2019年1月4日金曜日

十年目

◾️去年は身体教育研修所創設30周年ということで、あれこれ、私的な記念企画など温めていたのだが、私事が慌ただしく、それどころではなくなってしまった。稽古場の三十年は、10年間を一区切りとする3つの期間に分けられる。最初の十年(1988-1998)が草創揺籃期とすれば、つぎの十年が成長成熟期(1998-2008)、そして直近の10年(2008-2018)は世代交代期と呼べるのかもしれない。◾️十年前の今頃、僕は、20年間裏方として仕事してきた稽古場の事務職員としての立場を離れようとしていたのだった。事務職からの離脱を宣言したのが、2008年の春の終わり。後任が決まったのが夏の終わりで、9月から2009年の3月までを引き継ぎ期間として、後任者と一緒に働いていた。娘はまだ現役の大学生だったが、残りの学費分の蓄えはあったので離脱実行。2008年秋には、リーマンショックが起こり経済は大混乱。給与所得者という安定的な地位を捨ててしまうことに不安がなかったわけではないが、あとの祭り。今年の春が来れば独立10周年を迎えることになる。◾️この十年って、いったいなんだったんだろう。日本が壊れてきた十年。東日本大震災があって、整体協会を屋台骨として支えてきたお歴々が次々と鬼籍に入り、自分の身の回りでいえば、妻が亡くなり父がなくなり、結果京都に舞い戻ってきた。娘は結婚して孫ができ、僕はといえば、……。「ジェットコースターのような」という、ありていのたとえそのままの10年だった。総括してしまえば、「よく生き延びてきたな」という一言に尽きる。

2019年1月1日火曜日

新年、そして読書会報告

空気は冷たいけれど、日差しは温かい元旦の京都です
本年もどうぞよろしくお願いいたします

11月の初め、そして12月末と2回にわたり読書会で報告する機会がありました。整体のことを知らない人たちに整体の話をするのは難しいのですが、自分史を縦糸として、いわば、ジャンル難民として整体とどう関わってきたかということを話したことになります。教育のひな型としての「愉気」によって「自己刷新力」が育てられる、というのは、われながら良い切り口であったと思うのですが、話し終えて気づいたのは、「自己」というもののとらえ方、とらえられ方が、時代とともに大きく変化してきたということです。「自己刷新力」という表現が可能なほどに、「個」というものが、孤立している、させられているのが現代という時代なのです。

2018年12月30日日曜日

12月の読書

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか* 内山節 講談社現代新書 2007
女優で観るか、監督を追うか* 小林信彦 文藝春秋 2015
古い洋画と新しい邦画と* 小林信彦 文藝春秋 2016
わがクラシック・スターたち* 小林信彦 文藝春秋 2017
保守と大東亜戦争* 中島岳志 集英社新書 2018
世界のおばあちゃん料理* ガブリエーレ・ガリンベルティ 河出書房新社 2016
利休形* 世界文化社 2009
禅と戦争* ブライアン・アンドルー・ビクトリア 光人社 2001
脱住宅* 山本理顕・仲俊治 平凡社 2018
お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか? 
 エノ・シュミット 山森亮 堅田香緒里 山口純 光文社新書 2018
限界の現代史 内藤正典 集英社新書 2018 

2018年12月22日土曜日

年の暮れ

街中にクリスマスプレゼント用の絵本を探しに自転車を連ねてでかけていった。細い路地をうねうねと千本丸太町まで出て、一筋南の通りを東に進み、最近コーヒー豆をよく買っているニシナ屋珈琲の横を通って、二条城の裏を南下。御池通に出たところで東進して堀川通に出る。そこからは堀川通をどんどん南に下り、四条通りをすぎたところで東に向かう。烏丸通りを越え寺町通まで東進。買物をすれば3時間まで無料の高島屋の駐輪場を目指す。そこからは徒歩で丸善へ。絵本コーナーでお目当の本を探すが見当たらない。店員さんに調べてもらってもジュンク堂各支店にもほとんど在庫切れで、版元にまで聞いてくれたらしく、版元にもないとのこと。アマゾンの在庫は確認したのに、もはや希少本になっているのか、五味太郎の「おじさんのつえ」。本屋の椅子に座ってアマゾンに本を注文するのも妙な話だ。本屋で購入してメッセージカードを添えて送る予定だったのだが、この際しかたあるまい。

高島屋に戻り、地下の食料品売場へ。稽古に来ている人に教えてもらった、仙太郎の老玉がお目当。ぼたもちも美味しそうだったので、これも購入。小腹が空いたのでどこかに入ろうかと思ったものの、うちまで帰って、ぼたもち食べようと来た道を引き返す。四条大宮まで戻って来たところで、斜めに走っている千本通を行かず、まっすぐ北に向かうと三条通り商店街にぶつかる。商店街に入ったとたん、なんかいい香りがして、腹がグーと鳴る。通り過ぎた喫茶店の前に戻って店内をのぞいてみると、悪くなさそう。タバコも吸える。自転車を停め、店内に入り、カウンター席にどんと座る。メニューをみると、「喫茶店のカレー」に目がいくので早速注文。喫茶店で食べる久方ぶりのカレーだ。というか、喫茶店に入ること自体ひさしぶりな気がする。お店の名前も見ずに入ってきたのだが、珈琲工房てらまちとある。一時間ばかりいたのか、外に出るともう薄暗い。

最近は街中に出かけて行くときも自転車を使うことが多い。堀川通、御池通といった歩道を広くとっている道路を使うと、車や人をあまり気にせず効率的に移動できるし、探せば駐輪場もある。なにより小回りがきく。本日の走行距離15キロメートル。

2018年12月13日木曜日

難民

ここでやっていることを知らない人に説明するのは難しい。稽古に来ている人に訊いても同様で、説明に四苦八苦しているうちに説明することを諦めてしまうというケースが多い。当然といえば当然。ここでは誕生育児から看取りに至るまで、人生全般を身体の視点から扱っている。ひとりひとり現在関心のあることは限られているから、それに興味を持たない他人とはすれ違ってしまう。

ここで稽古している人で、「ジャンル難民学会」なるものを立ち上げようとしている方がいる(→ 降りていくブログ)。ジャンルという言葉が示す通り、何かを分けようとすると、そこから抜け落ちてしまうものが出てくるのは当然で、その抜け落ちてしまうものに焦点を当てようとすると本人が難民化してしまう。

我が身を振り返ると、「ああ、自分も難民なのだ」と気づかされる。そもそも稽古場に集まってきているのは、みんな難民ではないか。自分の中で同化しきれなかった異化を、どのようにすば同化しうるのか。ここに来れば同化の糸口を得られるのでないか、稽古場は、そんな風に感じた人たちの受け皿になっている。手掛かりとなるのは、万人が日々付き合っている自分の「身体」というということになる。

異化の種類ありようは百人百様であるのは当然で、その異化されているものこそが人生のテーマとなる。

2018年12月2日日曜日

稽古日程 1月〜2月

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