2018年12月30日日曜日

12月の読書

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか* 内山節 講談社現代新書 2007
女優で観るか、監督を追うか* 小林信彦 文藝春秋 2015
古い洋画と新しい邦画と* 小林信彦 文藝春秋 2016
わがクラシック・スターたち* 小林信彦 文藝春秋 2017
保守と大東亜戦争* 中島岳志 集英社新書 2018
世界のおばあちゃん料理* ガブリエーレ・ガリンベルティ 河出書房新社 2016
利休形* 世界文化社 2009
禅と戦争* ブライアン・アンドルー・ビクトリア 光人社 2001
脱住宅* 山本理顕・仲俊治 平凡社 2018
お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか? 
 エノ・シュミット 山森亮 堅田香緒里 山口純 光文社新書 2018
限界の現代史 内藤正典 集英社新書 2018 

2018年12月22日土曜日

年の暮れ

街中にクリスマスプレゼント用の絵本を探しに自転車を連ねてでかけていった。細い路地をうねうねと千本丸太町まで出て、一筋南の通りを東に進み、最近コーヒー豆をよく買っているニシナ屋珈琲の横を通って、二条城の裏を南下。御池通に出たところで東進して堀川通に出る。そこからは堀川通をどんどん南に下り、四条通りをすぎたところで東に向かう。烏丸通りを越え寺町通まで東進。買物をすれば3時間まで無料の高島屋の駐輪場を目指す。そこからは徒歩で丸善へ。絵本コーナーでお目当の本を探すが見当たらない。店員さんに調べてもらってもジュンク堂各支店にもほとんど在庫切れで、版元にまで聞いてくれたらしく、版元にもないとのこと。アマゾンの在庫は確認したのに、もはや希少本になっているのか、五味太郎の「おじさんのつえ」。本屋の椅子に座ってアマゾンに本を注文するのも妙な話だ。本屋で購入してメッセージカードを添えて送る予定だったのだが、この際しかたあるまい。

高島屋に戻り、地下の食料品売場へ。稽古に来ている人に教えてもらった、仙太郎の老玉がお目当。ぼたもちも美味しそうだったので、これも購入。小腹が空いたのでどこかに入ろうかと思ったものの、うちまで帰って、ぼたもち食べようと来た道を引き返す。四条大宮まで戻って来たところで、斜めに走っている千本通を行かず、まっすぐ北に向かうと三条通り商店街にぶつかる。商店街に入ったとたん、なんかいい香りがして、腹がグーと鳴る。通り過ぎた喫茶店の前に戻って店内をのぞいてみると、悪くなさそう。タバコも吸える。自転車を停め、店内に入り、カウンター席にどんと座る。メニューをみると、「喫茶店のカレー」に目がいくので早速注文。喫茶店で食べる久方ぶりのカレーだ。というか、喫茶店に入ること自体ひさしぶりな気がする。お店の名前も見ずに入ってきたのだが、珈琲工房てらまちとある。一時間ばかりいたのか、外に出るともう薄暗い。

最近は街中に出かけて行くときも自転車を使うことが多い。堀川通、御池通といった歩道を広くとっている道路を使うと、車や人をあまり気にせず効率的に移動できるし、探せば駐輪場もある。なにより小回りがきく。本日の走行距離15キロメートル。

2018年12月13日木曜日

難民

ここでやっていることを知らない人に説明するのは難しい。稽古に来ている人に訊いても同様で、説明に四苦八苦しているうちに説明することを諦めてしまうというケースが多い。当然といえば当然。ここでは誕生育児から看取りに至るまで、人生全般を身体の視点から扱っている。ひとりひとり現在関心のあることは限られているから、それに興味を持たない他人とはすれ違ってしまう。

ここで稽古している人で、「ジャンル難民学会」なるものを立ち上げようとしている方がいる(→ 降りていくブログ)。ジャンルという言葉が示す通り、何かを分けようとすると、そこから抜け落ちてしまうものが出てくるのは当然で、その抜け落ちてしまうものに焦点を当てようとすると本人が難民化してしまう。

我が身を振り返ると、「ああ、自分も難民なのだ」と気づかされる。そもそも稽古場に集まってきているのは、みんな難民ではないか。自分の中で同化しきれなかった異化を、どのようにすば同化しうるのか。ここに来れば同化の糸口を得られるのでないか、稽古場は、そんな風に感じた人たちの受け皿になっている。手掛かりとなるのは、万人が日々付き合っている自分の「身体」というということになる。

異化の種類ありようは百人百様であるのは当然で、その異化されているものこそが人生のテーマとなる。