2018年12月13日木曜日

難民

ここでやっていることを知らない人に説明するのは難しい。稽古に来ている人に訊いても同様で、説明に四苦八苦しているうちに説明することを諦めてしまうというケースが多い。当然といえば当然。ここでは誕生育児から看取りに至るまで、人生全般を身体の視点から扱っている。ひとりひとり現在関心のあることは限られているから、それに興味を持たない他人とはすれ違ってしまう。

ここで稽古している人で、「ジャンル難民学会」なるものを立ち上げようとしている方がいる(→ 降りていくブログ)。ジャンルという言葉が示す通り、何かを分けようとすると、そこから抜け落ちてしまうものが出てくるのは当然で、その抜け落ちてしまうものに焦点を当てようとすると本人が難民化してしまう。

我が身を振り返ると、「ああ、自分も難民なのだ」と気づかされる。そもそも稽古場に集まってきているのは、みんな難民ではないか。自分の中で同化しきれなかった異化を、どのようにすば同化しうるのか。ここに来れば同化の糸口を得られるのでないか、稽古場は、そんな風に感じた人たちの受け皿になっている。手掛かりとなるのは、万人が日々付き合っている自分の「身体」というということになる。

異化の種類ありようは百人百様であるのは当然で、その異化されているものこそが人生のテーマとなる。