まだ京都に住んでいる頃、米国に本校のある小さな大学のアジアプログラムで働いていました。学生の数は二十名程度でしたから規模としては小さなものです。それでも、毎年春と秋の二回やってくる学生の面倒をみていくのはなかなか骨が折れるもので、三人の職員が「何でも屋」になって仕事をこなしていました。カリキュラムやプログラムを組んでいくことに始まり、ホ-ムステイの依頼、日本語クラスのアレンジ、 研修旅行の引率、 カウンセリング、更には、この学校が「体験学習」という「現場主義」を旗印にしていたため、各々の学生が関心をもっている分野の「現場」で勉強できるよう、その道の教師・専門家なり団体(墨絵の先生から貿易会社まで)に学生ひとりひとりを紹介していく必要もありました。一方、学生の方は、風俗習慣の違った国に住み、日本語を学び、専攻分野の勉強もし、その上、学校に提出するレポ-トも書いていくわけですから、やりたいこととやらなければならないことの板挟みになることはしょっちゅうです。これに、カルチャ-ショックが重なってくるので、程度の差はあるにせよ、殆どの学生が一時的なパニック状態を経験していました。
カルチャ-ショックというのは風邪のようなものに違いありません。カルチャ-ショックは「異文化と接触することによって引き起こされる不安」とでも定義されているのでしょうが、当然体の変動としても現われてきます。実際に風邪をひいて熱を出すこともあり、私は「カルチャ-ショック熱」などと呼んでいました。生活する環境が大幅に変わるわけですから緊張もしますし、新たな調和へ移る過程の中で身体的反応が起こってくるのは自然なことでしょう。ひどく活動的になったり、感情の起伏が烈しくなったり、本の世界に閉じ篭もってしまったり、食べものに走ったり、学生によっていろいろな調整反応がでてきますし、落ち込みに、二週間目、一ヵ月目、三ヵ月目というような法則性もあるようでした。風邪と同様、あまり焦らず自然に経過させるようにすればいいわけですが、待つことの下手な学生も多く、また、困ったことに、学生を日本に導いたところの「学校」という制度が、学期という人為的な期限を設け、それまでに学習の「成果」を目にみえるかたちで提出するよう学生に強要するものですから、ますます、自然の経過を邪魔する結果になっているのです。残念ながら、一応、進歩的教育をおこなっていると自称しているこの大学にしても、人間の自然のリズムや「間の活用」に考えが及ぶほど進歩的ではなく、まだまだ短期展望の実利主義から抜け出ていませんでした。学生の裡の自然と、学校制度をなんとか折衷させるのを仕事と考えていた私ですが、本来、相入れることのできないこの二つの要素を両立させることには、自ずと限界がありました。
「国際教育」とか「異文化交流」と呼ばれているものが、今流行っているようです。これだけ、交通・通信網が発達し、複雑になり、実際に人間や物や情報が多量に往き来している時代ですから、確かに国際教育の必要性はあるに違いありません。でも、これに人間の理解というものが伴わなければ意味をなさないということが存外忘れられていて、言語の習得であるとか、むしろ技術的なことばかりが前面に出ているのは不思議です。結論じみたものを最初に言ってしまえば、「人間は所詮人間だということに気づくこと」、更に言えば、「人間が一人一人違うことに気づき、自分自身のことをもっと知ること」が国際教育の目的ではないかと思っています。このようなことをいうと、あまりにあたりまえのことなので、とりたてて国際教育を持ち出す必要はないと思われるかもしれません。実際、その通りで、国際教育と呼ばれているものは、この自明さに気づくための一つの方便に過ぎないと考えています。でも、使い方によっては、この遠回りが有効性を発揮することも確かなのです。
外国に行くと先ず目に入ってくるのは「異い」です。異なった言語、異なった習慣、異なった思考回路....自分の常識が通用しない世界を発見するのは新鮮な驚きです。でも、暫くすれば人間としての共通の基盤も視えてきます。生まれ、成長し、愛し、働き、年老い、死んでいく生活。友達もできれば、外国人として一つに括っていたものが、段々、ひとりひとり異なった顔を持った生身の人間として見えはじめ、同じ時代に生まれあわせていることを実感します。。相手がどの国の人間であろうと十人いれば十の個性があるのです。事あるごとに、日本人の代表選手として「日本人ならどう考えるの」と意見を求められると「日本人」と「私」のあいだに隙間があることにも気づきはじめ、私達が「文化」と呼んでいるものに、人を育んでいくのと同時に、人を枠の中に閉じ込めていく側面があることに思いが及びます。「私イコ-ル日本人」ではなく、まず在るのは「私」という個性なのです。そうしているうちに「日本人は....」、 「アメリカ人は....」、「韓国人は....」といった議論がいかに乱暴であるかということにも目覚めてきます。勿論、文化の違いを否定したり、無視するつもりはありません。現在、国際教育の現場で広く使われている、人間集団の行動様式をパタ-ン化・一般化していく文化人類学や社会学の理論は、未知の文化に入って行く個人に有効な手掛りを与えてくれるものです。しかし、同時に、平均的パタ-ンからはみだしている人間を例外として認識するよう作用したり、あたかも、民族性・国民性と呼ばれているものが個々人の個性以前に存在してるような幻想を与えてしまいがちです。「典型的xx人」というのはイメ-ジとしてあるだけで、現実にはいないのです。
共通なもの(同質性)と違うもの(異質性)の関係性を外国(人)という存在を通して学んでいくのが国際教育ではないかと思います。ことばを使って暮らしている私達は、ことばの分類作用のために同質性と異質性が独立していて重なり合わないものだと思い込んでいる節があります。でも一つの現象には両方が含まれていて、その中の何処をみるかによって共通点でも相違点で掴み出すことができるのです。国際教育の現場で、人間や文化の共通点だけを取り上げていれば、人間皆兄弟的な「夢」をふりまくだけで、現実的付き合い方は生まれませんし、逆に、相違点だけに目を奪われていれば、貧しい民族優劣論が導き出されてしまうことになりかねません。「外人」といった国籍という属性や文化的背景まで取り去ったラベルを生身の人間に貼りつけて、人間としての共通性を無視したり、逆に、「日本人同士なら話は通じる筈だ」と勝手に思い込んでみたり、単純明快な安心を求めるあまり、便利な言葉の世界に逃げ込んでしまう傾向が私達のなかにあります。でも、共通性と異質性は不可分の関係にあるのです。共通性があるからこそ、異質さも感じられるといえばよいでしょうか。このことに人間関係のなかで気づいてくれば、違いは違いとして認めたまま、付き合い方を工夫できるようにもなりますし、同質性や異質性を大上段に振りかざす理論に、眉に唾をつけて耳を傾ける知恵も生まれてきます。
他人のことは見えても、それを見ている自分がどんな姿をしているか、一筋縄では見えてこないものです。私達は「他」と出会うことで初めてこの「自分」に気づくのかもしれません。国際教育における外国・異文化も、普段の暮らしの中での他人という存在も、自分の姿を映し出してくれる鏡であるといえるのかもしれません。それにしても見えてこないのがこの自分の姿なのです。
(初出 『月刊全生』 1987年5月号)