2012年3月24日土曜日

出発以前

4月4日を出発の日と定めていたが、
さてその日に発てるかどうか

連れ合い絶不調
で、3月に入って、ひたすら主夫をやっている
25年一緒に暮らしてきて、最大の危機的状況
僕の四国遍路宣言が、この状況を引き出したことは疑いようはなく
そして優先順位もまた明らかで、
これを整えずして出発はない
とことん付き合う他ないと僕も覚悟を決めた

* * *

なぜ四国遍路なのかと訊かれても困る
ふと思いついたのが四国遍路だったとしか答えられない
無論、四国遍路のことは知っていたし、
実際に歩いたという知り合いがいないわけではない
でも、自分が歩いている姿を空想したことはない
今年の1月11日までは

前に進む感覚を見失っていた
殊に震災以後
1200キロを歩くなんて馬鹿げたことに違いない
その馬鹿馬鹿しいことをやりたくなった
自分の足を一歩一歩踏み出すことで、前に進む感覚を取り戻せるかもしれない
そんなふうに思ってしまった

* * *

20歳まで岡山に住んでいたから、
四国はわりに身近な土地だった
小学校の修学旅行は金毘羅さんだったし

一人ではじめて四国を旅したのは18の歳の夏
岡山から大阪の親戚に遊びに行ったあと、
淡路島経由で徳島に入り、四国の東海岸をヒッチハイクで室戸まで下った
高知市に入る手前の龍河洞という鍾乳洞を訪れた段階で、
家が恋しくなり
そのまま帰ってきた
川(おそらく海部川)が海に流れ込む雄大な光景
それが一番印象に残っている

四国遍路をはじめて意識したのは、「旅の重さ」という映画を通してだろうか
1972年の作品
テーマソングは吉田拓郎
私の四国小旅行の数年後に観たことになる

* * *

誰が考え出したか、四国遍路は実によくできている
ぐるっと回って88番までたどり着いたら、出発した一番はすぐそこ
四国が「島」であるという特徴が十二分に活用されている
日本地図で見ると四国は比較的小さな島である
ただ、実際に計画を立てはじめると、鳥瞰図が虫瞰図にズームインしていき
さらに標高差を持つ3D地図にと次々変化していく
わくわくすると同時に、不安も頭をもたげてきた

もうひとつ不安がある
四国に地に立ってみたら、フル装備の団塊の世代がうじゃうじゃ歩いている
これは相当に悪夢

* * *

実際の出発がいつになるかは白紙である
でも、気分とすると、すでに歩きはじめている