雨の金曜日、荷物を運び出す
お手伝いに来てくれたカンナさんに感謝
娘たちも来てくれたのだが、どうも当事者感に欠けている
そう、これは僕の引っ越しなのだ
引越業者のトラックが出た後、ご近所の方たちに見送られ駅に向かう
カフェ32°Fに立ち寄っていつものカフェオレ
新横浜から新幹線で京都
パレスサイドホテルにチェックイン
先発した娘たちは、家の状況を確かめにいってくれたらしい
奇しくもこのホテル、28年前、結婚式のお願いに亀岡西光寺を訪ねたときにカミさんと泊っている
土曜日天気は晴れ
早起きして等持院へ
まもなく引越屋さん現れ、荷物搬入開始
当然のことだけど、みなさん京都弁を話す
戸村さんも手伝いに駆けつけてくれる
大型家具は仏壇とチェストひとつくらいなので、搬入はスムース
2時間ほどで搬入完了
収納スペースはたっぷりあるので、荷物に埋もれてしまう感じはない
一区切り付いたところで、ご近所への挨拶回り
六請神社にお参りし、等持院を拝観
横浜で住んでいたところは、コンビニ・スーパーまで徒歩2分だったけど、
ここでは、神社・お寺まで徒歩2分だ
その足で、ダン先生に教えてもらった龍安寺駅近くのうどん屋へ
家から徒歩10分かからない距離になる
修養講座に出ていた山中さん来宅
訪問者第一号
日曜日
夜は静かだったし、昼間も静かだ
前日お留守だったご近所を周り、挨拶完了
池田さんが自転車をくれるというので烏丸丸太町の池田医院を目指す
バスと地下鉄を使ったのだが、乗り継ぎで歩く距離が長く、京都の人がタクシーをひんぱんに使う気持ちが分かった
帰京する娘と別れ、自転車で自宅に向かう
自転車を漕いでいると、この街を自転車で走り回っていた20代の記憶が蘇ってくる
20分ほどでたどり着く
このヒューマンスケール感が心地よい
暗くなってから徒歩で研修会館を目指す
google mapsのナビに従うと、まあ、細い路地をくねくねと歩くことになった
研修会館が徒歩圏内にあるって不思議な気分
大きな月が出ている
やることはいっぱいあるが、ひとつづつ片付けていくしかない
明日から、いや今日から三日間は稽古会だ
2015年9月28日月曜日
2015年9月25日金曜日
お茶
お茶のお稽古だけはもう一度行っておきたかった。荷造りの目処が付いたので、橋さんにお願いして菊名のお茶室にお邪魔した。五十の手習いではじめ、十年と少し通ってきたことになるが、結局、お点前の作法を覚えられないダメ生徒で終わってしまった。
稽古のあとお昼に誘っていただいたのだが、同席してくださったご主人との会話はいつも愉しい。一家でニューヨークに駐在されてた1960年代の話はとくに面白い。JFKが暗殺された時期であり、ベトナム戦争が拡大していた頃のこと である。私が経験したのは十年後の米国なのだが、橋さんの話を聞いていると、アメリカにとっても激動の十年だったことがわかる。
どこかにお茶の稽古について書いたものがあったはずだとリンクを探ってみた。あるにはあったが、なぜだか文字化けしてしまうので、長文だけどそのままここに貼り付けることにした。長期休刊中の季刊独鬼に掲載されたものです。整体を学んでる方、お茶の稽古をしましょう。杉浦先生、名前を晒してごめんなさい。
長く生きていると、じつにいろんなことが起こる。五十歳すぎてからお茶を習い始め、それが四年たったいまも続いているなどということは、かつての自分からは空想もできなかったことである。最初の二年は、杉浦くんと二人で月二回、せっせと橋さんのところに通った。盆点前で、袱紗さばきにはじまり、お茶の点て方を一通り教わった。むさくるしい男二人を前に、橋さんには、ご苦労をおかけしたが、こちらも、お茶と毎回かわるお菓子を目当てに通っていたようなもので、小さな子供が、お菓子食べたさにお茶のお稽古に通ったという話を笑えない。盆点前とはいえ、お茶の基本的な所作はすべて含まれているわけで、通しでやるとなるとなかなかむずかしい。もともとなにかを覚えようという意欲が乏しく、そのうえおさらいなど一切やらないので、一年たっても二年たっても上達したという自覚をもてない。稽古場では動法を教える立場であるのに、橋さんの前では、「ちゃんと脇を張って」などと叱られてばかりである。叱られる心地というのは、なかなかよい。
それでも半年を過ぎ、一年が近くなり、ひととおりの点前を終えると、今度はお茶会を開きなさいと言い渡されることとなる。デパ地下のお菓子売り場に、客に出すお茶菓子を買いに行くところからはじめ、客を迎え、その前でお茶を点て、喫していただく。私が呼んだのは自分の家族であったとはいえ、緊張しまくり、それでなくてもあやうい所作を飛ばしまくる。ほとんど学芸会の児童状態。亭主の役を務めたとはいえ、脇に橋さんがいなければ成り立たなかったお茶会であった。お茶会が終わると、今度は稽古の場がお茶室に移る。盆点前と同じよと言われるものの、盆点前でやったことではまるで歯が立たない。厳しい。水屋で茶道具の用意をして、それらをお茶室の中に運び込むところからして難題つづき。ただ手順が複雑になるぶん、点てられるお茶の味は歴然と変わる。お茶の世界における音というのは、じつに不思議で、お茶碗に茶筅をコツリと当てる、柄杓を水蓋の上に、コッと置く、柄杓からお茶碗にお湯を注ぐ、あるいは客がゴクリとお茶を飲み干す。このような一連の音によって、風景が進んで行く。最初聞こえていた屋外からの人の声、車の音が遠のいてゆき、静かな集注の世界に入っていく。はじめがあり、途中の展開があり、そして終わりがやってくる。これがお茶の醍醐味なのかもしれない。
動作がつかえる時がある。時々ではなく始終ある。手順がうろ覚えということもあるが、たいがい何か違うことをやろうとしている時に止まる。しかたなく、そこでしばし佇んでいると、「こっち」という道が見えてくる。そっちに動き出すと、「ああ、こっちなのだ」と体がついて動いていく。そうはじめに流れありきなのだ。流れの中に自分の所作がぴたっとはまると、すらすらといく。どうしてこれが整体でできないんだと、つくづく思う。
お茶室に入って一年もたたないうちに、杉浦くんは名古屋に稽古場を開くことになり、以後、橋さんと一対一の稽古になった。それからすでに二年がたつ。
(初出 『季刊独鬼』 2008年4月)
瓦を磨く日々 ー お茶を稽古する
長く生きていると、じつにいろんなことが起こる。五十歳すぎてからお茶を習い始め、それが四年たったいまも続いているなどということは、かつての自分からは空想もできなかったことである。最初の二年は、杉浦くんと二人で月二回、せっせと橋さんのところに通った。盆点前で、袱紗さばきにはじまり、お茶の点て方を一通り教わった。むさくるしい男二人を前に、橋さんには、ご苦労をおかけしたが、こちらも、お茶と毎回かわるお菓子を目当てに通っていたようなもので、小さな子供が、お菓子食べたさにお茶のお稽古に通ったという話を笑えない。盆点前とはいえ、お茶の基本的な所作はすべて含まれているわけで、通しでやるとなるとなかなかむずかしい。もともとなにかを覚えようという意欲が乏しく、そのうえおさらいなど一切やらないので、一年たっても二年たっても上達したという自覚をもてない。稽古場では動法を教える立場であるのに、橋さんの前では、「ちゃんと脇を張って」などと叱られてばかりである。叱られる心地というのは、なかなかよい。
それでも半年を過ぎ、一年が近くなり、ひととおりの点前を終えると、今度はお茶会を開きなさいと言い渡されることとなる。デパ地下のお菓子売り場に、客に出すお茶菓子を買いに行くところからはじめ、客を迎え、その前でお茶を点て、喫していただく。私が呼んだのは自分の家族であったとはいえ、緊張しまくり、それでなくてもあやうい所作を飛ばしまくる。ほとんど学芸会の児童状態。亭主の役を務めたとはいえ、脇に橋さんがいなければ成り立たなかったお茶会であった。お茶会が終わると、今度は稽古の場がお茶室に移る。盆点前と同じよと言われるものの、盆点前でやったことではまるで歯が立たない。厳しい。水屋で茶道具の用意をして、それらをお茶室の中に運び込むところからして難題つづき。ただ手順が複雑になるぶん、点てられるお茶の味は歴然と変わる。お茶の世界における音というのは、じつに不思議で、お茶碗に茶筅をコツリと当てる、柄杓を水蓋の上に、コッと置く、柄杓からお茶碗にお湯を注ぐ、あるいは客がゴクリとお茶を飲み干す。このような一連の音によって、風景が進んで行く。最初聞こえていた屋外からの人の声、車の音が遠のいてゆき、静かな集注の世界に入っていく。はじめがあり、途中の展開があり、そして終わりがやってくる。これがお茶の醍醐味なのかもしれない。
動作がつかえる時がある。時々ではなく始終ある。手順がうろ覚えということもあるが、たいがい何か違うことをやろうとしている時に止まる。しかたなく、そこでしばし佇んでいると、「こっち」という道が見えてくる。そっちに動き出すと、「ああ、こっちなのだ」と体がついて動いていく。そうはじめに流れありきなのだ。流れの中に自分の所作がぴたっとはまると、すらすらといく。どうしてこれが整体でできないんだと、つくづく思う。
お茶室に入って一年もたたないうちに、杉浦くんは名古屋に稽古場を開くことになり、以後、橋さんと一対一の稽古になった。それからすでに二年がたつ。
(初出 『季刊独鬼』 2008年4月)
2015年9月24日木曜日
9月の読書
引っ越しを控えているので(明日だ!)今月は早目に。
あざみ野という街に暮らし続けた第一の理由を図書館が近かったことに帰したとしても、そう外れてはいない。活字中毒者にとって、図書館の存在というのはありがたいもので、この欄に載せている書籍の大半(*を付けているもの)は図書館から借りてきたものである。もし、図書館がなければ、私の乱読生活は成立しなかったし、家計的にも破綻していただろう。京都の公立図書館事情を調べてみると引っ越し先からは遠く、気楽に図書館に通うという生活は望めそうもない。「大学の図書館もありますよ」と教えられて調べてみたら、近所の立命館大学は図書館を有料で一般市民に開放しているらしい。これはありかもしれない。大学生に混じって図書館に座っている自分の姿は空想できないが、一度訪ねてみる価値はありそうだ。
横浜市立図書館で借りる最後の一冊。高野秀行最高!
結婚のアマチュア アン・タイラー 文春文庫 2005
週刊文春のコラムで小林信彦氏が取り上げていた一冊。イタイ。アン・タイラーって、クエーカーの家庭で育ったのね。
2015年9月22日火曜日
2015年9月21日月曜日
2015年9月15日火曜日
前にすすむ 11 - ひとり
この前にすすむシリーズを始めたのが5月
京都への引っ越しというまさかの結末が待っていた
ところが、まさかは更に続くのだ
ほんの数日前、
娘が、「私は京都いかないことにする」と宣う
まあ、あの歳で、一緒に来ないということは、つまりは、そういうことだ
要約するとこういうことだ
京都への引っ越しというまさかの結末が待っていた
ところが、まさかは更に続くのだ
ほんの数日前、
娘が、「私は京都いかないことにする」と宣う
まあ、あの歳で、一緒に来ないということは、つまりは、そういうことだ
しかし、このタイミングで言い出すか?
もっとも今回の引越話が引鉄となったと言えなくもない
もっとも今回の引越話が引鉄となったと言えなくもない
要約するとこういうことだ
29年前、僕はひとりで東京にやってきた(→引っ越し1986)
結婚して娘ひとり育て、身体教育研究所の立ち上げを手伝い、
結婚して娘ひとり育て、身体教育研究所の立ち上げを手伝い、
去年、妻と父を納得できるかたちで見送り、
あと十日したら、ひとりで京都に帰っていく
時代がぐる〜っとひとまわりして、ひとりに還る
まるで十牛図を眺めているようだ
もはや出家者の心境
あと十日したら、ひとりで京都に帰っていく
時代がぐる〜っとひとまわりして、ひとりに還る
まるで十牛図を眺めているようだ
もはや出家者の心境
2015年9月6日日曜日
前にすすむ 10 - 荷造り
引っ越しって命懸けなんだ
下手すると、引っ越したあと寝込みそうだ
下手すると、引っ越したあと寝込みそうだ
いや、荷造りの途中で倒れそうだ
決断というほどのものもなく
決断というほどのものもなく
ほんの軽く触れたつもりでいたのに、
その触れたものが巨大洗濯機のスイッチだった
といった風で、渦はどんどん大きく速くなり、
その渦に自分自身が呑み込まれそうになっている
こんなに多くの人たちと関わっていたんだ
ということを日々自覚させられている
根付いてなどいないつもりでいたのだけれど、
29年間はやはり長かった
ただ、引っ越し先は京都です
と伝えると、皆一様に、顔がほころぶ
京都のブランド力って有効なんだ
おっ、これで京都に行く口実ができたぞ、という空想が湧くらしい
無論、皆さん、遊びに、いや稽古に来てください
さて、荷造り荷造り
さて、荷造り荷造り
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