2016年9月13日火曜日

崇徳院

薪能が行われるというので主催者に問い合わせたら、上京区役所か会場となる白峯神社で前売券が買えるとのこと。郵便局や図書館に行く予定もあったので、郵便局、中央図書館、白峯神宮という順路で回ることにして自転車で出発。

地図で見ると白峯神宮は堀川今出川交差点の東に位置している。洛外居住者の私にとって、この堀川通りは難所なのです。堀川通りは、京都市内を南北に貫く他の通りより幅の広い交通量の多い道路に過ぎないのだが、自転車で市内を移動していると、この堀川、よほど気合を入れないと越えられない。洛中洛外の境界線は時代とともに外に広がっていったと思われるが、どの時代か、ここを流れる堀川が洛中洛外を隔てる強力な境であったとしか思えない。

千本丸太町の定食屋でランチを食べ、白峯神宮へ向かうことにする。基本、北へ東へ動いていけばよいので、車の少なそうな道をのんびり走らせる。途中、拾得の看板をみつける。まだあるんだ〜。さらに北に向かうと白山湯という銭湯。そういえば、銭湯経営者には石川出身者が多いという話を思い出し、スナップを撮る。



白峯神宮で祀られているのは崇徳院。いま読んでいる二冊の本の中に出てくるのだ、崇徳天皇が。橋本治の『言文一致体の誕生』の第二章には天台宗の僧、慈円はなぜ「愚管抄」を漢字かな交じりの文体で書かねばならなかったかという解釈が、だらだらと、もとへ、橋本文体で綴られている。歴史的背景となるのが保元の乱で、その当事者かつ敗者が崇徳院。もう一冊の『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』(安田登)も面白い。おくのほそ道を夢幻能に喩えてーそういう見立てだったとしか思えないですねー解説していく。無論、芭蕉が追いかけたのは西行で、その西行の仕事の最たるものは保元の乱によって讃岐に流され怨霊となった崇徳院の鎮魂だったという。社務所で前売券を買い、本殿にお参りする。蹴鞠で有名な神社でした。