このことを書くのはちょっと恥ずかしい。
なんせ、整体歴うん十年にもなる自分が整体をまったく理解してなかったことを白状するようなものだから。
歪み問題である。
ゆがみという言葉に「不正」という漢字が充てられるようになったのは一体いつからのことなのだろうか。ずっと、ゆがみという言葉に負の価値が付与されてきたのは、この「歪」という漢字が充てられてきたことと深くつながっているに相違ない。そもそも、歪みという言葉が成り立つためには、普通とか正常とか標準といったものがすでに想定されているわけで、非常に近代的な発想であることはわかる。でも、その近代に深く冒されてる。左右揃ってるものは止まっている、終わってるという最近の稽古を続けているうちに、やっと近代の洗脳を脱したというわけだ。空間的身体から時間的身体へ、左右対称性からの脱却、反対を与えない整体...。これまで出てきた、数多くの課題が、急に繋がって、新しい姿を見せてきた。
歪められないことの方が問題なのだ。
冒頭にも書いたけど、ほんと恥じ入るとはこういうことで、ここまで、晴哉先生の体癖論もまったく理解してなかったことを痛感している。でも、いまさらながら整体が面白くなってきた。呆れられることを承知で、ここに記しておくことにする