2019年1月4日金曜日

十年目

◾️去年は身体教育研修所創設30周年ということで、あれこれ、私的な記念企画など温めていたのだが、私事が慌ただしく、それどころではなくなってしまった。稽古場の三十年は、10年間を一区切りとする3つの期間に分けられる。最初の十年(1988-1998)が草創揺籃期とすれば、つぎの十年が成長成熟期(1998-2008)、そして直近の10年(2008-2018)は世代交代期と呼べるのかもしれない。◾️十年前の今頃、僕は、20年間裏方として仕事してきた稽古場の事務職員としての立場を離れようとしていたのだった。事務職からの離脱を宣言したのが、2008年の春の終わり。後任が決まったのが夏の終わりで、9月から2009年の3月までを引き継ぎ期間として、後任者と一緒に働いていた。娘はまだ現役の大学生だったが、残りの学費分の蓄えはあったので離脱実行。2008年秋には、リーマンショックが起こり経済は大混乱。給与所得者という安定的な地位を捨ててしまうことに不安がなかったわけではないが、あとの祭り。今年の春が来れば独立10周年を迎えることになる。◾️この十年って、いったいなんだったんだろう。日本が壊れてきた十年。東日本大震災があって、整体協会を屋台骨として支えてきたお歴々が次々と鬼籍に入り、自分の身の回りでいえば、妻が亡くなり父がなくなり、結果京都に舞い戻ってきた。娘は結婚して孫ができ、僕はといえば、……。「ジェットコースターのような」という、ありていのたとえそのままの10年だった。総括してしまえば、「よく生き延びてきたな」という一言に尽きる。