遍路をはじめて間がない頃、しょっちゅう杖を忘れた。休憩して歩きはじめ、しばらくしてから杖を置き忘れてきたことに気づく。ひどいときには、1キロも歩いてから気づき、取りに戻ったこともある。それでも、今年3月、一週間かけて、日和佐から室戸岬、さらに高知市の手前まで、お寺の間の距離にして150キロを通しで歩いたせいもあるのだが、杖が体の一部になり、置き忘れるということは、ほぼ無くなった。
4月は高知市内のお寺を打った。JR土佐山田駅から歩きはじめ、29番国分寺から33番雪蹊寺に至る40キロほどの距離になる。32番の禅師峰寺から33番雪蹊寺に向かう道は、国道と並行している旧道を歩く。遍路地図で見ると、旧道がそのまま浦戸湾を越えて対岸まで伸びていたので、てっきり橋があるものと早合点していたのだが、歩いて渡るためには、湾の空中高くかかっている浦戸大橋を渡ることになるのだ。そして、遍路地図に載っていたのは、「渡し」であった。このことに気づいたのが、渡しが出る船着場まで20分くらいのところにあるコンビニで休憩していたとき。時刻表を調べてみると1時間に一本。次の出航時間には、速足で歩けば間に合いそう。あわててリュックを担いで歩きはじめたのだが、しばらくして、杖を忘れてきたことに気づく。苦笑しながら、来た道を戻る。なるほど、こういう時に杖を忘れてしまうのだ。
僕のように居住地と四国を行ったり来たりしながら何回にも分けて歩くパターンを「区切り打ち」と呼ぶ。区切り打ちのよいところは、体力に応じて、時間の取れるところでサッと行き、さっと帰って来れるところにあるのだが、そのぶん、時間もお金もかかる。徳島を歩いている分には、「さっと」帰ってくることは可能なのだが、土佐路に入ると、前に進まない限り戻ってこれなくなる。つまり、一回あたりの日数は増えていく。高知から足摺岬に向けて歩きはじめると、ますます京都からとおざかり、最初と最後の移動だけで一日がかりになってしまう。どこで区切るか、それが問題だ。今回は雪蹊寺で打ち止めとする。欲張ってもう少し先まで歩くことも考えたのだが、再開するときのことを思うと、高知駅まで30分くらいで戻れるこのお寺にした。さて、次回はいつになるのだろう。身体は、もっと長い距離を歩きたいといっている。
区切り打ちのよいところは、歩きはじめる度に、自分の体が「歩くからだ」に変化していることを実感できることかもしれない。四国を歩いてない「間」の時間にも、体は作られていっているのだ。
(高知市3日目は市内観光に充てた。高知城向かいの高知城歴史博物館でいただいた「海鱗図」の絵葉書)