A3* 森達也 集英社インターナショナル 2010
縄文聖地巡礼* 坂本龍一・中沢新一 木楽舎 2010
検定絶体不合格教科書・古文* 田中貴子 朝日新聞社 2007
街場の中国論* 内田樹 ミシマ社 2007
運を超えた本当の強さ 桜井章一 日本実業出版社 2011
亜米利加にも負ケズ* アーサー・ビナード 日本経済新聞 2011
脱出記* スラヴォミール・ラウィッツ ソニー・マガジンズ 2005
2012年1月29日日曜日
2012年1月13日金曜日
歩く
『脱出記』(S・ラウィッツ著 ソニー・マガジンズ 2005)にはたまげた。副題は「シベリアからインドまで歩いた男たち」。ポーランド軍兵士だった著者は、侵攻してきたロシア軍にスパイ容疑で捕らえられ、裁判によって、シベリア強制労働25年を言い渡される。貨物列車でイルクーツクまで移送され、次に、吹雪の中をーヶ月鎖につながれたまま強制収容所のある地点まで行軍させられる。収容所に着いたら着いたで、自分たちの宿舎を建てるところからはじめる。ロシアの非人間性よりも、その非効率なやり方、そしてそれが可能だったことに驚く。1941年の話である。そこから著者は7人組ーラトビア人、アメリカ人をも含む混成部隊ーで脱走を図る。酷寒のシベリアから灼熱のゴビ砂漠を経、最後にはヒマラヤも越えてインドにたどり着きイギリス軍に保護される。途中力尽きた仲間もいる。4月に歩きはじめ、インドにたどり着くのが翌年の4月。その歩行距離は6500キロ。まったく信じられない行軍である。自由の希求と生存への執念。そのひたむきさに心打たれる。
ずっと歩いてきた、ような気がする。旅のスタイルは基本歩き。バイク派でもなく、サイクリング派でもなく、ヒッチハイク派だった私。他力本願で路端につっ立っていても、乗せてくれる車がなければ、一歩でも目的地に近づこうと歩きはじめる。無論距離は稼げないが、こういう時間もけっこう長かったような。未知の街にたどり着いたら、また訳もなくほっつき歩く。二日も歩けば、その街の地理も大体把握できてくる。「で、それでどうなの?」と訊かれても、それ以上答えようがない。関釜フェリーでプサンにはじめて降り立ったとき、この大地はインドにも、ヨーロッパにもつながっているのかと感動したことがある。行こうと思えば、この足で行くことができる。無論、思っただけだけど。昔の日本人はよく歩いた。江戸時代、つまり17世紀〜19世紀の日本。あれくらい多くの人が歩いて旅した民族っていないんじゃないかしら。芭蕉も然り。「おくのほそ道」冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ都市も又旅人也」の一節など、読んでいてウルウルしてきてしまう。ことに最近。
ずっと歩いてきた、ような気がする。旅のスタイルは基本歩き。バイク派でもなく、サイクリング派でもなく、ヒッチハイク派だった私。他力本願で路端につっ立っていても、乗せてくれる車がなければ、一歩でも目的地に近づこうと歩きはじめる。無論距離は稼げないが、こういう時間もけっこう長かったような。未知の街にたどり着いたら、また訳もなくほっつき歩く。二日も歩けば、その街の地理も大体把握できてくる。「で、それでどうなの?」と訊かれても、それ以上答えようがない。関釜フェリーでプサンにはじめて降り立ったとき、この大地はインドにも、ヨーロッパにもつながっているのかと感動したことがある。行こうと思えば、この足で行くことができる。無論、思っただけだけど。昔の日本人はよく歩いた。江戸時代、つまり17世紀〜19世紀の日本。あれくらい多くの人が歩いて旅した民族っていないんじゃないかしら。芭蕉も然り。「おくのほそ道」冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ都市も又旅人也」の一節など、読んでいてウルウルしてきてしまう。ことに最近。
2012年1月8日日曜日
大井町筆動法初回
独り稽古を覚悟して墨すりを始める。で、何を書こうか。書棚から芭蕉の七部集を取り出す。冒頭にあるのは「冬の日」の巻で、発句は「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」とある。いきなり意味不明。そういえば安東次男の『風狂始末』もあったはず、と再び書棚に当たり『風狂始末』を見つける。この発句の解説に五頁を費しているが、その解説を読んでも理解不能。仕方なく声に出して読む。一通り読んだところで半折に発句を三行に分けて書く。次は脇。「たそやとばしるかさの山茶花」。これまた意味不明。こんこんと山茶花とはどのような花なのかを、これまた五頁かけて解説している。読んでいるところに、Kさん到着して中断。ホッとする。ここから、書き初めモードに変更。更に遅れてUくんも登場。ウォーミングアップに続けて、「今年の一字」を探っていった。まずは、三人組で一枚の紙に書いてみる。「美」「溶」「空」。(デジカメ持ってきてなかったので携帯で撮影。後日、http://fudedoho.blogspot.com/ に載せます) 次に、時間的な「遠く」を想い浮かべて出てきた感覚に字を与えるという課題。私が書いたのは「是」。いまにも走り出しそうな「是」になった。これが私にとっての今年の一字、ということになる。
2012年1月7日土曜日
311以後
311で何が変わったかというと、つまりは「身体」が変わったとしか言いようがない。震災以来、私の中でずっと続いていた賞味期限切れ感、付焼刃感の源はここにあったのではないか。身体そのものが変わってしまった結果、二十年間追い続けてきた「近代的・医療的身体観」からの脱却ーひとつの規範としての「昔の日本人の身体感覚」という方法論もまた、その有効性に揺らぎが生じてしまった。そういうことだったのでないか。身体は世界と呼応する。時代と呼応する。放射能の影響で身体が変わったのではない。放射能の危機がここに在るという世界に転じたことで、身体もまた変わってしまったのだ。そして、新しい身体には新しい方法論が必要となる。明治維新や高度成長によって身体は変わった。パソコンやインターネットの出現によって身体は変わった。きっとその通りだ。しかし、それらとの比較によって震災後の身体は語れない。震災が起るまでは、あと20年これまでの延長線上でこれまでの路線で続けていけば、もう少し違ったものが観えてくるのではないかと進歩史観的に楽観していたところがある。しかし、そうは問屋が卸してくれなかった。まことに有難いことである。
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