2012年7月10日火曜日

ほむほむ

ほむほむ、ほむほむ、
と若者が嬉しそうにつぶやくので、
「ほむほむ」とはなんだと問うてみたら、
穂村弘という歌人だという
どうやら、アイドル歌人、あるいはカリスマ歌人、らしい
本屋の棚を探してみたら、あったあった
『短歌の友人』(河出文庫)という本を見つけて読み始めた

これは名作だ
短歌にはまるで不案内なのだが、
ページをめくるたびにふむふむと頷くことになった
様々な媒体に折々に発表された文章を一冊にまとめたものなのに
まるで齟齬がない
270頁の文庫本にしては濃密すぎる

…我々が〈近代〉以降の時間を生きつつ、同時に〈戦後〉という時間を生きつつ、同時に、〈今〉を生きている、ということである。我々は三つの時間に同時に生きている。そして〈近代〉以前の時間からは大きく切断されている… (p.205) …斎藤茂吉の作品を頂点とする、このような近代短歌的なモードを支えてきたものは「生の一回性」の原理だと思う… (p.126 ) …次に戦後という時代性に対しては、…私見では、短歌は「言葉のモノ化」というかたちでもっとも鋭くこれに「対応」したと思う…(p.133 )…すべてがモードの問題に還元されるような感覚を突き詰めるとき、その根本にあるものは死の実感の喪失である..(p.131)

と、めずらしくたくさん引用してしまったが、
時代の変化と短歌のモードの変遷は、
当然のことだけれど、身体性の変遷と対応している

で、問題は〈今〉なのです
…決定的に〈酸素〉が足りない世界で生きていくために、人間は機械に〈進化〉したのだろうか…(p.107)
のような〈今〉
しかも、自分自身が拠り所としていたものは幻であったことが
露わになってしまった原発事故後の〈今〉

〈今〉の〈私〉は、
上で引用した「三つの時間」のレイヤーが
地震によって撹拌され、ぐちゃぐちゃになった液状化状態
再編成が進行中という感触はあるのだけれど、
形になるまで、もうちょっと時間がかかりそうだなぁー