教える気があるのかと問われると、正直なところない
というか、教えるられるものはないといった方が正確だ
教えることを放擲した指導者はいったい何ができるのだろうか、
というのが、この稽古場における私の課題でもある
無論、まったくの初心者がやってくれば、
最初のボタンを正しくかけてあげることはできるだろう
しかし、すでにダン先生の稽古に出ている人たちは、
私にとって稽古仲間であって、それ以上でもそれ以下でもない
つまり、教える対象ではない
連座を稽古の柱のひとつにする理由もここにある
都合、三回、連座の稽古をやったが、やはり面白い
なにかが整っていくのだが、それを「体が」と呼んでよいものかどうか
結局、みんなでその「場」を整えているとしか表現できない
場を整える技芸としての整体
これはなかなかすごい
連座が成立する前提として臥法坐法がある
これはもう間違いのないところで、
臥法坐法によって転型同質というものが担保されている
それなしの、連座って空想できない
噂によると、本部で行われた独法で臥法坐法が紹介されたとか
つまり、これまで身体教育研究所の中に留まっていた臥法坐法が、
活元運動と同列に整体協会全体で共有されていくことだと理解している
*坐法臥法の意義について、いくつか書いたものがあるので、リンクを貼っておきます
【はじめに臥法ありき】【臥法】【客】
この秋、東京でやった臥法坐法の「廻り稽古」を来春は関西でもやることになる
きっと面白い稽古会になるだろう