2018年7月1日日曜日

Part 3 - 会者定離

所詮、人が人と過ごす時間は通過点でしかない
点という言葉を使ってしまうと誤解されそうだから、帯という字を使おうか
それとも、並行した線路の上を走っている電車に例えた方がわかりやすいだろうか

30年一緒に暮らしたとしても、もっと長いスパンで眺めれば、
同速度で走っている二両の電車のようなもので、やがて別れの日はやってくる
夫婦であっても、親子であっても、友人であっても

だからこそ、一緒に居られる時間は貴重だといえる
残された時間は五年かもしれないし十年かもしれない
こればっかりは、だれにもわからない

残りが短いなら、このままひとりでいる自由を選ぶのもよし
残りが短いからこそ誰かと一緒にすごすという道を選ぶもよし
蝉の一生、人の一生の比較みたいなものだね

こんな風に、これから一緒に暮らそうという人に「会者定離」を説いているぼくは、
不粋な男であるにちがいない
でも、説かずにはいられない