等持院での「せうそこ」シリーズもようやく第6号の印刷版が出て、一区切り。あしかけ三年やったことになる。自家保存用をのぞき手元に印刷版の1号〜3号はすでになく、新規に手にすることは難しそう。どこかの稽古場でほこりをかぶっている売れ残りがあれば、それは稀少版です。
2019年2月28日木曜日
2月の読書
七帝柔道記* 増田俊也 角川書店 2013
辛口サイショーの人生案内* 最相葉月 ミシマ社 2015
希望の格闘技* 中井祐樹 イーストプレス 2014
賞味期限のウソ* 井出留美 幻冬舎新書 2016
チェルノブイリの祈り* スベトラーナ・アレクシエービッチ 岩波現代文庫 2011
辛口サイショーの人生案内* 最相葉月 ミシマ社 2015
希望の格闘技* 中井祐樹 イーストプレス 2014
賞味期限のウソ* 井出留美 幻冬舎新書 2016
チェルノブイリの祈り* スベトラーナ・アレクシエービッチ 岩波現代文庫 2011
異教の隣人* 釈徹宗+毎日新聞 晶文社 2018
タコの心身問題* ピーター・ゴドフリー=スミス みすず書房 2018
ナグネ* 最相葉月 岩波新書 2015
旅人の表現術* 角幡唯介 集英社 2016
ぐうたら農法* 西村和雄 Gakken 2018
希望の教育学 * パウロ・フレイレ 太郎次郎社 2001
時間についての十二章* 内山節 岩波書店 2011
希望の教育学 * パウロ・フレイレ 太郎次郎社 2001
時間についての十二章* 内山節 岩波書店 2011
2019年2月21日木曜日
70年代
図書館から甲斐(扶佐義)さんの写真集を集中的に借りてきて眺めている。1970年代から2000年代にかけて、ほんやら洞のあった京都出町周辺で撮られたものが多い。『Beautiful Women in Kyoto』と題された写真集に写っている美女群の中に知り合いのひとりくらい含まれているのではないかと頁をめくってみたが、見事なくらいいない。唯一の例外は、女の子を背負ったアイリーン・スミスの姿をみつけたくらいのもの。実に、美女たちとの知遇を得てなかったことを思いしらされる。ぼくが東京に居を移した86年以前のものが少なかったとはいえ、これは予想外。それでも、70年代の写真は、いかにも昭和である。和服姿の男性も多く登場する。当時、そんなに和服で歩いている老人がいたかしら、まったく記憶に残っていない。70年代は40年前の話なのですと言われてもピンとこず、ほんのひと昔という感覚しかない。
Beautiful Women in Kyoto 冬青社 2006
京都の子どもたち 京都新聞出版センター 2003
八文字屋の美女たち 2000 八文字屋本 2000
八文字屋の美女たち 1999 八文字屋本 1999
笑う鴨川 リブロポート 1996
地図のない京都 径書房 1992
狸橋の子どもたち 八文字屋 1991
Beautiful Women in Kyoto 冬青社 2006
京都の子どもたち 京都新聞出版センター 2003
八文字屋の美女たち 2000 八文字屋本 2000
八文字屋の美女たち 1999 八文字屋本 1999
笑う鴨川 リブロポート 1996
地図のない京都 径書房 1992
狸橋の子どもたち 八文字屋 1991
2019年2月19日火曜日
体験するということ 2
読書会でのレジュメとして用意した一枚が、この図。
FWCは体験の場、きっかけは用意してくれたけれども、その体験を吸収する手立ては与えてくれなかったのですね。フレームを壊す手伝いはしてくれたけれど、混乱した学生をどう再構成させるかというシステムを有しなかった。これをどう評価すればよいのだろう。それは個人の問題ですと言ってしまえば、それまでだし、はたして大学という4年という限られた期間で、その再構成が可能かといわれると、それも怪しい。FWCにおいて、学生はJournalという報告を大学に提出して単位を取得し、卒業リポートを書いて卒業していく。そのような制度設計。少なくとも、「書く」という行為が、再構成に有用だったことだけは評価しておこうと思う。いわば、体験するということを「フレームを壊すー再構築する」という一連のプロセスであると考えれば、このFWCでの体験した「よるべなさ」が、「身体教育」への接近につながっていったと言えるのだろう。
FWCは体験の場、きっかけは用意してくれたけれども、その体験を吸収する手立ては与えてくれなかったのですね。フレームを壊す手伝いはしてくれたけれど、混乱した学生をどう再構成させるかというシステムを有しなかった。これをどう評価すればよいのだろう。それは個人の問題ですと言ってしまえば、それまでだし、はたして大学という4年という限られた期間で、その再構成が可能かといわれると、それも怪しい。FWCにおいて、学生はJournalという報告を大学に提出して単位を取得し、卒業リポートを書いて卒業していく。そのような制度設計。少なくとも、「書く」という行為が、再構成に有用だったことだけは評価しておこうと思う。いわば、体験するということを「フレームを壊すー再構築する」という一連のプロセスであると考えれば、このFWCでの体験した「よるべなさ」が、「身体教育」への接近につながっていったと言えるのだろう。
体験するということ 1
フレイレが発端なのだ。
一昨年の夏だったと思うのだが、亀岡でフリースクールを運営している知人がやっている勉強会に、「次回、P.フレイレをやりますから来てください」と誘われてのこのこ出かけて行った。その時、「整体協会で仕事してます」と自己紹介したら、「はい、わたし会員です」と名乗りを上げられたのが参加者のひとりであるYさん。それをきっかけに、Yさんは等持院で稽古をはじめることになったのだが、稽古のたびに、フレイレを含む教育談義になってしまう。下手すると、稽古している時間と喋ってる時間が同じくらいじゃないかというくらい、喋ってる。いまどき、フレイレを読んでいる人がいるんだ、というのが最初の感想だったのだけれど、逆に、僕はちゃんとフレイレ読んでないな、ということがあらわになってしまい、それこそ40年の時を経て、フレイレを読み直すことになった。フレイレとの出会いは1973年。フレンズワールドカレッジのオリエンテーションの課題図書として「Pedagogy of the Oppressed」が現れたことだ。英語力のろくにない私がこの本を十分に理解できるはずもなく、以来、いってみればトラウマーそれが大げさなら、のどに刺さった魚の小骨ーとして僕の体に住み着くことになったというわけだ。
そのYさんが中心になってやっている南区DIY読書会ーただし会場は京都市北区ーに誘われ、ちょっと読書会というものに関心があったので参加してみた。それがなかなか新鮮なのだ。報告者が一冊の本を読んで、それを参加者に報告するーレジメも用意されているーというだけのスタイルなのだが、そこでの話はどんどん本題から外れていって、逆にふくらんでいく。そのダイナミズムが面白い。何回か参加しているうちに、「角南さんも」という流れになって、「では、整体の話をします」ということになった。だから、何か一冊の本を題材に、それを紹介するという読書会のスタイルとは離れてしまったのだけれど、いざ、人に自分がいまやっていることを話そうとすると、「なぜ、いま自分はここにいるの」という自分史を開陳することになってしまった。11月と12月の二回、報告の場を持たせてもらったのだけど、つまり、「体験するってどういうことなの?」という20代の疑問を抱えて、僕は生きてきたのだということに行き着いたのだった。
これまで、このブログに書いてきたことと、大部分重複することになりそうだが、なぜいま、ぼくはここにいるのか、もう一度書きはじめてみようと思う。
一昨年の夏だったと思うのだが、亀岡でフリースクールを運営している知人がやっている勉強会に、「次回、P.フレイレをやりますから来てください」と誘われてのこのこ出かけて行った。その時、「整体協会で仕事してます」と自己紹介したら、「はい、わたし会員です」と名乗りを上げられたのが参加者のひとりであるYさん。それをきっかけに、Yさんは等持院で稽古をはじめることになったのだが、稽古のたびに、フレイレを含む教育談義になってしまう。下手すると、稽古している時間と喋ってる時間が同じくらいじゃないかというくらい、喋ってる。いまどき、フレイレを読んでいる人がいるんだ、というのが最初の感想だったのだけれど、逆に、僕はちゃんとフレイレ読んでないな、ということがあらわになってしまい、それこそ40年の時を経て、フレイレを読み直すことになった。フレイレとの出会いは1973年。フレンズワールドカレッジのオリエンテーションの課題図書として「Pedagogy of the Oppressed」が現れたことだ。英語力のろくにない私がこの本を十分に理解できるはずもなく、以来、いってみればトラウマーそれが大げさなら、のどに刺さった魚の小骨ーとして僕の体に住み着くことになったというわけだ。
そのYさんが中心になってやっている南区DIY読書会ーただし会場は京都市北区ーに誘われ、ちょっと読書会というものに関心があったので参加してみた。それがなかなか新鮮なのだ。報告者が一冊の本を読んで、それを参加者に報告するーレジメも用意されているーというだけのスタイルなのだが、そこでの話はどんどん本題から外れていって、逆にふくらんでいく。そのダイナミズムが面白い。何回か参加しているうちに、「角南さんも」という流れになって、「では、整体の話をします」ということになった。だから、何か一冊の本を題材に、それを紹介するという読書会のスタイルとは離れてしまったのだけれど、いざ、人に自分がいまやっていることを話そうとすると、「なぜ、いま自分はここにいるの」という自分史を開陳することになってしまった。11月と12月の二回、報告の場を持たせてもらったのだけど、つまり、「体験するってどういうことなの?」という20代の疑問を抱えて、僕は生きてきたのだということに行き着いたのだった。
これまで、このブログに書いてきたことと、大部分重複することになりそうだが、なぜいま、ぼくはここにいるのか、もう一度書きはじめてみようと思う。
2019年2月16日土曜日
更新
iPad mini 2不調
昨年末にバッテリー交換したばかり
とはいえ、買ってから丸5年たつ
もう寿命なのか
アプリが落ちまくる
iCloudとの連携にトラブル
再起動しても改善する様子なし
本体(matchbook air)ともども石川行きの荷物に入れる
ホテルの部屋備え付けのLANとwifiにつなぎ、
バックアップからの再生を試みるが不調
結局、フルリセットして工場出荷状態に戻す
iCloudとの連携はスムース
アプリの再インストールは、必要最低限のものに絞る
かなりのダイエットで、気のせいか、動きも軽快
もうちょっと頑張ってもらわなければ
ついでにと、本体に新しいOSを入れようとしたら拒否される
もう対象外になっていた
2012年モデルだと思っていたのに、2011年のものだった
8年間、買い換えることなく使っていたのだ
今年は種々更新の年になりそう
*ipad2の不調は治らず、さらに暴走中orz...
**バッテリー交換の時に躯体に歪みが発生したところが原因っぽい
昨年末にバッテリー交換したばかり
とはいえ、買ってから丸5年たつ
もう寿命なのか
アプリが落ちまくる
iCloudとの連携にトラブル
再起動しても改善する様子なし
本体(matchbook air)ともども石川行きの荷物に入れる
ホテルの部屋備え付けのLANとwifiにつなぎ、
バックアップからの再生を試みるが不調
結局、フルリセットして工場出荷状態に戻す
iCloudとの連携はスムース
アプリの再インストールは、必要最低限のものに絞る
かなりのダイエットで、気のせいか、動きも軽快
もうちょっと頑張ってもらわなければ
ついでにと、本体に新しいOSを入れようとしたら拒否される
もう対象外になっていた
2012年モデルだと思っていたのに、2011年のものだった
8年間、買い換えることなく使っていたのだ
今年は種々更新の年になりそう
*ipad2の不調は治らず、さらに暴走中orz...
**バッテリー交換の時に躯体に歪みが発生したところが原因っぽい
2019年2月13日水曜日
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