2019年2月19日火曜日

体験するということ 2

読書会でのレジュメとして用意した一枚が、この図。


























FWCは体験の場、きっかけは用意してくれたけれども、その体験を吸収する手立ては与えてくれなかったのですね。フレームを壊す手伝いはしてくれたけれど、混乱した学生をどう再構成させるかというシステムを有しなかった。これをどう評価すればよいのだろう。それは個人の問題ですと言ってしまえば、それまでだし、はたして大学という4年という限られた期間で、その再構成が可能かといわれると、それも怪しい。FWCにおいて、学生はJournalという報告を大学に提出して単位を取得し、卒業リポートを書いて卒業していく。そのような制度設計。少なくとも、「書く」という行為が、再構成に有用だったことだけは評価しておこうと思う。いわば、体験するということを「フレームを壊すー再構築する」という一連のプロセスであると考えれば、このFWCでの体験した「よるべなさ」が、「身体教育」への接近につながっていったと言えるのだろう。