2024年11月30日土曜日

11月の読書

物語の生まれる場所* 木ノ下裕一 淡交社 2024
消費される階級* 酒井順子 集英社 2024
世界中の翻訳者に愛される場所* 松永美穂 青土社 2024
喫茶店のディスクール* オオヤミノル 誠光社 2023
京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る* 古川日出男 河出書房新社 2024
中学生から知りたいパレスチナのこと* 岡真理・小川哲・藤原辰史 ミシマ社 2024

2024年11月21日木曜日

冬到来

このまま冬なんて来ないんじゃないかと思っていた。
それほど、今年の夏はずっとずっと続き、ついこないだまで夏だった。
それでもやっぱり冬はやってきた。唐突に。

涼しくなりましたねという言葉を使う機会もなく、
いきなり、寒くなりましたね、と挨拶をする。
体の中に残る暑さの記憶と、現実の気温がぶつかり混乱している。

グリーンカーテンのゴーヤをようやく下ろす。
葉の間に隠れていた小さめの実が姿を現し、最後の収穫。
木槿の葉は赤くなって落葉。
玄関先の紅葉は今年は葉をつけず、幹の皮も割れてしまった。

ファンヒーターはまだ箱から出してない。
かろうじて、ホットカーペットを敷いて、当面の寒さ対策だけはした。
さて、今日は火鉢に炭を熾して入れてみよう。

で、冬がやってきた。

2024年11月14日木曜日

歩く

遍路進まず。
5日続けて休みが取れれば、足摺岬から土佐路最後のお寺まで歩けるのにと思いながら稽古の予定表を眺めているのだが、残念ながら、その五日間というのが見当たらない。
稽古で忙しくしてるわけではないのに、途切れ途切れで予約が入っている。
もう来春まで無理。

暑い間は、外に出るのもうんざりだったが、ようやく歩く気分になってきた。
果たして長距離歩けるのか。一体どれくらい大丈夫なのか試してみることにした。
まだ長い距離では使ってないマンサンダルも試したい。

醍醐寺を目指すことにした。
わが家から南東の方向に16キロ。
地下鉄東西線の駅からも近いから、帰りは楽勝のはず。
自宅を出て1時間で京都御所。
そこから岡崎公園を抜け、京都国際会館を過ぎて蹴上。
蹴上は文字通り峠越えの道で山科に至る。
山科方面から急な坂道を登ってくる自転車の人たちが意外に多い。
電動アシスト車でなければきついだろう。

そして旧東海道に入って山科駅前。
たしかに洛中を京都とすれば山科は京都ではないな。
JR、京阪線、地下鉄と三つの線が交差する交通の要所。
大きめの地方都市に来たような感覚。
ここまでで12キロ3時間。

少しくたびれた感じはあったものの、駅近くの公園でひと休みして再び歩きはじめる。
ここからは南に向かう。広いバイパスに沿って歩く。
こういう車の多い道を歩いている方が遍路の感覚に近い。
それくらいお遍路では車と一緒に歩いている。
道路沿いにお店の分布は典型的な郊外型のものになる。

車道を外れて旧道に入る。
基本、南に向かって歩いていけば醍醐寺にたどり着くはず。
山科刑務所の壁を右に見ながら南下。
思いの外、醍醐寺までの道のりは遠かったが、なんとかたどり着く。
はじめての醍醐寺。
紅葉で有名なお寺だが、紅葉には早い。
参拝客もまばら。半数はインバウンドのひとたち。

そこから地下鉄の醍醐まで歩き、地下鉄に乗る。
足袋➕マンサンダルの組み合わせは上々。
お遍路だと、7、8キロの荷物を担ぐことになるのだが、その場合、どんな感じになるのだろう。

11月なのにゴーヤ

いまだにゴーヤの収穫が続いている。
例年ならもうグリーンカーテンを外して、ぼちぼち冬の準備をはじめるころなのに。
葉っぱの黄変も遅い。花も咲いている。
その花めがけて蝶が来る、蜂が来る。
おまけに、葉っぱの影に潜んでいたゴーヤの実が突然立派な姿を現す。
よくよく探してみると、人差し指大の実が、まだ5、6本はぶら下がっている。
10月末に百本目を収穫したところまでは記録をつけていたのだけれど、それ以降は記録なし。
もう季節感がますますわからなくなってきた。



2024年11月3日日曜日

EU2025 その3

というわけで準備を始めた。

an introduction to Seitai 3.0 というタイトルでエッセイを書き始めた。
3.0に深い意味はあまりない。まあ、新しいというくらいのもの。
近年の機械翻訳の進歩は素晴らしく、Google翻訳でも相当のレベル。
このブログページの一番下に「翻訳窓」があって何ヶ国語にも翻訳される。
とはいえ、そのまま人に読ませられるかというと、それは無理だ。
操法がmanipulation と翻訳されると、バカヤローと怒鳴り返すしかない。
もちろん有料のものを使って、単語の対応表で照合できるようにすれば、一気に完成度は上がるに違いない。ダン先生の講義録PDFを丸ごと機械翻訳に入れれば、あっという間に翻訳完了ということも可能な時代に入ってきている。でも、その翻訳が正しいかどうか誰がチェックするんだという話。

ずいぶん危うい時代を僕らは生きている。