■4月30日の夕方、汐留で催される知人の音楽会に向かう途中、大井町駅に降り立った。ずいぶん懐かしく、数えてみるとなんと5週間ぶり。乗り換えは東急の改札を出て、そのまま数十歩でJRの改札にたどり着くのだが、いったん外に出て、横断歩道を渡り、コンコースを通って、アトレ側のJR改札を抜けることにした。なじみのある風景、なじみのある空気。でも、自分の感覚が微妙に変わっていることに気づいた。いい感じではないか。
■4月はほとんど自宅から3キロ圏内で過ごした。もちろん、その3キロ圏から離れることはあったけれど、気分とすると3キロ圏内、もっといえば、自宅に引きこもって主夫をしていた。四国遍路の対極、と言えなくもない。自分の中では、四国遍路は生きている。ほんとなら今頃愛媛を歩いているはずだ、などと思うこともある。ただ、ひとに訊かれると「故あって延期です」と答えるほかない。四国にでかける前に、やるべきことがあった、という話である。
■人の生活とはこのように成り立っているのか。これまで人まかせーつまり妻まかせにしていた衣食住のこまごまとした家事を自分でやってみて多くの発見があった。「主夫とは百姓に似たり」と書いたが、予想以上に天気等々外の変化と呼応してことが進んでいく。基本手仕事で、洗濯、料理などなど「水」との付き合いも多い。ずいぶん創造的だし、段取り命、という意味では万事に通じる。理念に殉ずる感のあった自分の仕事観をちょっと反省。
■カレンダーは5月。この月をどのように過ごすか思案中。妻の入院生活はまだしばらく続き、一方、稽古会は再開される。それこそ、稽古と主夫業を両立させなくてはならない。これほどの期間稽古から遠ざかったことはないから不安もある。でも、大井町駅に降り立ったときの感覚の変化、それを取っ掛かりにして、これまでとは違った切り口でやれそうな予感がする。
■四国? 通し打ちが難しければ、区切り打ちという手もあるし…。