2012年10月27日土曜日

なぜ身体教育なのか? 5

【カタ】

 石川で稽古会をはじめるきっかけになった白山市のワンネススクールの生徒たち対象の稽古会を先日頼まれてやってきた。生徒たちはどんどん入れ替わっていくから、年に一回やったとしても、ほとんどの子どもたちにとっては稽古に触れるのははじめてということになる。

 今回は、「人にふれる」というテーマではじめてみることにした。はじめてみることにしたといっても、即興なのだけれど。普通に触れても、「私に触れられた」という感覚は生まれない。掌に触れられれば掌に、肩に触れられれば肩という部位に触れられた感覚が生まれるにすぎない。動きの源を、手首、肘、肩と根本の方に移していくと、体の部位に触れられるという感覚からだんだん遠ざかってくる。つまり、僕らの言葉で言えば、だんだんカタが形成されてくる。

 おもしろいよね。カタとは非自己に向かうものであるのにもかかわらず、そのカタで触れられたとき、はじめて相手は、「私に触れられた」と感じる。じゃあ「私」という感覚っていったいなんだ?ということになる。つまり、わたしたちが「私」と感じるものは、通俗的な意味での「個」とは別のものを指し示しているのではないだろうか、という地点にたどり着いてしまう。ここから文化としての身体に目が向けられることになる。