石川に通い始めて5年になる。最初のころは、北陸フリーきっぷを使って、越後湯沢回りで移動していた。夜行寝台の「のと」に乗ったのも初期の頃で、利用者が減ったせいか、この列車もなくなってしまった。そのうち、航空券とホテルを組み合わせた「出張パック」なるものを利用した方が安上がりであることを学習し、飛行機を使うことが多くなった。冬のこの時期など、天候が不安定なことが多く、「羽田に引き返してくるかもしれません」というアナウンスにひやひやしながら機上の人となる。実際に着陸できなかったことはなく、秋口に一度、台風の影響で帰途小松で足止めを食ったのが唯一のトラブル。夜行バスも利用したが、翌日役に立たないことがわかり一回で止めた。青春18きっぷで1日がかりで金沢にたどりついたこともあるが、これも疲れた。若い頃の長距離移動の記憶があるから(アメリカ横断3泊4日バスの旅とか、コルカタ〜チェンナイ2泊3日列車の旅とかね)平気なつもりでいても、それから40年経っているわけで、同じことをやろうとしたら、もはや年寄りの冷水ということになる。関西での用事にくっつけてたり、去年など秋田から回ってきたり、経費節減と日数の捻出のため小細工を弄してきたが、やはり小細工の域を出ない。時速100キロくらいで走る特急が一番疲れない。東海道新幹線より上越新幹線、maxときよりは各停のタニガワといった塩梅で、今回も越後湯沢回りである。
2015年1月29日木曜日
日蓮宗のことなど
わが家の宗派は日蓮宗の一派になるらしいのだが、これまた父が入っていた老人ホームの運営母体が国柱会という日蓮宗の流れをくむ宗教法人だったこともあり(宮沢賢治が入信していたことで知られている)、このところ日蓮宗のことが少し気になっている。どうして日蓮宗が天皇国家主義に繋がり、そこからテロリズムが生まれるのか? 『血盟団事件』を読んでも、この飛躍は十分には理解できなかった。ただ、311後の政府の対応など、テロリズムの温床を作っているようだし、その後の福島・沖縄をめぐる天皇と政府の微妙な緊張関係の中に、現代と1920〜30年代との相似形も浮かび上がってきて、ちょっとそら寒いものを感じている。現役官僚が書いたという『東京ブラックアウト』では今上天皇を登場させ、国民が天皇に請願する権利についても触れている。今上天皇の国民に寄り添う姿勢には頭が下がるが、その天皇にすがるしかない国民が暮らす民主主義国家というのは、一体どのような国家なのだと思ってしまうし、エリート官僚が天皇への請願法を指南せざるを得ない現状に愕然とする。君側の奸という言葉も未だ死語ではないということだ。父の遺品(曾祖父から伝わったものだろう)のなかに本多日生というお坊さんの書いた曼荼羅を見つけた。調べてみると仏教の近代化に尽力した日蓮宗の僧とあり、関連人物に田中智学ー国柱会の創始者ーの名前が出てくる。なにこのループ感。おまけに五一五事件で暗殺された犬養毅の揮毫まで残されていたりして、なんだか日蓮宗を介して日本近代史と接続している妙な感覚があるのだ。
2015年1月28日水曜日
1月の読書
マルケスの小説を四五ページ読みすすめるのが就寝前の儀式になっている
熱帯性のねっとりした空気の中で午睡するというのが目下の希み
暖房器具が電気ストーブひとつという私の部屋は寒いのだ
それでも、年が明けて、ようやく本が読めるようになってきたというのは、
日常が戻ってきたということなのか
血盟団事件* 中村岳志 文藝春秋 2013
熱帯性のねっとりした空気の中で午睡するというのが目下の希み
暖房器具が電気ストーブひとつという私の部屋は寒いのだ
それでも、年が明けて、ようやく本が読めるようになってきたというのは、
日常が戻ってきたということなのか
血盟団事件* 中村岳志 文藝春秋 2013
信長死すべし* 山本兼一 角川書店 2012
チンパンジーはなぜヒトにならなかったのか?* ジョン・コーエン 講談社 2012
「人間がどうして二足歩行するようになったか、私にはわかりません」。ニューヨーク州立大学ストーにブルック校の教授サスマンはそういった。いくつかの仮説があることについては、「気に入った説を選べばいい」という。(P.313)
「人間がどうして二足歩行するようになったか、私にはわかりません」。ニューヨーク州立大学ストーにブルック校の教授サスマンはそういった。いくつかの仮説があることについては、「気に入った説を選べばいい」という。(P.313)
その日東京駅五時二十五分発 西川美和 新潮文庫
創価学会と平和主義 佐藤優 朝日新書 2014
愛その他の悪霊について* ガルシア・マルケス 新潮社 2007
愛その他の悪霊について* ガルシア・マルケス 新潮社 2007
わが悲しき娼婦たちの思い出* ガルシア・マルケス 新潮社 2006
2015年1月22日木曜日
大井町稽古場の壁が黒い理由
大井町稽古場の壁はなぜか黒い
天井、柱まで黒く塗られていて、大工さんが泣いた
という話も残っているくらい
という話も残っているくらい
重い引き戸を開けて中に入ると、
一瞬暗闇に迷い込んでしまったように感じるくらいで
屋内は暗い
この暗さに文句言いながら長年稽古してきたわけだが、
なぜこの壁が黒く塗られていたのか
その理由が今日解明された
なぜこの壁が黒く塗られていたのか
その理由が今日解明された
昨年末、目黒の額縁屋さんで野口紘子さんの個展が開かれた
観に行ったとき最初に目に入ってきた作品
あれっ、作風変わったのかしらと感じた作品
その絵が大井町稽古場の壁に掛けられたのだ
黒い壁を背に宙に浮いているかのようだ
大井町稽古場ができて23年目になるのだが、
この日のために、この壁は黒く塗られていたのだ
だれが黒く塗らせたかって?
言わずもがなです
***
大井町稽古場ブログもありますからねw
2015年1月21日水曜日
2015年1月11日日曜日
2015年1月8日木曜日
着物生活
正月三日間は着物で過ごした
着物を着たとはいえ、普通の下着(U首の半袖シャツ+ももひき)の上に
長襦袢ではなく稽古用の半襦袢を付け、その上に、古木綿の長着を着るという略式仕様
気がつかないうちに衣装持ちになってしまっている
古着屋で程度の良いものを、つい買ってしまったり、いただきものもあったりして、
すでに必要にして十分な量
ただ、これから先、ウールの着物はあまり着ることがなさそうだし、
お出かけ用の着物もあまり着ることはなさそうだ
普段着、仕事着としての着物になると
結局、稽古場御用達の古着屋さんが見つけてきてくれた古木綿の長着に落ち着いてしまう
とりあえず、後ろで帯がしめられるようにするのが今年の目標
着物を着たとはいえ、普通の下着(U首の半袖シャツ+ももひき)の上に
長襦袢ではなく稽古用の半襦袢を付け、その上に、古木綿の長着を着るという略式仕様
気がつかないうちに衣装持ちになってしまっている
古着屋で程度の良いものを、つい買ってしまったり、いただきものもあったりして、
すでに必要にして十分な量
ただ、これから先、ウールの着物はあまり着ることがなさそうだし、
お出かけ用の着物もあまり着ることはなさそうだ
普段着、仕事着としての着物になると
結局、稽古場御用達の古着屋さんが見つけてきてくれた古木綿の長着に落ち着いてしまう
とりあえず、後ろで帯がしめられるようにするのが今年の目標
2015年1月3日土曜日
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