2017年12月2日土曜日

フロンターレ優勝!

川崎フロンターレがJ1で優勝
こんな嬉しいことはない
嬉しいというより安堵したという方がちかい

等々力競技場にはじめて足を踏み入れたのは1999年秋
まだ川崎がJ2を戦っていたころで、対戦相手は札幌
その札幌を目当てに行ったのだった
場所もよく分からず、職場のあった二子玉川からタクシーに乗った

私の住んでいたのは東急田園都市線のあざみ野
サッカー観戦には便利な場所で、日産スタジアム、国立競技場、等々力競技場に
1時間以内にたどり着けた
最初のサッカー観戦は、国立だったか三ツ沢だったか定かではないが、ファンとして定期的に通いはじめたのは、横浜市民ということもあって日産スタジアムだった
ただこの日産スタジアム、W杯の決勝のために造られたハコで、やたらでかい
いちばん安い自由席だと、ビルの屋上からピッチを眺めているようで、選手は豆粒ほどにしかみえない
おまけにサッカー専用でなく、陸上競技用のトラックがピッチの周りを囲んでいる
最新鋭の巨大スクリーンと音響を備えていたが、サッカーそのものを観るには適さない

これに比べると、等々力はのんびりしていた
トラックで囲まれている分、ピッチは遠いが、二階席までしかない
J2の時代だったから、観客席にも余裕があり、1万人入ることはまれ
競技場に向かっていると、ちびっ子が自転車で駆けつけてくるわ、家族づれがのんびり歩いてくるわで、とにかくゆるい
サポーターも優しい
浦和や鹿島の応援風景に比べると小学生のようにみえた

それでも、川崎がJ1に上がり、力をつけてくるにつれ、サポーターの数も増えていった
印象に残っているのは、ジュニーニョ、我那覇、テセ、川島といった選手たち
もちろん中村憲剛
監督も石崎、関塚、風間と変わっていった
チームはだんだん中村憲剛を中心に回りはじめる
それでも、風間監督に代わった時の変化は大きかった
ナビスコ杯の決勝戦は2度国立に見に行ったが、結果は準優勝

関西に越してきて丸二年
サッカーとは縁遠くなってしまったが、川崎の動向はいつもチェックしてきた
小林悠をキャプテンにしたのは正解だったようで、線が一気に太くなった
小林悠は、なんと娘の通った高校のサッカー部員で同学年
2年続けて高校サッカー全国大会の応援に出かけていった記憶がある
まさか、あの小林選手がJ1得点王になるなんて

ともかく、嬉しくて安堵している