韓国で撮ってもらった写真を娘に送ったら、
「おじいちゃんに似てきたね」という返信が届いた
そうなのだ、なんか急にオヤジの風貌に似てきたと、自分でも思う
出かけた時、ショーウインドウに映る自分の姿が、オヤジそっくりなことに驚く
似てきたのは風貌だけではない
書斎のテーブルの乱雑さといったものまで似てきている
オヤジが座っていた津山の家の居間や江戸川の居室の惨状と同じものが再現されつつある
父の喪は一年で明けた
遺句集を編んだら、すっかり気が済んだ
妻の喪が明けるには三年かかった
せうそこの会でみとりについて話し、それが印刷物になって戻ってきたら、
前に進むしかない、という覚悟が生まれた
喪が明けるとは、忘れてしまうことではなく、
逝ったものたちとの記憶を忘れるほどに同化してしまうことなのだ
今年も、というべきか、何人もの友人知人たちがなくなっていった
つまり、縁の遠近はあるにせよ、僕らは、常に喪に服している