目に入れても痛くない、という表現がある。小さなゴミひとつ目に入っただけで大騒ぎするのに、目に入れても痛くないだなんて…。先日、研修で東京に行った折、娘一家の住む佐倉まで足を伸ばした。孫たちー男の子ふたりーと遊んでいるうち、自分の眼差しが随分と柔らかくなっていることに気づいた。この迎え入れ具合。こういうのを、目に入れても痛くないというのか。あらためて、この日本語表現に深くうなづいた。娘だと、もう、目に入れると痛い。
年寄り三人で、「性と文化の革命」論議ーというより、ただのおしゃべり会をはじめた。下手すると、70年代はよかったな〜、という話に堕してしまいそうになるのだが、最後は教育談義に落ち着いて行くのが常ーといっても、まだ2回しかやってない。先日の会では、承認欲求という言葉への違和感という話題が、日本の学校教育における減点主義という話に転じていった。人は認められた方向に育っていく、というのが晴哉先生の潜在意識教育の要諦なのだが、減点主義の教育においては、ダメを認めることになってしまう。
せっかくの連休、目に入れても痛くないものを見に行きましょう。その前に、迎え入れの稽古をしましょう。