2019年5月19日日曜日

自分さがし

自分さがしをはじめてしまった

昨年暮れ、参加している読書会で、私が整体に出会うまで、
そして、その後の展開を話す機会を得た
いってみれば、自分史の半分を語ったことになる

そこでふと思った
じゃあ、その前の自分
例えば、ラジオ少年としての自分は、どのように形成されてきたのか
ラジオ少年と整体オヤジはどのようにつながっているのか

最初に手に取ったのが「磁力と重力の発見」全3巻
筆者の山本義隆は東大全共闘の委員長として名前が知られている
というか、私など名前だけで、どのような仕事をしてきた人なのかまったく知らずにいた
1941年生まれだから、私とは、ぼぼ一回り上ということになる

「磁力と重力の発見」は、どのように、本来別々のものであった「科学」と「技術」が、
ヨーロッパにおいて「科学技術」として合体していったか、その経緯をギリシャの時代から辿っていく大著であり、すばらしい科学史の本でもある
3巻目にようやくたどり着いたものの、まだニュートンの章には行き着いてない

「磁力と重力の発見」がなかなか読み進まないのは、
同じ著者による他の書籍に寄り道しているせいである
たてつづけに、「福島の原発事故をめぐって」「近代日本一五〇年」「私の1960年代」
の三冊に手を出してしまった
私より一回り年上のぶん、1960年代(私の年齢でいえば、8歳から18歳)がどういう時代で、どういう空気を吸って人々は生きていたのか、大人の目で記述している
そこで、はじめて、なぜ、どのように僕がラジオ少年となっていったかが、腑に落ちたのだった

こうしてみると、自分というのは、ほんと「現象」だと思う
生まれ、親と交わり、近親者と交わり、他者と社会と時代の空気と交わりながら、
自分という輪郭がすこしづつ形成されていく
戦後教育の中で、ラジオ少年が生まれ、
そのもとには、明治政府の科学技術輸入政策があり、
そのもとには、16世紀文化革命がある

もちろん、みんなが僕のようなラジオ少年になったわけではない
それぞれが、それぞれの生まれ育った環境を取り込みながら「私」を形成していった
そう思うと、「なぜ」に終わりはない

あとしばらく、山本義隆氏の著作を地図として、「自分さがし」を続けてみようと思う