2019年9月26日木曜日

キム・ジヨン

テレビをみないので「嫌韓」番組のことはしらない。ただ本屋に「嫌韓本」が並んでいることは知っているし、そのような本屋からは自然足が遠のく。ツイッターをやっていて面白いなと思うのは、たかだか100人しかフォローしてないのに、その時々のトレンドが虫眼鏡で拡大されるように画面に現れてくるから、へぇー、韓国からの観光客が減ってるんだ、くらいの情報はちゃんと僕の耳にも届いてくる。そんなときほど、韓国に行ってみなきゃと、天邪鬼のぼくは思ってしまうのだけれど、残念ながら予定が立たない。

82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著)を読んでみようと思ったのは、この本の翻訳者である斎藤真理子さんのインタビュー記事「女が勉強してどうなるのか」の時代から『キム・ジヨン』までをネットで見かけたからだ。どういうルートでこの記事にたどりついたかまでは覚えていないのだけれど、この記事を読んだあと、「読んでおくべき本のリスト」にキム・ジヨンは付け加えられた。いつものように図書館にリクエストしてみたら、なんと予約待200件。所蔵冊数も多いから数ヶ月待ちというところか。こうなると俄然買ってでも読むというモードに入ってしまい、本屋に行く機会を待っていた。

一番近所にある大きな本屋さんというと、立命館の学生生協。大学のキャンパスに足を踏み入れることはあまりないのだけれど、街中に行く予定もないので、とりあえずチェックしてみることにした。しかし、キム・ジヨンはみつけられず。その日の夜、仕事から帰ってきて着替えを済ませた連れ合いが、めずらしく「この本読んでみる?」と一冊の本を目の前に差し出してきた。思わず声を上げてしまった。なんと、パソコンの画面で見たことのある顔のない女性の上半身の絵を表紙に使った本がそこにあった。キム・ジヨンである。半年近く前に予約しておいた本が届いたという連絡が図書館からあったので何日か前に取りに行き、もう読み終えたという。

さて、僕などフェミニズムに理解のある男を装っていたとしても、最後に出てくる精神科医レベルなんだろうな、と自戒を込めてコメントしておく。この問題、「性と文化の革命」における父権的制度ともつながっているので、稿を改めて考えてみることにする。