2019年11月7日木曜日

高度経済成長

経済学の本を立て続けに読んでいる。宇沢弘文を読んでいるというべきか。「資本主義と闘った男」(佐々木実著)は、宇沢の生涯を追いかけた600頁を超える力作。ケインズもマルクスも読んだことのない、経済学の素人にとっては、よき経済学の入門書であり、どのような経済学理がどのような歴史的背景の中で生まれ、それぞれの学理を主張する人間たちが、どのように覇権争いを演じていたか。そして、宇沢自身、これらの流れの真ん中にいた。

高度経済成長期とはどのような時代であったのか。その時代を経ることで、日本人の身体はどのように変容していったのか。僕自身の興味は、ここに絞られてきたようにも思う。日本の高度経済成長期とは、1954年から1973年の間を指すようだが、1952年生まれの僕は、まさに、この高度成長とともに成人したのだ。宇沢弘文は1956年から12年間におよぶ海外での研究生活を終え、1968年日本に帰ってくる。高度成長期の日本を留守にしていた経済学者宇沢の目に、豊かさに踊る日本はどのように映ったのか? 宇沢が目撃したのは豊かさと対極にある国土の荒廃であった。

晩年の父と付き合っていて、その年金額に驚いたことがある。公務員を長年務めた結果ではあるのだけれど、なんで?という疑問は消えなかった。高度成長期を担ったのは、まさに父の世代で、太平洋戦争が終わったときに二十歳くらいだった人たち。どうして、彼らの年金額は、ぼくらが受け取れる額よりはるかに多いのかという疑問に対する自分なりの解釈は、高度成長期を通して、それまで換金することなどできなかった環境・公共物といったものをお金に換えてきたからだというもので、おそらく、大きくは外れていない。この換金できないものこそが、宇沢が経済理論に取り込もうとしてきた社会的共通資本というものに相違ない。

高度成長期が終わったとされる1973年、ぼくは高専を卒業し、同じ年、海外へ飛び出すことになる。この選択は、高度成長によって「豊か」になったからこそ可能となったものでもあった。1ドル300円の時代である。