憑依の近代とポリティクス* 川村邦光編著 青弓社 2007
動的平衡ダイアローグ* 福岡伸一 木楽舎 2014
狼の義-新犬養木堂伝* 林新・堀川惠子 KADOKAWA 2019
限界費用ゼロ社会* ジェレミー・リフキン NHK出版 2015
今西錦司* 平凡社standard books 2019
未来への大分岐* 斎藤幸平編 集英社新書 2019
2020年2月26日水曜日
同工異曲
とある編集者と話していて、五十音順にタイトルを並べた用語集のような本造りを示唆された。なるほど!と思って、このブログを含め、これまで書いてきた文章を五十音順に並べてみた。つまり、時系列を取っ払って、タイトルで並べ替えてみた。結構、面白い。100頁ほどの小冊子なら、すぐできてしまいそう。孫を読者として設定したーつまり、おじいちゃんは、こんな風に生きてきたんだよ、と解説するためのー自家本にはできそうだ。古希を記念して、こんな自家本を百部くらいつくってみるのも悪くない。散々書き散らかしてきたから、すぐに50くらい集まるだろうと高をくくってきたのだけれど、意外なことに無いものは無い。いくら探しても、ヌネノの項目が見つけられない。当然のことだけど、整体がらみの文章は多い。ところが、それ以外のものを取り除いて、整体関連のものだけにしたら、どれもこれも同工異曲の文章ばかりで、まったく面白味に欠ける。もう詩を書いていくしかないのか。これは前途多難だ。
2020年2月24日月曜日
2020年2月14日金曜日
百年という時間 2
最近、どの本を開いても百年前が舞台だ。二十世紀の初頭、1900年〜1920年頃。どうやら日蓮主義者だったらしい曽祖父角三郎さんのことを調べようと開いた「日蓮主義とはなんだったのか」は、明治維新の二年前に生まれた角三郎さんの壮年時代と重なるから当然のことなのだけれど、「近代日本の民間精神療法」もまた然り。そういえば晴哉先生の生まれたのも1911年。「女たちのテロル」で描かれている金子文子が生きたのも、また同じ時代なのだ。今年が2020年だから、ちょうど百年前の時代、日本が帝国主義に足を踏み出していた頃のこと。そして、おどろくべきこと(ほんとは、驚いてはいけない)なのだけれど、その百年のうち、すでに僕は68年生きている。なんだ、百年前って、たった自分より一世代前の話なのだ。このエントリーを(2)としたのは、三十年近く前、同じタイトルで文章を書いていることに気づいたからで、40歳のときの時間、歴史感覚と、60代の今では、ずいぶん違ってきている。年号という時代区分によって、自分自身の時間感覚が日本という国に絡め取られてきたことを痛感することが最近とみに多い。
2020年2月8日土曜日
練る
本部の修養講座から流れてくる人も、ちらほら増えて、この稽古場の空気も少し変わりつつある。去年からはじまった、ダン先生の個人教授に出ている方もあって、その人たちが、稽古のネタを持ち込んできてくれるのはありがたい。行気主体の稽古なのだけれど、ノートに書かれた手順と組み立てを眺めているだけで、なるほど、こういう整体に向かおうとしているのかが、浮かび上がってくる。つまりは、人為を自然化していくという技術。それが美しい。ただ、ノートに記録されている、たとえば、「H2から右肩に繋がるよう脚の体位を取る」といったとき、どのように脚を動かしていけばよいのか、という一点において、体の練られ具合が歴然と現れてしまうし、この最初の一動作の質が、最終的な行気の出来不出来に繋がってしまう。ここがおもしろく、稽古の醍醐味でもある。
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