師匠に会いに嵐山にいってきた。何年か前に脳梗塞で倒れ、入院リハビリを経て、いまはヘルパーさんたちの補助を得ながら自宅で猫と暮らしている。脳梗塞の後遺症で滑舌は良くない。僕の耳が遠くなってきたこともあり、コミュニケーションはスムースとはいえない。それでも、旧知の仲間の噂話で多少は気が紛れるようなので、数ヶ月に一度顔を出している。付き合いは長いが、整体と出会う前、どんなふうに過ごしていたのか、そういえば聞いたことがない。
S 同志社行ってたんですよね?
K そう。
S 実家からはバスで通ってた?
K いや、電車。
S そうか、まだ市電ありましたね。
S 同志社で学部はなんだったんですか?
K 社会学部。院まで行った。そのまま大学に残ろうと思ってた。
K こうじまち事件というのがあって…。
S 麹町だったら、東京の?
K こうじんばし
S あ、荒神橋なら京都ですね。
K 大島渚たちと一緒にやってた。男たちはみんな汗臭くていやでたまらんかった。
おいおい、先生、学生運動やってたのか。初耳だ〜。
荒神橋事件、調べてみたら1953年の出来事。60年安保よりずっと前ではないか。
ここから、どういう経緯があって整体の道に入って行ったのか、この部分はちゃんと聞いておきたい。来年は、嵐山に通う回数を増やして、この続きを聞こうと思っている。
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聞き書きという行為に、相手との年齢差ってどれくらい影響があるのだろう。
40代の友人と、1970年代の話ーつまり相方がまだ生まれていない時代ーをしていると、「ああ、既にオレは歴史の一部なのか」と感じることがある。師匠との話に出てきた荒神橋事件は1953年、つまり、僕が生まれた翌年で、かろうじて、その時に僕はこの世に生を受けている。時代の空気が共有されていれば、話が聞けるというものでもないだろうが、最初のとっかかりにはなる。無論、すれ違い勘違いによって話が深まるという場合もあるだろう。