2019年7月23日火曜日

ソマティックス 6

つまりのところ、ぼくらは何を「からだ」と呼んでいるのだろう
ソマティックスという言葉は、おそらく、普遍的科学的医学的身体というものより、
もうすこし巾の広い存在としての「からだ」を捉えようとしているのだろうけど、
それに関わる人たちがお互いに言葉が通じていない状態なのだ
そもそも、「からだ」という括りは有効なのだろうか

自分の手を眺めてみる
普通、からだと呼んでいるのは、指一本一本であり、掌であり手の甲である
でも、ダン先生が「からだ」と呼んでいるものは、指と指の隙間、手の中の隙間であって、
普通にぼくらが思っている実体としての手ではない
意志が届かないものこそをからだと呼んでいる
牽強付会だろうと言われても、こう捉えていかないと整体の技法として成立しない
こういうからだの捉えかたは、ほかの「ボディーワーク」と接合しうるのか
ボディワーク1で書いた、膜一枚のもどかしさの源はこんなところにありそうだ

こうして、実体と捉えられているものから離れ、あるいは、実体でないものこそに
実質を求めている人たちとはジャンルを問わず接合しうる
ボディワークというジャンルなど、はじめからないのだ