2011年3月13日日曜日

地震当日

みなとみらいホールで行われる音楽会(佐渡裕+辻井伸行+BBCフィルハーモニック)に出かけて行った。半年も前に予約していたプレミアチチケット。ミーハーな父の奢り。

 【14時17分】あざみ野駅より横浜市営地下鉄。やけに心臓が苦しい。だれか、調子の悪いひといったけ? 妻と娘には時間を教えておいたのだが乗 ってこない。次の電車で来るのだろう。ありがちなパターン。 

【14時22分】父の携帯か ら着信。電車の中だったので受けず。一足早く桜木町に着いたのだろう。
 
【14時48分】桜木町到着。電車から降りたら目眩がする。改札を抜けると人が騒いでいる。地震だ!  速足で地上に向う。
 
【14時50分】桜木町改札前で父と合流。

【14時52分】大井町稽古 場にいる松井くんから電話。大井町もだいぶ揺れたらしい。松井くんと話していると、向 こうから横浜稽古場の小杉さんが歩いて来る! 電話で話しな がら、小杉さんに父を紹介する。 

【15時】妻から地下鉄が三ツ沢上町で止まってしまったという電話。父に予約していたホテルにチェックインしようと提案したが、腹が減ったと仰る。じゃあ、妻たちが着くまで 時間をつぶそうと、駅の脇にあるコーヒーショップに入る。次の地震が来て大きく揺れる 。客の多くが外に飛び出す。妻たちの乗った地下鉄は動いてない様子。しびれを切らして ホテルに向かおうとするが、タクシー乗り場には長蛇の列。バスはどうかと停留所に行く と、お客さんを降ろしたらパスは操車場に戻れという指示がでているという。

 【16時】あきらめて、会場方向に移動することにする。エレベーター、エスカレーターが 動いてないので、父の尻を押して階段を登る。妻たちは電車をあきらめ横浜駅方面の歩き 出したという。腹ごしらえと思ったが、なんとレストランも閉鎖。ファーストフード系のお店はやっている。音楽会は予定通り開催されるとのアナウンス。震災地の状況はよくわからない。
 
【17時】時間待ちを覚悟して、ホール横のコーヒーショップに入る。横浜駅を経由してみ なとみらい地区までバスと徒歩でたどり着いた妻と娘も合流。横浜駅周辺の混雑は尋常で はなかったらしい。 

【18時】開場の時間が近づいたので入口に向かうと、公演中止のアナウンス。そうだよな ~、と納得。未練たらたらの父。ではどうやって父をホテルまで送り届けるか。タクシー呼べば、とノーテンキなことを考える家族にイラツク。自分たちが置かれた状況をまったく理解してない。

 【19時】ホテルまで歩くか、それとも帰宅難民として開放されたパシフィコで一晩過ごす か。先遣隊としてパシフィコをチェック。遠い。避難所となっている展示場は超巨大な体 育館。帰宅を諦めた人が集まり始めている。毛布もない状態で85歳の父が過ごすには酷。それなら頑張って4キロ歩いた方がよいという結論。桜木町駅に向かって歩きはじめる。パシフィコめがけて歩いて来る人たちの群れとすれ違う。

【20時】桜木町駅前。タクシー乗場は長蛇の列。ところがパスは動きはじめる気配。ラッ キー、とバス待ちの列に加わる。バスが来る。動きはじめるが、上り方面の道路が渋滞していて公道にでられない。30分近く待ったあげく、ようやく動きはじめる。目の澄 んだ美人ーこの日の唯一の救い一に降りるべき停留所を教えてもらいバスを降りる。風が強い。 

【21時】ホテルにチェックインして一息つく。少なくとも父の宿は確保できた。しかし、 我々三人の帰宅難民状態は変わらない。ホテルは満室。電車が動くことを祈って父の泊まる狭いシングルルームになだれ込む。テレビ報道を観て、ようやく今回の地震被害の大きさをしる。少なくとも部屋の中は暖かい。

【22時】フロントに電話して、最悪全員ここで夜明かししてもよいかどうかを交渉、「黙認します」という言葉をいただく。ここでの夜明かしを覚悟。娘は買い出しに行ってくる という。妻も同行。女たちはたくましい。おでん、中華まんじゅうを買って戻ってくる。 

【23時】ひたすらテレビを観る。

【24時】 TVKで交通情報を観る。東急線が動きはじめた気配。横浜駅まで出られれば帰宅可能か。
 
【25時】横浜市営地下鉄が動き出したとの情報。ホテルで一晩過ごすか、それとも帰宅す るか。家の中に閉じ込められている猫のことも気がかりなので、帰宅を決断。三人で外に 出る。夕刻よりも寒さが和らいでいる。関内めがけて歩く。日本大通りあたりにくるとなじみの風景になりほっとする。関内の駅に着いて間もなく電車が来る。車内は閑散としている。

【26時】あざみ野到着。早足で歩く。葛西の妹のところは家具が散乱したということだっ たので心配しながら玄関のドアを開ける。本棚の上に置いてあったipadもそのままの場所にある。食器棚の扉は開いていたが食器は落ちてない。猫も無事。ホッと胸をなでおろす。 

【27時】疲労感と安心感と高揚感がないまぜになって寝つけない。 身の丈に合わないことをしてはいけない、というのがこの日の教訓。 

 地震発生から48時間たち、報道されてくる被災地の状況は目を覆うばかりです。亡くなっ た方、行方不明の方も、大勢いらっしゃいます。数十万という単位の人たちが避難生活を 送っています。そのような状況のもと、平和ボケした文章を載せるのはいささかためらわ れたのですが、「その日の記録」として書き込むことにしました。今回の地震についての 考察は項を改めて書くつもりです。(2011/3/13)

2011年3月9日水曜日

ぼくが筆動法を稽古するわけ

 紙という平面に時間が込められている、それが書ー墨蹟というものだ。始めがあって終わりがある。書いた人の身体の運動の軌跡が線や点となって紙の上に残されている。さらにいえば、身体活動のもとになった、感覚の動きや質までが、その奥にある。

 ぼくらが書をみてなにかを感じるとき、それは、空間的な美しさもあるのかもしれないが、むしろ、書いた人の感覚や動きを自分自身の体でとらえているのだ。それは書に限ったことではない。音楽を聴いて感動するのだって、踊りを観て感動するのだっておなじことだ。野の草花に感動することだっておなじこと。

 筆動法は、ぼくらが書を観て感じることを、逆にたどって、実際に筆を手にして字を書いてみようという試みだ。上手な字を書こうなんてことはみじんも思っていないし、実際、上手くもならない。でも、感動する能力は、少し身につくかもしれない。

 筆動法をやるとき、手では書かない。無論、筆は持つ。ただし左手。左利きの人は右手で筆を構える。つまり利き腕ではもたないというのがルールその一。手では書かないといったけど、それは無理でしょうという質問がくる。すくなくとも書かないというつもりになる。なぜかというと、手というのは体からいえば末端にあたる訳で、末端から先に動いてしまうと、ナカの動きがわからなくなる。とりあえず、ここでいうナカというのは、胴体だと思っておいてもらえればいい。実際、手をどう扱うかというのは大問題なのだが、このことは後回しにする。

 そうそう筆を手にする前に、墨をすらなきゃいけない。墨汁でいいじゃないかという人も出てくるが、ここはまず墨をすってみる。これって結構基本。墨をするにしても、やっぱり手は使っちゃいけないという。手ですらず、体でする。足首を返して座りー跪座といいますー両手首を膝に押しつけたところからはじめる。手首を膝を離してはいけないとすれば、もう実際に手は封じられたことになる。これで、墨を硯の上で滑らせようとすれば、胴体を動かすしかない。墨は硯の上を水平に前後運動しなきゃならない。 ということは、胴体も前後に水平運動しなきゃならない。これは大変。

 ここからカタの問題が出てくる。これはかなり大事というか、このために筆動法をやっているといって過言ではない。跪座になって手首と膝をくっつけて墨スリするというのもひとつのカタ。つまりカタというのは、つまり動けなくしてしまうものなのですね。カタに入ると動けない。矛盾した言いかたになってしまうけれど、正確にいうとカタに入らないと動けない。ソトが止められてしまったら、あとはナカを動かすしかないですね。そう、ここからナカの感覚を動かすという稽古がはじまるわけです。

 もっとも、実際には、ここにたどりつくまでが大変で、どうしたって外側が動いてしまう。無理矢理動かそうとする。力づくで動かそうとする。大半の人はここで脱落してしまいます。脱落してもらっては困るので、このところは甘くして、「まあ、十年かけてやってきましょう」と先に進めてしまいます。