2012年8月20日月曜日

基礎

教えることに興味がなくなった
というか、少なくとも、もはや卸業者としてやってもつまらない
というふうに思うようになった
本部を上位に置いて、そこから下流に向かって何かを流していく役目
というものに興味がなくなった

ところが卸の役目というのをレゾンデートルにしてきたから、
それから外れたら実になにもできない
ということもわかった

稽古を進めていく上で、共有しておくべき最低限の技術、知識
というものはある
これはもう、学んでもらわないと話が先に進まない
でも、その最低限をどこに設定するかというと、
やはり最低限のところに留めていたほうがよい
というのが結論
痛し痒しの部分ではあるが、
でも卸業者の役目を捨ててしまえばなんのことはない

じゃあ、その最低限の技術、知識ってなんだ
というと、これがまたわからない
おそらく集注ということなになるし、
稽古でいうと合掌行気、坐法、臥法あたりになりそうだ

あらためて基礎と呼ばれている稽古と取り組んでみる
その後の新しい知見を盛り込める器を有するものこそが基礎である
ということがわかる
坐法1988と坐法2012は同型であるが内実は進化している

基礎を掘り下げる
自分の稽古はここから再スタート