石川で二日続けて白山稽古会をやり、
その足で新潟で開催された一泊二日の指導者研修会に向かう
晴哉先生が太平洋戦争時、会員の子供たちを連れて疎開していたという
妙高市にあるお寺が会場
30代の晴哉先生の書が残されていた
優しい筆遣いで、なにかに似ていると思ったらmame画伯の抽象画に通じていた
研修の後、そのまま帰ってくるのは勿体無いような気がするし、
少し涼しいところに行きたかったので戸隠神社に寄り道することにした
中社に泊まり(布団を掛けて寝た)、翌朝、奥社まで歩き、
そのまま鏡池に足を伸ばし、そしてまた中社に戻った
歩いたの距離は10キロほどなのだろうが、上り坂になると息が上がる
ちょっと体力が落ちているのかな
ここ十年くらい、どこかに出かけようとすると、山に向かってしまう
山に登ることに興味があるわけではない
でも、行ってみると修験の山であることに気づく
三徳山(投入堂)にはじまり、岩木山、出羽三山、早池峰、白山...
日本人の信仰心の源を遡っていくと山にたどり着く
水であり森であり、山なのだ
修験の山に行くと、そこが神仏習合の場所であったことがわかる
明治維新期、神道の国家神道化の過程で行われた廃仏毀釈によって、
神道と仏教の共存が壊され、これによって日本の信仰心も歪められていく
このあたり、松岡正剛が的確に評論している「千夜千冊」の一章をを発見
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http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1185.html
ここに挙げられている書籍を手がかりに少し学んでみることにする