2014年4月28日月曜日

4月の読書

アニメーション、折にふれて* 高畑勲 岩波書店 2013
田村隆一 20世紀詩人の肖像*  kawade道の手帳 河出書房新社 2010
おおきなかぶ、むずかしいアボガド* 村上春樹・大橋歩 マガジンハウス 2011
死ぬ気まんまん* 佐野洋子 光文社 2011
フクシマの正義* 開沼博 幻冬舎 2012
小暮写真館 (上・下) 宮部みゆき 講談社文庫 2010
あかんべえ (上・下) 宮部みゆき 新潮文庫 2002
移行期的乱世の思考 平川克美 PHP研究所 2012
一週間 de 資本論* 的場昭弘 NHK出版 2010
くまモンの秘密* 熊本県庁チームくまモン 幻冬舎 2013

2014年4月26日土曜日

ACL

サッカーとは随分縁遠くなっている
近年、競技場に足を運ぶのは年に一度くらい
昔のブログにはちゃんと「サッカー」というカテゴリーまで作っていたのにね

WSW*と川崎フロンターレがACL**の同じグループで戦うことが決まったのは、
正月の天皇杯の結果による
WSW所属の小野伸二が等々力に来るかもしれない
ACL参戦を決めたのは2月下旬のACL初戦の直前
2月の競技場は予想以上に寒く、後半など震えながら観ていた
Jリーグ開幕前で選手の動きもまだ固い
それでも1−0で貴州人和に辛勝

WSW* ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ
ACL** アジア・チャンピオンズリーグ

4月1日のホーム第2戦目がWSW戦
小野伸二もフル出場【 ↓ 2008年以来のナマ小野伸二





















川崎の動きが大分良くなってきていて2−1で
これでホーム2連勝
こうなるとホーム3戦目の蔚山戦も見に行くしかない
しかも、引き分け以上でグループリーグを突破できる

いつもは、空いているアウェイ側ゴールに近い側に席を取るのだが、
早目に着いたのでゴール裏に陣取ってみた
左隣は小学生のちびっ子二人組、右隣は母娘とその友達らしき三人組
川崎のパスワークが冴えて、観ていて楽しいゲーム
一点目をとった小林悠選手は娘と同じ高校の同級生ではなかったかな

川崎2−1で勝利して、グループリーグ突破
ラウンド16初戦はチェ・ヨンス率いるFCソウルと5月7日等々力
こうなるとまた等々力に戻ってくることになるでしょうね

ひきこもってないじゃないかって?
月一度くらいはでかけます



2014年4月25日金曜日

ひきこもり

こんなに「ひきこもり力」があるとは思わなかった
休みの日はほんとうにひきこもっている
おまけに、4月は休みの日が多かった

自堕落な生活をしている訳ではない
朝はちゃんと早起きしてゴミ出しするし、
洗濯掃除もする
勿論、食事もつくる(禁糖中ほどの熱意は持てないのだが…)
屋根に登り、伸びてしまった枇杷の木の枝払いなどもしている
すると、ゴミに出すために、今度は枝を細かく切らなくてはならない

大井町から引きあげてきた、いただきものの真空管アンプに
ipodをつなぎ、一日音楽を流している
最初のうちは、ipodに入れたものを聴いていたが、
インターネットラジオに切り替えた
探してみると、モーツァルト専門局、バロック専門局などもある
これだけで生きていけそうだ

上旬に続き、来週からまた秋田に行くのだが、
今回は、その脚で、日本海側を白山稽古会を目がけてとことこ下っていく予定
おくのほそ道日本海編ですね
移動とひきこもりの両極生活はしばらく続きそうだ

2014年4月14日月曜日

温故知新

ひさしぶりに竹の動法の稽古をしてみた
稽古場草創期、つまり20年か、それ以前に行われていた稽古である
竹の棒を構えて回転したり、前進したり、といった稽古なのだが、
当時、稽古機会が少なかった私には出遅れ感いっぱいの稽古で、
教える立場になってからも、あまりやってない
というか、手本になるほどの動法を見せられないし、
そもそも何のためにやっていたか理解できてない

竹を構え、手首を順逆に取り、その手首を返すことで体全体を回転させる
やってみて、なるほど、これは肉の身体観から骨の身体観へ切り替えるための
関門であった、というのが分かる
肉の身体観では、手首をいくら返しても、腰につながらず、
結局のところ、筋肉を使って動くことになる
それにしても随分体育会系のノリでやっていたものだ
稽古の帰り、階段がつらくて降りられなかったという伝説もあながち誇張ではない

骨の身体観になっても、感覚を動かすことをしらないと体は動かせない
位置と感覚の固着を外す必要がある
感覚浮遊論と僕が勝手に呼んでいるD先生の感覚論によれば、
感覚とその位置が一致しているとは限らない、というかズレていてあたりまえ
これを理解するまでに随分時間がかかった
いや、まだ理解しているとは言い難い

この感覚を扱う稽古に移った頃には竹動法も下火になっていたから、
竹動法における感覚の扱いといった部分はスルーしたままになっていた
それにしても「腰の感覚はどこに行ってるんだろう?」という問いは、かなり非常識
しかし、やってみると、断然この方が体が動くし、動いた感も半端ない
なによりも動きにキレが出る

「基礎が進化する」というのは、やはり稽古場のあるべき姿を表現した名言である
週末の集注稽古はこれをテーマにして組み立ててみよう

2014年4月10日木曜日

山笑う

今シーズン七度目の秋田である
前回からは丸一月空いてしまったので、
風景の変化は劇的で、もう春真っ盛りである
山の雪もだいぶ消え、雪解け水で勢いを増した川音が響いている
「山笑う」という季語を実感する春


散歩の季節がやってきた
小学校跡ー院内駅ー愛宕神社と歩いてみた
距離にすると2キロほどか
駅前の観光案内板によると、このあたりをジオパークとして売り出そうとしているようだ

【院内駅+異人館】



とはいえ、散歩しに来たわけではない
家の中の片付けも少しづつ進行中
暖かくなって、家の中の行動範囲が広がってきた
とりあえず蔵書の整理を始める
文庫が山のようにある
漱石の復刻版とか蕪村全集まである
意外だったのが、須賀敦子の本があらかた揃っていたこと
タブッキまである
でもこの本たちをどうしようか…

久しぶりに宮部みゆきを読みはじめた

2014年4月5日土曜日

『献花』

 とりふね舞踏舎の、三上賀代還暦記念公演『献花』(4月2日 KAAT神奈川芸術劇場)を観に行ってきた。60歳になった三上賀代が踊る姿をみて、「三上賀代、いい歳の取り方をしているな〜」と思った。勇気をもらったと言ってもよい。チャラチャラした60代が街をぞろ歩いているアンチエージングの時代を突き抜けた女が一人立っていた。

 この『献花』という作品、1992年初演とあるから、20年間、折々に踊られ続けていることになる。そもそも、私が三上賀代の舞踏を観たのは、ほんの数回に過ぎず、『献花』を観るのは勿論はじめてのことである。にもかかわらず、きっとこれまでで一番体が使えているに相違ないと断言できるし、また今度の公演によって『献花』は「老境」が表現される作品に転化した、とこれまた断言してしまう。80になっても三上賀代は踊っているだろう。

 湘南舞踏派の公演を今回見られないのはまことに残念。三上賀代とその夫君である三上宥起夫が立ち上げた湘南舞踏派という素人集団の公演を何度か観て、「花嫁修業に舞踏を学ぶ」というコピーを作ったことがある。私にとっての三上賀代は、この湘南舞踏派を育てた教育者であった。しかし、今回の公演を観て、舞踏家三上賀代を再認識することになった。

 Twitterで最近フォローしはじめた「白川静bot」というのが、なかなかよい。三時間に一度、白川静の文章を開示してくれる。そのなかに、【老】というのがあった。"【老】こそ東洋における永遠の美である。ときにはその老境を強調するために、羅漢図などのように醜・怪に至ることも避けることがない。醜怪のうちに完全をみようとする思考は、すでに[荘子]のうちにもあった。そしてその終極は無に帰し、寂莫に帰する。" 

http://www.kaat.jp/d/torifune#.U0AFLl40iu4