2019年10月24日木曜日

一粒万倍

アンコールワットといった巨大遺跡が、数世紀の時を経て再発見される。何万人という人間が暮らしていた痕跡が人の記憶から消え去ってしまう。どうして、そのようなことが起こるのか、合点がいかなかった。でも、今年、植えたゴーヤとフウセンカヅラの繁殖力を目の当たりにすると、人が住まなくなった建造物が、十年も経てば植物で覆いつくされてしまう様を空想できるようになった。まして、熱帯地方では、その繁殖力はより旺盛であるに違いない。

一株のゴーヤが蔓を伸ばし、稽古場の窓を覆うだけでなく、軒下から庭の木槿に張った紐を伝って、どんどん横方向にも伸びている。去年、株分してもらってきたフウセンカヅラから採った種を発芽させ、ゴーヤと並べて植えてみた。フウセンカヅラは大量の種を作る。風船状のものが乾燥して茶色に変色してくると、つるから外して種を取りたくなってくる。殻を破ると、中から黒白モノトーンのまん丸なかわいい種が姿を現す。一粒万倍という言葉は知っていたけれど、ジャムの瓶いっぱいになったフウセンカヅラの種の数は千を下らなうだろう。この種ひとつひとつが、長い蔦を伸ばしていく潜在力を秘めているとすれば、環境さえ整えば、この世界はあっという間に、植物で覆い尽くされてしまうだろう。

フウセンカヅラの白いちっちゃな花、ゴーヤの黄色い花。花めがけて、蜂が蝶がてんとう虫たちがやってくる。大きなアシナガバチが小ぶりのゴーヤの花に向かっている様は、滑稽である。花びらにとまって蜜を求めている昆虫たちは、人間に頓着するふうもなく、自らの作業に熱中している。蔦とはっぱが風に揺れる様、花と花の間を飛び交う虫たちの姿を眺めているだけで、飽きることがない。放射能にまみれた地球から人類がいなくなってしまったとしても昆虫や植物の営みは連綿と続いていくに違いない。

季節は夏から秋を過ぎ冬に向かおうとしている。いつ暖房器具を出そうかという相談を始めた。なのに、ゴーヤはまだ花をつけ蔓を先へ延ばそうとしている。小さな実もいくつか頑張っている。こうなったら葉が落ちるまで付き合う他ないではないか。