2021年1月24日日曜日

1977年

来週、ユズルさんの「忘れてもいいように」のオンライン読書会をやるというので、ちょっと覚え書きを作っておこうと、ユズルさんとの歴史を紐解いていった。巻末の年表によると、ぼくとユズルさんの付き合いは1976年の一般意味論大セミナー(フレンズ世界大学)にはじまっている。ぼくが東京に移る1986年までの10年が第一期。そこから、ほぼ30年空いて、2015年、ぼくが京都に戻ってきてからが第二期。ここでは、第一期について書こうと思うけれど、年齢でいえば、角南青年24歳、ユズルさん46歳からの十年間ということになる。いまや、68歳と90歳。

一般意味論大セミナーのチラシとか残ってないかしらと、デジタル化してある1976年のノートを見ていくのだが、いっこうに出てこない。ひょっとして翌年なのかもしれないと1977年のノートをめくっていくと(実際にはスクロースするわけだけど)チラシが一枚出てきて、その一番下に一般意味論大セミナーが予告されている。いきなり、年表の訂正が必要になってしまった。

ついでに、もう少し下までスクロールしていくと、こんなのまで出てきた。「学校を超える教育論」? まったく記憶から抜け落ちている。そのまま突っ走っていれば、教育業界で飯が食えるようになっていたかもしれない。これまで開いたことのないノート。読み返しているうちに、ユズルさんとのことは吹っ飛んで、1977年にタイムワープしてしまった。4月には三里塚、6月には韓国、7月に一般意味論の合宿があって、8月にはヤマギシの特講、GDMのセミナーに続けざま出て・・・。川嶋先生の活元会に出はじめたのもこの年らしい。いったいどうやって生活を回していたんだろう。もう混沌の極み。

こういう混沌の年にユズルさんと出会っているのでした。