それにしても渾沌の1977年。当時のぼくはといえば、京都の中の外国人コミュニティの中に棲息していて、どうすれば、日本社会に入って行けばよいのだろうと試行錯誤していた時期にあたる。そういう時期に無国籍な空気をまとったユズルさんに出会えたというのは幸運だった。入口は一般意味論(p.168-)とGDM(p.100)。ところが一般意味論セミナーというのが曲者で、みどりさんがあとがき(p.294)にも書いているように、「詩の朗読会、フォークソングのコンサート、ワークショップ、活元会、エンカウンターグループなどに参加する必要があります」という代物。そして、当時の私の渾沌に油を注いだのが、この付随物たちだったのです。
輸入業者であるユズルさんは、海外から講師を呼んでボディワーク系のワークショップを70年代の後半から80年代にかけて開くようになる。それらの会に参加したり、お手伝いすることで、ぼくの体に対する関心は強くなっていたように思います。と同時に、本格的に勉強をはじめていた整体と理念、アプローチのちがいが気になりはじめる。最終的に第一期は、ぼくが整体協会に就職するために東京に移る1986年で終わることになります。東京に移ってから、ぼくはワープロを使った個人通信を出しはじめたのだけれど、その第一号(1986.9.16)にこんな風に書いています。
整体協会での、最初の一月は、日本社会をテ-マにした文化人類学的フィ-ルドワ-クをやってる気分でした。10年前なら、反撥しかできなかったろう事柄を、自分の反応のしかたも含め、楽しみながら観察できました。「英語世界から敬語世界」への突入、とでも呼びますか。
振り返れば、京都での10年は、ぼくにとって自力でこの世界に踏み入っていくための長い長い揺籃期・適応期であったのか、そんな風に思えてきます。その揺籃期の少なくない時間を「ユズル界」(いま思いついた新語です)過ごしていたことは間違いありません。
この本の元になっている「ユズルにきく」会は、この「ユズル界」がどのように形成されてきたのか?ということを探究してきた場ということになります。