2021年5月5日水曜日

自前のメディア

自前のメディアがあったほうがよいのではないか、というのが、先日やった「学びについて考える」の勉強会で出てきたアイデア。そのメディアに身体性を与えるためには、モノ、たとえば紙という物資感のあるものに文字を定着させ、それを手渡しで配布するという、一昔前のミニコミと呼ばれていた方法が有効ではないか。僕自身、一九八〇年代から九〇年代にかけて個人通信を出していたことがあり、それがインターネット上でのブログにつながっている。このところ、一九六七年から四半世紀つづいた「かわら版」のデジタル化作業をしていることもミニコミというメディアを考えるきっかけにもなっている。ブログに書いたものを編集し、それを再び紙の上に定着させてみる。横のものを縦にするだけのことなのだが、このような小さな実験からはじめてみようと思う。身体性の問題からいうと、手書き文字についても考えねばならないだろう。この号は試作版として、ブログ「sunajiiの公私混同」に先月載せた記事をもとにつくってみる。B5版でつくりたいところだが、プリンタが両面印刷に対応しているのはA4のみなのは残念。これも身体性を考えていく上での大問題のひとつ。

と、ここまでが試作品の前書き。久しぶりに紙というメディアを相手にしようとすると、いかにブログがお手軽メディアだということが露呈してくる。器の大きさが限定されれば、原稿の取捨選択が行われるし、フォントの種類、大きさも考慮される。紙の質も考えざる得ない。出来上がったとしても、実際に動かないと人の手には渡らない。つまり手間隙がかかる。重層的な運動の連鎖を通じてようやく他者にたどり着く。物理的拘束から自由になるということで身体性が失われていくというのはトレードオフの関係にある。インターネットの時代になって、自分たちが何を得て何を失ってきたのか、少し自覚しておいたほうがよい。