2022年8月30日火曜日

8月の読書

彼岸の図書館* 青木真兵・海青子 夕書房 2019
白の闇* ジョゼ・サラマーゴ 河出文庫 2020
こびとが打ち上げた小さなボール* チョ・セヒ 河出書房新社 2016

2022年8月14日日曜日

古稀と腰痛

白山から降りてきて数日後、激しい腰痛がやってきた。
登山の疲れが出てきたのかと様子を見ていると、何年かに一度経験する、いわゆるギックリ腰とは質が違い、ズーンとした鈍痛感が主。腰痛というより仙椎痛。それでも腰の動きに先行し手が先に動くと、鋭い痛みが襲ってくる。腰痛とは正しく動法的に体を処する教師のような出来事であることは、いつも通りである。

これって誕生日特有の体になっているのか? 誕生日前後特有の身体があるということは経験上知っているけれど、これまで誕生日前後の自分自身の身体を観察したことがない。あわててダン先生の「形見」という文章が載っている月刊全生を引っ張り出してくる。2018年5月号。西を向き正座して仙椎を内観する。今回の腰痛、不思議なことに女の動法で動いた方が無理がない。母が亡くなって四半世紀近くになった今ごろ母の身体と出会っている。お盆でもある。

2022年8月12日金曜日

白山 4

ストックと杖は似ているようで、内含する哲学は真逆を向いている。
ストックは握るし、握り方さえ指定されている。腕の力で地面を押して推進力にする。四足歩行。一方、杖は固く握らない。滑らせる。地面に突き立てない。杖は感覚器で、あくまで二足歩行の延長。杖の先を地面に置くことで、自分の腰の一点をを出し、その一点を前に進めることで、身体全体を前進させる。地面を押しはじめると、それはもう草臥れてきた証拠で、体は休憩を求めはじめている。両手で杖にしがみついて地面を押しはじめたら、もう敗残兵の風情。

山は登山ファッションでキメた山ジジイ山ババアであふれている。軽くて機能的で快適そうな服装だ。一方、稽古着で登山に臨んだ私が直面した問題は汗対策。木綿の襦袢、稽古着はまたたく間に汗だらけになり重くなり、風に当たると冷たくなってくる。この先、お遍路を進めるにしても、登山用の速乾性のある下着の併用も考えて行った方がよさそうだ。

下山して三日目。筋肉痛はほとんど出てこなかったところをみると、まずまず上手に体は使えたのだろうと思う。願いはいつかは実現する。今回の経験を拠りどころにして70代に踏み入っていくことにする。

2022年8月10日水曜日

白山 3

別当出合から山頂までの標高差1500mの登山はお遍路で30キロ歩くよりもきつかった。でも一番きつかったのは、室堂から宿泊地の南竜山荘に至るトンビ岩ルートでの下り道。ガスは濃くなる、陽は落ちてくる、道は岩だらけ。難易度が高かった。

山を登る人は、眺望を求めて登っているのだと勝手に思い込んでいたのだが、そう単純ではないということが、今回の白山登山で分かった。山道といっても、ずいぶんいろんな種類の山道がある。それぞれに応じて、身体の使い方がちがう。結果として、文字通り全身全感覚を駆使した活動となる。

山頂にたどり着けたのは同行者のおかげである。最初のうちは調子よく登っていたのだが、2000mを超えたあたりから足が重くなっていき、休憩するたびにへなへなと座り込んでいた。それでも、ゆっくりでもかまわないから、一歩一歩足をすすめていくと、いつか頂にたどり着ける。これは当たり前にして新しい発見であった。



白山 2

白山稽古会開催予定の前々日、北陸地方で豪雨。北陸線武生駅水没の映像も流れ、当然サンダーバードも運休。復旧の見通し立たず、普通ならこの時点で白山稽古会休止の決定をするところ。でも、白山登山計画はどうする?

JR西の運休情報のページに振替経路の案内を発見。京都→名古屋→富山→金沢。東京経由だけではなく、こんな迂回ルートもあったのか。土曜日の稽古には間に合わないが、土曜日のうちに着ければ、日曜日の稽古はいつも通りやれる。フランスから帰省中のNさんとの夕食の約束も守れる。京都駅に出向き、みどりの窓口の長蛇の列に並ぶ。

名古屋駅に降り立つのは、いったいいつぶりになるのか? 1時間の乗り継ぎ時間を使って名古屋駅を探索ー喫煙所を探しただけですが。高山線は川に沿って下呂、高山を辿っていく。途中下車はできないけど、特急ひだは観光気分。でも、さすがに松任にたどり着いた時には草臥れてた。明日稽古会大丈夫なのか?

投宿後、Nさんと落ち合う。和食が良いというので、蕎麦で検索したら行善寺が出てくる。迷いながら行善寺。蕎麦を食べ、温泉にも入り、喋っているうちにくたびれが抜けていく。先のことは考えず、その日一日を最後までやる。それしかない。

白山 1

石川に通いはじめて十余年
白山登山を計画すること3回
いずれも流れて、ここ5年、計画することもせず

白山4度目の挑戦
先達は白山稽古会事務方担当Sさん
同行者は横浜時代のご近所T夫妻

別当出合の吊橋に来るのは3度目
渡るのは初めてで、砂防新道を歩きはじめる
稽古着に稽古袴に杖、足元はスニーカーという遍路スタイル
汗のかき具合が半端ない
リュックを背負っている背中はあっという間にぐしょぐしょ

仙人みたいですね、と声をかけられる
いえ、俗人です、と答えてしまったが、
次からは、いえ仙人ですと答えることにしよう

なかなかしんどくて何度か断念しかけたが、
同行者に励まされつつ、8月8日15時40分、標高2700mの白山の頂上に立つ



2022年8月2日火曜日

韓国文学の中心にあるもの

韓国映画はよく観る。映画の中で交わされる会話が時々理解できるのが嬉しい、と言った程度の韓国映画ファンなのだが、その質の高さ、感性の豊かさに彼我の差を感じてしまう。昨年だったか、「ハチドリ」を観て、こんな映画撮れる監督日本にはいないんじゃないかと、その瑞々しさに感銘を受けた。もっとも、その少しあと、「ドライブ・マイ・カー」を観て、前言訂正したのだけれど。それでも、全体のレベルでいえば、韓国映画が先をいっていることはまちがいない。骨格のたしかさが違う。この違いはいったいどこから来るのか謎だったのだが、「韓国文学の中心にあるもの」(斎藤真理子著 イースト・プレス)を読んで腑に落ちた。そう、映画の(当然のことだが、文学にも)社会的役割として、歴史を読み込んでいくことが作り手、受け手双方に自覚されている。

韓国に行けば、「ユギオ」という単語は日常的に耳にすることになる。ユギオ、韓国語で625、1950年6月25日、つまり朝鮮戦争勃発の日。ただ朝鮮戦争について僕らは知らない。知らなさすぎる。ソウルで短期間暮らし(40年前、3ヶ月だけ語学留学していたことがある)、人の会話の中に「ユギオ」という言葉を聴きながら、北に故郷をもつ人の話を聞きながら、その意味するところを、まったく理解していなかったことに、今更ながら愕然としている。朝鮮戦争特需によって太平洋戦争で疲弊していた日本の経済は立ち直り、高度成長への足がかりをつくっていく、といった通りいっぺんの理解しかもっていなかった。この朝鮮戦争の最中にこの世に生まれてきた僕としては、他人事ではないはずなのに、ずっと他人事にしてきたのだ。朝鮮半島で何百万という人たちが右往左往している姿を見ないことにして、高度成長に浮かれていたのだ。

しかも、安倍元首相狙撃事件で浮かび上がってきた統一協会という存在。これもまた、ルーツをたどると、朝鮮戦争が大きな分水嶺となっている。日韓間のグロテスクな闇が露わになった2022年夏。一冊の本よって自分が揺すぶられる経験は最近してなかった。この揺れはしばらく続きそう。この本にとりあげられていた「こびとが打ち上げた小さなボール」(チョ・セヒ著 斎藤真理子訳 河出書房新社)を読みはじめた。1978年の出版ということは、僕がはじめて韓国に足を踏み入れた頃に書かれた本だ。